第2話 彼の一年前

彼の家は世界でも有数のIT企業だった。彼はその家の一人息子であり、小さい頃から英才教育を施され、中学校をに上がる頃には、日常会話程度の英語と中国語を扱うことが出来た。そのように育てられた彼には、〈分からない事が許せない〉という極度の潔癖症よりも厄介な性格が自然に身についていた。

しかし、ある時彼にも大きな壁が立ちはだかったのだ。勉学に向いていた探究心が新たな方向に舵を取ったのだ。

誰にだってあるだろう。死んだらどうなるんだろうとか、なんで人は生まれたんだろうとか、神様っているのだろうかとか、思春期にありがちなスピリチャルな悩みが彼にも訪れたのだ。

彼はその厄介な性格ゆえ、答えというか、その疑問の落とし所を見つけなければ気が済ずにいた。自分で納得できる何かを定めなければ日常生活どころではない。すぐさま答えを探し始めた。

まず彼が考えたのは死んだらどうなるかについてだが、意外にも結論はすぐに出た。死んだ時に答えが確実に出る。死という誰にでも与えられる権利を彼も有しており、いつでも答えが求め出せることに安心感を覚え、ひとまず彼の中では決着がついた。

次に神という存在の有無だ。この答えは中途半端なものになってしまった。人間の思い描くような神はただの偶像であり、存在しない。証明は簡単だった。神に祈れば救われるというのならば、事故や事件で死んだ者は皆悪人になる。そんなことがあってはたまらない。この世は非情である。人を思い、真っ当に生きた人でも、簡単に無作為に命を落とす。だが、人を蹴落とし、美味い汁を啜って一生を安らかに終える人だっている。それは人の信仰する神の存在の反例であった。ここまではたやすく彼の中での落とし所を見つけることができたのだが、最後まで答えが出せなかったのが、人、生物の生きる理由だった。一般的な解答例で、幸せになるためなどと人は言うが、それを一つ一つ彼は潰していった。人が幸せになるから何なのだ?それにより幸福感という利を得るのはまた当然のように人なのだ。人の中でしかサイクルがなく、他には何の価値もない。道具は使い手という存在が価値を保証してくれてるように、価値とは他へと移って行くもの、それが彼の中の定義であった。自らのために存在することに価値をみいだせないのだ。生物の食物連鎖もそうである。他へと利が移っている点においては、小さな微生物から植物へ、植物から草食動物へ、たしかにこの流れには他への利が存在してる。

しかし、結局は草食動物が肉食動物に食われ、肉食動物の死骸を微生物が食べる。そのサイクルで生物は生きてる。これでは最終的には利が循環して自身らに帰ってきてる。これは人という規模が、生命という大規模なものに変わっただけで、結局は利が生命の中でまわってるだけだ。つまり生命が存続、繁栄することで利を得る、生命以外の何かが存在しない限り、人や生命の存在する理由にはならないのである。

彼は考え続けた。わからないでは済ませられない。

だが、答えは出ぬまま月日は流れていくばかりであった。

ある日、海外企業の会合に両親が呼ばれ、息子の彼も当然のことながら同行することになった。両親の仕事の関係上、海外に行くことはざらであった。

しかし、その行きの飛行機で事件は起きる。幾度となく飛行機に乗っていた彼には、その揺れが明らかに異常なものと感じ取れた。まだ目的地へは2時間ほどあるというのに、周囲の山肌が見える高さにまで高度が落ちている。死への恐怖で周りが怯えるなか、彼1人違うことに頭を支配されていた。そう、人の生きる理由である。死んだらどうなるかは、死ねばわかるが、生きる理由は生きていないと見つけられないものだからである。彼は何故か死を確信していた。ここで死ぬんだと、そう本気で思った。高度の急低下からの予測か、はたまた感覚的なものかは定かではないが、その時、彼の頭の中にあったのは。残された少ない試験時間に答案を出さなければならない事実だけであった。答えを出せなければ不合格。彼の人生そのものを否定されるに等しいものだった。

彼は残りの寿命を計算することもせず、悪魔の証明とも思える問題に挑んだ。

しかし、答えは導けなかった。人が人であるがゆえか、道具は自らの価値を知らず、水は巡り巡る意味を知らないように。

気がつくと汚い赤色の中にいた。どうやら海上に不時着しようとしたが失敗したらしい。彼の血、他の乗客の血、機体から漏れる燃料、それぞれが混ざり合い生き地獄とかしている。死が迎えに来る感覚を彼が感じ取ったのと同時に、手足をばたつかせ、生にしがみつこうとした。うまく水をかけないことに気がつき、右後ろに目をやるが、あるはずなものがない。右腕は半分ほどの長さしか無くなっていた。そのことに衝撃を受ける余裕もなく、ない腕を回し、慰め程度に付いている足をバタつかせ、ただ生存本能に従った。人は、いや生物とは本能というものに縛られており、自我なんてものもその延長線上にあるだけだと思いしらされた。足掻けば足掻くほど海は赤く染まっていき、彼は自分の体の感覚を失っていく。本能の鎖から解放され、死の答えを得られる慰めを迎え入れた。


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