感情
山お
第1話喫茶店にて
人は生命はなぜ生きているのか?なんのために?誰もが一度は考えるその疑問をなかなか寝付けない夜に考え、朝日が昇るころには、結局いつもどおりの一日に飲みこまれ忘れてしまう。そんな経験をしたことはないだろうか?
だが、それが当たり前でなんの違和感もない。なぜなら答えなどないからだ。こどもが、なんで?理由は?と、大人に対して質問をし、答えるたび質問してくる。そのうち大人は回答を見失ってしまう。そんな光景を誰もが目にしたことがあるはずだ。それと同じだ。そんなことを考えるくらいなら英単語の一つでも覚えた方がいいと、無理やりな答えでピリオドを人はうつ。
それは正しいのだろうか?
東京に住む一人の少女も例にもれず、その問いの事なんか忘れ、人生の花と言っても過言ではない高校生活を送っていた。白いシャツに、少し明度の低い赤色のカーディガン、その上に校章がついたブレザー、膝あたりの丈のスカートといったて平凡。人前に出るのは得意としていないが、割と社交的で、クラスのほぼ全員と友好的な関係を築いていた。そんな彼女も高校1年生、恋愛には疎い方だったが、はじめて気になる男子というものがいた。最近気が付くと彼を見ている。そんな自然の摂理と言わざる負えないこの行動に彼女は自分の中に芽生える新しい感情に気付かされたのである。
しかし、そんな彼は先程、クラスのほぼ全員と表現させた張本人でもあった。率直にいえば彼は陰気で内向的な性格だった。普通ならば気にもならないような彼だが、彼女は自分やクラスメイトとは違う異様な雰囲気を彼から感じ、彼に興味を持ってしまった。入学式から二週間とたつが、彼の声すら聞いたことがない。二人の間には未だ大きな距離が存在している。
そして今日もまた、なんのこともない一日が始まる。窓から差し込む日差しが生徒達の声と合わさり清々しい空気をつくっており、いつもと何のかわりもない時間が流れていた。
だか、彼女の心境だけは普段とはちがっていた。ついに今日、彼に話しかける決心を決めたのだ。人が決断するのに大きな理由や状況は必要ないのだ。花瓶の花は鮮やかに咲き、机や椅子は規則的に並んでいる。違っていたのは彼女だけだ。それを隠すかのように普段どおりを装い、彼の席に距離を詰めていく。足音と心臓の鼓動の音が別々にリズムを刻んでいる。
彼女は遠い道のりを抜け、本を読んでいる彼の席の横にポジションをえた。
彼女は頭の中で大事な第一声を復唱し、彼にアタックを試みる。
「なに読んでるの?」
ここ一週間考えた渾身のセリフだった。。彼女の緊張はピークに達していたが、これはスタートでしかない。すぐさま彼女は、次に彼がとるであろう行動をいくつも予想して、さらに自分のリアクションまでをも用意した。それはまるで天才ギャンブラーさながらの読みであった。
しかし、そんな努力とは裏腹に、彼はその想定を超えてきたのだ。彼は顔も上げず本をたたみ、その表紙を向けてきた。一瞬固まってしまった彼女だが、その行動の意味をすぐさま理解し、新たに自分のとるべき行動の答えを見つける。無愛想な反応だが、初めてコミュニケーションを取ることに成功したのだ。ここのまま本の内容に触れて彼の情報を聞き出すのが定石だろう。一瞬乱れた心を立て直し、平常を取り戻してきた彼女だったが、また窮地に追い込まれる。
彼が手に持つ本の表紙に書かれている文字は彼女の知識のなかを通り過ぎていってしまったのだ。明らかに馴染みのない文字が連なっていた。入念に考えた策を2度も破られ、フリーズ寸前の彼女だったが、必死に声を絞り出す。
「難しそうな本をよんでるんだね・・・」
悲壮に満ちた声がその場に残る。
彼女は、一旦その場からはなれ体勢を立て直そうとするが、その行動さえ彼に邪魔をされる
『俺に何の用?』
彼は彼女の目をまっすぐ見てそういった。
はじめて聞く彼の声は思っていたよりも低く男性らしさを感じさせた。だがそんな感傷に浸る間も無く、返答要求される。許容量の限界に達した彼女は思考が停止してしまった。やけくその思いで反応のまま自分のセリフを探し出す。
「今日の放課後、話しがしたくて」
彼女の中だけ時間が止まったような感覚に落ちていく。
彼女は、完全に混乱した頭と口が別々に行動を始めたかに思えた。顔を赤くして、うろたえていた彼女に対し、彼は落ち着いており、少し考えるそぶりを見せた後。
『坂の下の喫茶店にいるから』
静かにそう言うと彼はまた、本を読み始めた。その言葉を最後に彼女は1人の空間に戻される。理解するのに時間がかかったが、どうやら彼なりの返答をしてくれたらしい。心の中に感動とも言える、暖かい感情が込み上げてくる。春の風が教室の窓ガラスを揺らした。
