第5話 ラブドールのショウルームでおっさんにTin-Tinを触られた話(都内某所)
表題の通りであるが、俺はラブドールのショウルームで、おっさんにTin-Tin(注:陰茎のこと)を触られた事がある。
出落ち話につきサゲが無いのは容赦願いたい。
男にTin-Tinを触られたのは後にも先にもそれだけだ。
四年前の春、俺は東京を歩いていた。
特段の計画もなく思いつきで来てしまったため、行き先を探していた。
恵比寿の喫茶店でコーヒーを飲みつつ、スマホで面白そうな場所はないか探していた折、ふとした拍子に思い出したのが、ラブドールのショウルームの事だった。
確か東京にはそうした施設があるはずである。
ラブドールとは以前はダッチワイフとも呼ばれ、主に男性が性欲処理の目的で利用する、等身大の女性型人形である(※男性型もあるらしい)が、近年は金属骨格とシリコンで精巧につくられた、体重四十キロほどある本格的なものが作られているという。そうした人形達が、時代のなかである種の芸術性を獲得し、旧来のダッチワイフと区別してラブドールと呼ばれるようになった……そういう背景があるようだ。
そのラブドールが、学生の頃に友人間で話題になり、にわかに盛り上がった事があった。そのなかで、数多のラブドールが家具のごとく展示されているショウルームが東京にあるらしいという噂が出たのを思い出したのである。
ネットで検索してみると、どうやら本当にあるらしい。
俺の切なる好奇心が新たなる文化を求め咆哮した。
ラブドールのショウルームというのは、地球人類史の全てをひっくり返しても現代日本以外に無いのではないか? そしてこの文化が百年後二百年後に生き残っているかと問われれば、とても是とは答え難い。
性愛の歴史というのは、光と影のように常に人類史と寄り添って連綿と受け継がれてきた。その最先端の現場を、どうやら見学できるらしい訳である。
行かないという選択肢が無かった。
書店や楽器屋に行く計画は全て白紙にした。
俺は早速にそのショウルームに行ってみる事にしたが、驚いた事に完全予約制という事である。
電話するのに相当な勇気を要したが、俺はなんとか一時間後の予約を取り付けショウルームに向かった。
何処と書けば角が立つのでここで書くのは控えるが、電車にしばし揺られたのちに、都内某所のとある駅で降りる。
雑居ビルが立ち並ぶ通りをスマホの地図を片手に数分ほど歩くと、右手側に目的地のビルが見えた。
俺は年甲斐もなくどきどきしていた。
予約の時間となったので俺はビルの扉を開け中に入る。
瞬間、俺は息を飲んだ。
扉の向こう、十畳に満たないほどの部屋の壁際には、椅子に座った状態で数多のラブドールが展示されていた。その格好はおのおの違い、服を着ているものもあれば全裸のものもある。そのどれもがモデルやアイドルのように美しく、また生きた人間には無いある種の不気味さにも似た雰囲気をまとっており、とても扉の外側と同じ世界には思えない。
俺は何か、ちょっと怖い気持ちになった。
引き返せないところに来てしまったような、やっちまった感が頭と心を掌握した。
某真理教の施設があった山奥の喫茶店に行ってみたとき、話しかけてきた美人の女性が俺の隣の席に座るや勝手に俺の人生を手製のタロットで占い始めたときと同種の怖さがあった。
ショウルームには案内役の男性が一人いた。
こうしたラブドールを購入する客というのは、身障者の方であるとか、特別な事情で性欲を満たせない人が多いと、ネットに書いてあったのを思い出す。
案内役はだから、そうした男性のセンシティブにしっかり対応出来るホテルマンのような人物なのかと勝手に想像していたが、意外や意外、普通のおっさんである。
個人的にはそのほうがやりやすい。俺は案内役を、心の中でオヤジと呼ぶ事にした。
オヤジは早速にラブドールの説明を始めた。ショウルームではラブドールを実際に触る事が出来るので、レクチャーの中心は必然、彼女達を触る上での注意事項となる。ラブドールはとても精巧に作られており、しかも数十万円もする高価なものなので、乱暴に扱えば最悪弁償沙汰になるからだ。
オヤジは顔に似合わず繊細な手つきで、少女人形達をいたわるように扱い、腕や足の可動域といったものを手際よく説明していく。
「これはな、ここまで曲がるんや。これ以上は人間の関節も曲がらんやろ。現実の女の子と同じに扱わんとダメやで」
関西弁だったかどうかは記憶定かではないが、オヤジはそのような具合でラブドールの可動域の説明をして、ひと段落ついたあと「ん」と言って右にずれた。
俺は「あ、はい」と答え、一歩前に進んだあと、恐る恐るといった手つきで、動かぬ少女に手を伸ばす。
瞬間! ひらりと伸びたオヤジの腕が、ラブドールのシリコンの柔肌に触れようとした俺の手を払いのけたのである!
