第22話キャッチボールの基礎④

(っ! 今度は下過ぎたっ!)


 ぐぬぬ、と悔しげに眉を寄せた古義に「ドンマイ」と笑いながら、明崎は足元に転がり落ちた球を拾い上げる。

 驚いた。これまでの投げ方を忘れろとは言ったが、それはあくまで論理上の理想だ。例え古義が頭で理解して忘れようとした所で、長年の経験が染み付いた身体はどうしても今までの"記憶"が残る。なのに。


(……綺麗なもんだ)


 明崎の教えた通りのフォームを素直に体現してみせたどころが、ものの数球で"モノ"にしている。

 "勧誘"の時に見せたスウィングの対応といい、"勘"がいいのかもしれない。


「古義」


 おかしい箇所を探るように頭を捻りながら投球フォームを繰り返す古義に球を放り返し、明崎はネットから離れる。


「マグレじゃないみたいだし、キャッチボールしてみっか。あ、お前はさっきのグルグルやれよ。まわすの二回でもいいから」

「! ハイ!」

「あ、あと暴投怖いからオレがネット側なー」

「わかってますよ……。徐々に距離出してけばいいすか?」


 キャッチボールは近い位置から始め、一投毎に下がり距離をとっていくのが一般的だ。尋ねた古義に明崎は「おう。あ、でも古義はまだ遠投は禁止な」と釘を差し、ミットを数度叩いて構える。

 塁間よりも距離をとって行う遠投は、ステップを踏み力いっぱい投げるのでフォームを崩しやすい。

 暫く遠投はオアズケなんだろうな、と悲しみながらも頷いて、古義は明崎に向かって構える。

 いち、に、さん。


「っと」


 飛んだ球は明崎の顔の右側。「スミマセン!」と慌てて謝る古義に、「いちいち気にしなくていーぞ」と明崎が吹き出す。


「投球がブレんのは当たり前。お前はそれよりフォームを意識な」

「っす」


 頷いた古義に、明崎が軽くステップを踏み投げ返す。

 パシリ。高音を響かせてキャッチした古義の左手。グローブの中の人差し指と中指がジンと痺れる。


(っ、おもっ)


 軽く投げているのに届く球はズシリと重い。ボール本来の重さではなく、それだけ"威力がある"という事だ。

 盗塁を警戒する捕手は、ダイヤモンドの対角線にある二塁へ投げる機会が多い。さすがキャッチャーだな、と感心しながら古義は一歩下がり構えて腕を回す。


(そういえば……)


 明崎に球を放りながら、古義は疑問を浮かべる。

 教えてもらった投球フォームは、ボールを"地面側"に向けて回すという非常にコンパクトな方式だ。良く聞く一般的な投球フォームといえば、手首を返してボールを"空側"に向け、つむじの上から構えて振り下ろすというやり方だった気がする。


「明崎センパイ。こーゆー投げ方じゃダメなんすか?」


 記憶のまま再現して見せた古義に、明崎は「そうだなぁ」と考えこむ素振りをみせる。


「それでも悪くはないけどな。一応、理論上は"肘が下がらない"ってのと"上から振り下ろす"ってのが基本だから。ただ、そーやーって頭上で返す癖がついちゃうと、試合では致命的な"ロス"になるんだよ。こう、グローブからボールをとって耳元に引き寄せてそこからさっきみたいに"つ"で投げんのと、頭上に振り上げるには差分が出るだろ?」

「あ、ホントすね」

「人間の構造上、"つ"で投げる場合でも投げる瞬間は自然と手首は上側に向くし、一応オレはコッチ推しかな」


 肩を竦める明崎に、古義は「そーなんすね、あざっす」と頭を下げる。

 高丘にも告げた通り頭は良い方ではないが、こうしてキチンと理解した方が身体は素直に動くものだ。


(ロス、か。なるほどなぁ)


 ほんの一瞬の差だが、その"一瞬"で勝敗が決まる事もある。

 そこまで深く考えたことはなかったな、と古義は反省しながら構え、回して、投げる。


「なぁ古義、やりたいポディションとかあるか?」


 キャッチボールを続けながら明崎に問われ、古義は首を左右に振る。


「いえ、今んトコ特にココってのは……」

「そっかぁ……これまでのポディションは?」

「中学ん時はいくつかグルグルしてましたけど、結局ライトに落ち着きました」


 ライトというのは一塁と二塁の間、ポディションでいうとセカンドの後ろに位置する外野手の事だ。

 まぁ、落ち着いたというのもレギュラーではなく二軍としてだった訳だが、その話は再三しているので改めて口にする必要もないだろう。

 頭の中で思案しているのか、「ふんふん」と零した明崎から球を受け取る度に、古義は一歩後退していく。

 それなりに距離が出てきた。ふと隣を見遣ると、薄汚れた二塁ベースが見える。

 明崎は三塁ベース側の延長上にいるので、今が丁度塁間といった所だ。


(ソフトの塁間ってこんなもんなんだ)


 野球の三分の二くらいだろうか。これまでの長さに慣れている古義からしたら、随分と短く感じる。

 とはいえ、そもそもボールの重さが違う。まだ投球も届いてはいるが、ノンステップでは辛くなってきた。


「明崎センパイ! ステップ使っていいっすかー!?」

「いいぞー! 肘、一回にして、ゆっくりなー」

「ハーイ!」


 明崎の許可を得て、古義はゆっくりと右腕を回しながら軽くステップを踏む。

 腕の回し方も大分馴染んできた。肘と肩に違和感が無いことを感覚で確認しながら、明崎が胸元に構えたブローブ目掛けて球を放る。


 スパーン!


 気持ち良く響く高音。けれどもこれは、けして古義の投球に勢いがあったわけではない。

 明崎の"取り方"が上手いのだ。こういう部分で明崎の捕手としての技量の高さが伺える。

 良い音は投手の気分を"上げる"、大事な技術の一つだ。

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