そこからは上の空で、気が付くと彼への攻略法も考える間もなくホームルームが終わっていた。ふと焦って、彼の方に目をやるともうそこには椅子と机しかなく、そそくさと教室を後にしてしまったようだ。この無作法な彼の行動に対し、彼女は逆に、猶予が与えられたことに安堵していた。心を落ち着かせてスリッパから靴に履き替え彼の後を追おうと決心し、いつもより軽い教室の扉を開け、軽やかに廊下を歩く歩いていく。廊下にはすでに放課後特有の開放的な空気が流れていて、ホームルームが終わってから思ったよりも時間が流れていることに気付かされた。人通りの多い廊下を抜け、下駄箱に到着した。外からは太陽の香りを乗せた風が入ってきていて、春の陽気が校内にまで伝わってくる。すでに彼の靴の無い下駄箱を確認し、彼女も靴を履き替え彼の後を追う。校門を抜け、花びらを散らす桜の並木を少し眺め、街へと続く下り坂を下っていった。入学式のとき以上に期待と不安を抱えてこの坂を歩くことになるとは思ってもいなかった彼女には普段より傾斜が急に感じた。
少し坂を下れば見えてくる。モダンな雰囲気を醸し出しているそこは、とても女子高生が一人で入ろうとは思えなかった。足取りが重くなる彼女だったが、お洒落な色ガラスを散りばめた窓から見えてく。教室と同じように本を読む彼の姿を見て、安心感ともいえる思いが芽吹いてきた。坂を下り終え、喫茶店の前に立つと、思い切って重い扉に手をかけた。木目の滑らかな感触が手に伝わってくる。体を使い扉を開けると、ベルの音が鳴り、それに反応した彼が本から顔を上げた。彼女の姿をとらえると、本をしまい、人と会話する体制をとったように見えた。コツコツと木の床と彼女の黒い革靴がリズムを刻みながらからの元に近づいていく、彼の座っている窓際の席まで行き、空いている彼と向かいの席腰を下ろした。
テーブルの上に置かれているコーヒーの香りが2人を包み込む。彼女は心を落ち着かせ、言葉をさがす。
だか、その空気を壊すかのように、彼のが口を開いた。
『神様って信じてるか?』
彼の言葉は店内に響き、彼女の耳に入っていく。いきなりぶつけられた宗教勧誘とも思える彼の質問を正面から受け、彼女の方も思わず口を開いた。
「どういうことかな?」
単純な疑問を吐き出す。
『単純な興味本位で聞いてみたんだけど、どう思う?』
破天荒な彼を前に、難しい事をいちいち考えるのは無意味と判断した彼女は素直に質問に向き合って答えた。
「いるとおもうよ、今年は、受験の前にも祈願をしにいったし…」
思ったままの返答をかえした。
『それのおかげで合格できたと本気で思ってる?』
ぶしつけな質問を彼は続ける。
「ある程度はね。信じる者は救われるっていうし、盲信してるわけではないけど」
なぜこんなことを質問されているかわからないまま彼の質問にただ答えた。
『じゃあ、人はなぜ生きている?』
また何の脈絡もなく、彼から質問が投げかけられた。宙を漂っている質問をつかまえ、彼女は真剣に考えてみた。少し間が空いたのち、悩んでいる顔のまま彼女は口を開ける。
「わからない。人は分からないままで生きていし、つまりそれを探し続けることが生きてるってことなんじゃないかな?」
そう言った直後の彼女は口がものを考え、勝手に喋ったように思えた。きっと彼の前だと頭が上手く機能していないのだろう。
その時だった。彼のぶっきらぼうだった表情が一変し、新しい発見をした少年のような顔をしたように思えた。
少し上ずった声で彼は。
『今まで声をかけてきた相手に同じ質問をしてきたが、どいつもこいつも、幸せになるためだとか、愛するためだとか、素っ頓狂な答えばかりでいやになったが、いいせんをいっている。』
はじめて彼の顔が見えた気がした。今までとは明らかに違う姿に、彼女は恋愛感情よりも、彼という人間に興味が湧いてきた。
「あなたはどう思ってるの?」
単純な興味からでた質問だった。
『俺はその答えを知っている。』
彼は普段どおりの口調に戻っていた。
「教えてよ」
間髪を開けずに彼女がいう。
『順を追って話すが、自然の摂理って出来すぎてるって思わないか?』
彼はまた明後日の方向から言葉をとばしてくる。彼女は必死に意味を理解しよう全身に力を込める。
それに対し淡々と彼は言葉を繋いでいく。
『食物連鎖にしても、動物に備わる本能にしても、あきらかに生物が栄えるように出来ている。なぜだ?この世界に生物が増えたらなんになるんだ?』
普段の彼とはくらべものにならないほどの饒舌さだったが、こっちが彼の本質なのだろう。