「!!」
俺は何か無作法をしただろうか。いや、それどころかまだラブドールに触ってすらいない。
困惑する俺をよそに、オヤジは俺の目を見て、にっと笑ってこう言った。
「まだダメ」
オヤジはお茶目な奴だった。
✳︎✳︎✳︎
一通りの説明が終わるとオヤジは奥にひっこんだ。
このあたり素晴らしいホスピタリティだと思う。俺のような恥ずかしがり屋の男からすれば(※)人の目がある場所でラブドールに触れるなどとても出来ない。オヤジが奥にひっこんだのはそれを見越しての接遇の一種なのだと考えた(※恥ずかしがり屋なら最初からこんな場所には来ない)。
一人になったショウルームで、改めて見るラブドールは凄まじいものだった。
彼女達はいずれも、現実の女性には成し得ない繊細さと美しさを持っていたが、実物はまるで現実の女性と相対しているかのような緊張感も兼ね備えており、しばし触れる事を躊躇うほどだった。
肌はフルシリコンであり、手触りは現実のそれよりも幾分硬いが、それでも想像よりずっと柔らかい。特に驚いたのは足の小指の先にすら爪があり、目元にはまつ毛が植毛されていた事だ。
ものによっては六十万七十万するという話も、実物を見れば割安だとさえ思えてくる。興味のある方は是非ホームページ等を見て頂きたい(十八禁サイトとなるため閲覧の際は要注意)が、やはりこうした人形に魅せられる人々の感覚は、実物を見るまで伝わらないのではないかと思う。
後から知った話だが、人形趣味の人の中には、性処理目的ではなく純粋に鑑賞したり着せ替えたりする目的でこうした人形を購入する方もいるらしい。ラブドールはニッチではあるが一つのカルチャーを形成しているのである。
所定の時間が経過してオヤジがショウルームに戻ってきても、俺は今まで知らなかった先進日本の奥なる姿に打ちひしがれ、どこか心ここに在らずにいた。
気がつくと俺はオヤジに促され、部屋の一角のテーブルの前に来ていた。
そして、テーブルに置かれたものを見て、ようやく俺は我にかえった。
「……え?」
我にかえって、息を飲んだ。
果たしてテーブルの上に置かれていたのは、ラブドール達の局部に装着し特定の目的に使用される、取り外し可能なシリコン製の道具、いわゆるホールパーツというやつであった。
オヤジによると、ホールパーツは全四種類あって、現実の女性のあれを模したものもあれば、より強い刺激を求めるべく開発されたものもあるらしい(オヤジはその特別品を『かずのこ天井タイプ』と呼称していたが、もしかしたらオヤジが勝手にそう呼んでいただけかも知れない)。
ところで俺の目はオヤジの手元に釘付けだった。
というのも、そんな説明をしながらもオヤジの手はよどみなく動き、テーブルに置いてあったローションを手に取るや、それをホール内部に垂らし、自身の指でぐちゅぐちゅやり始めたからである。そして、
「ん」
と、オヤジは、ひとしきり指で弄んだホールパーツを俺に差し出した。
今度はきっとお茶目ではない。
「…………」
俺はオヤジに促されるまま、自分の指をホールパーツに突っ込む。
ホールの内部はオヤジの指によってまんべんなくローションが塗られ、ぬくもっている。
俺はなんとも言えぬ気分になった。
転移した異世界で別の世界に転移させられた気分だ。
ありていに言うと、ネガティブな気分だった。少なくともエロい気持ちは微塵もない。
さすがに逃げる訳にもいかず、俺はホールパーツの中で指を動かした。
オヤジの指のぬくもりをローション越しに感じつつ、俺は、このサービスは全く失敗だ、と思った。
美しいラブドール達に感動したまま帰してくれれば良かったのに、と思った。
その時だった。
オヤジがおもむろに俺のTin-Tin(注:陰茎のこと)を触ったのである。
「!」
言葉にならぬ衝撃。
俺は男を知らぬ村娘のように(※男を知らぬというのは比喩ではない)身体をびくつかせ、反射的にオヤジを見る。
俺は目を疑った。何故なら、俺を見るオヤジもまた、衝撃を受けたような顔で俺を見ていたからである。
なんでや。
何故おっさんは驚いていたのか。
後になって、その時の出来事を追憶して、ようやく分かった事がある。
考えてみればさもありなん。俺のような非リアっぽい若い男がこんなところに予約してまで一人ラブドールを物色に来た訳だ。そこに冷やかしの意図が無いと言えば嘘である。
しかしそこはそれ、ショウルームには数十体と展示されている美女美少女を模した人形達がいる訳だ。例え冷やかしの客とはいえそれらを見れば大興奮間違いなしと考えるはず。極め付けにホールパーツにローション塗って指でまさぐっているこの状況。
おっさんは俺がナニをおっ勃てている事を期待したに違いない。
そして俺の冷やかしへの意趣返しといった意図でからかってやろうと、先述の奇行に及んだのであろう。
ところがどっこい、俺の股間に期待した反応がない訳である。
となればオヤジはどう思うか。
きっとこの時、オヤジは俺を不能と思ったに違いない。
「なにやってんの、駄目じゃないかぁ」
呆れたような声で、オヤジにそのような事を言われた。
俺はそばに置いてあったティッシュで、指についたローションを拭った。
日はまだ高かった。
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