確かに、生物の命は小さなもから大きなものへと続いて行き、最終的にはまた元の微生物たちに還元される。
彼女は彼の話しに聞き入っていた。
「その答えはなんなの?」
じれったいというような様子の彼女は思わず聞いてしまった。
『俺には答えを見つけられなかった。』
話の流れが途切れる。
「え…」
彼の不可思議な言動には慣れ始めていた彼女だったが、また意表を突かれてしまう。その様子を尻目に彼は話を続けた。
『そもそも、なぜ生きているか?なんて考えていること自体間違っているらしい、人間以外の生物はそんなことを考えないだろ。俺らの言葉だとバグとよぶらしい。』
彼女は彼の発言に違和感を覚えた。
「どうして急に人から聞いたように話すの?」
単純な疑問だった。
『人から聞いたわけでもないんだが、俺が気付いたわけでもないんだ。』
ますます彼のいうことがわからない。不穏な空気が流れ始めた。
『俺自身なんていえばいいか分からないが、仮にそれを神と呼ぼう。だが一般的に考えられている偶像と違う。もっと強大であり非力だった。当然だが人を救ったりなんかしない。』
いよいよ意味がわからない。彼を遠くの存在のように思い始めた彼女は、単純な疑問に従って口を開く。
「そんなものがほんとにいるの?」
素直な疑問を彼にぶつかると、
『存在する。少し話を戻すが、人の生きる理由を知っていると言ったが、正確には違う。神元まで行き回答を求めたが、〈わからない〉というものしか得られなかった。人間の知りえる限界までいったが、得たものは〈わからない〉ということだけだった。』
今までは彼のいってることがかろうじて理解できたが、ついにその器からこぼれ落ちてしまった。彼女は物事を整理しきれないまま彼に聞いた。
「その神様が人をつくったんじゃないの?それなのに理由は分からなかったの?」
少し顔をしかめて、彼は頭に手をやった。
『やっぱり神ってネーミングがよくないな。そいつは全知全能でもない。ただ生命のプロセスやシステムを理解し作っていたっていうのが、いいせんをいっている。』
彼女の頭はパンク寸前だった。なぜここにいるのかすらわからなくなってきてしまった。
「わからないわ。そんなものが存在するっていうの?」
心から言葉が漏れた。
その質問を待ち構えていたかのように彼は言う
『まあそう思うよな。証明してみせよう。俺はその生命システムへのアクセスできる。』
意味も分からない単語の前に彼女はスクリーンの中の出来事のようにさえ思えた。
『あの角を見てみろ』
彼の指さす先は、先程から悪い空気を発していた高校の不良グループの溜まり場としている席であった。そこだけ、外からの光が届いていないように思える。学校の近くの喫茶店だというのに煙草を吸っているのをみるに、学校側も対処しきれていないらしい。
『あいつらならそんなに良心も傷まないだろう。』
「何をする気?」
彼女の言葉を聞き流し、彼はおもむろに右の手のひらを彼らの方に向けた。何が起こるのか全く想像できない。彼女は固唾を呑んで見守っていた。
すると突然別々の行動をしていた彼らが何かに取りつかれたかのように殴り合いをはじめた。喫茶店に流れていた落ち着いた空気は一瞬で消え去り、野生動物の狩りをまじかで見ているような殺伐とした緊張感で店内を満たした。
数秒のうちに不良達の顔面は見る影もなくなっていった。
「やめて!」
耐えきれなくなり彼女が叫ぶ。
彼は顔色も変えずにそれを眺めていたが、彼女の声に反応してもう一度右の手のひらを彼らに向けた。すると鬼気迫る表情で殴り合っていた彼らが、糸の切られた操り人形のようにその場に崩れた。
店内の音は消え失せ、窓から入ってくる光が雲に隠され、黒い空間が出来上がった。たった数秒の沈黙がとても長く感じられ、言葉を取り戻した彼女が口を開く。
「あなたがやったの…?」
ふるえた声がよく響いた。
『うん。』
彼は平常通りの声色で答えたが、その場の状況とのギャップが彼の異常性を物語っている。
『信じてもらえた?』
彼は普通に問いかける。
「目の前で起こったことなのにまだ信じられない。」
まだ声は震えていた。
『じゃあ、もっかいやるか。』
と、また右手をかざすそぶりを見せる。
反射的に彼女は動いていた。
「やめてやめてやめて」
彼女は彼とくずれた不良たちの間に割って入る。
『冗談だよ』
はじめて見る彼の笑顔のなかに、底知れない悲しみが感じ取れる。
彼は席に座り直してこう言った。
『話そうか、生命について』
空はまだ曇ったままである。
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