第10話入部③
「……昨日、余計な事を言ってしまった」
「昨日? えー…なんか言われたっけ」
「……野球の事だ」
「っ、ああ、それな」
途端に困ったように寄せられた眉。
余計に蒸し返してしまった、と後悔をする大道寺に、古義は呆れたように小さく笑む。
なんて事ない、些細な疑問だった筈だ。大道寺が気に病む必要など、一切ないのに。
(ま、真面目ってコトなのかもだけど)
「お前ってさ、頭イイけど損するタイプだよな」
「さぁな。今までそういった経験はない」
「そーですか」
ここまで心配をしてくれるんだ。いっそのこと、全力で頼ってみようか。
よし、と覚悟を決めて、古義は唐揚げをひとつ摘むと向かいの大道寺の弁当箱へコロンと転がす。
眉間に皺を寄せた大道寺の奇妙なモノを見るような視線に耐えつつ、古義は口端をつり上げる。
「……なんだコレは」
「賄賂」
「は?」
「放課後、時間ある?」
「……大丈夫だ」
「うし、じゃあその唐揚げ食ってよし」
「それじゃ賄賂じゃなくて褒美だろうが」
やるならちゃんと最後まで設定を通せ、と唐揚げを齧る大道寺に適当な返事を返して、古義も残りの弁当かきこむ。
どうせもう、悩んでしまった時点で無かった事には出来ないのだ。
それならせめて、脳の容量が大きい大道寺なら、少なくとも自分よりは"正しい答え"に導いてくれるだろう。
(……しょーもな)
自分の決意の弱さにも、他人に救いを求めるズルさにも、ウンザリする。
胸の内の蟠りと共に最後の一口を飲み込んで、古義は空になった弁当箱に蓋をする。
少し遅れて綺麗に完食した大道寺も同じく片付けながら、「唐揚げ、美味しかった」と添えてくるのは育ちの良さからだろう。
「そ、母さん喜ぶわ」
「午後、寝るなよ」
「うーっす」
途中ハプニングが起きたお陰で、午後の従業開始まであと十数分。小包を抱えて自席へと戻っていく大道寺に、古義はヒラリと手を上げる。
いつもなら、程よくこなれた満腹感と暖かな春の陽気に誘われて、うつらうつらと空想の世界へ旅立つのが習慣だ。
けれど今は。ザワザワと喚き立つ灰色の思考が邪魔をして、そんな気分にもなれない。
(オレって実は繊細なのかも)
なーんてな、と一人心の中で突っ込みを入れ、教壇に立つ先生の低音を右から左へと流していく。
暇だから、という理由でしっかりノートも書き写していれば、覗き込んだ先生は目を丸くして二度見していた。
――たかが、部活。
高校三年間といっても、夏には引退だ。
プロを目指すわけでもない生徒にとっては、実質二年とちょっとの、"青春"という名の"暇つぶし"でしかない。
捻くれた考え方。自覚はあるが、一度折れた人間は卑屈な思考回路になるものだ。
『きっとかずちゃんも、楽しめると思う』
諭すように微笑んだ、小鳥遊の"感想"。
何を根拠にそう判断したのかはわからないが、少なくともこの鬱々としている古義本来の姿は知らない筈だ。
(楽しめる、ねぇ)
人数の少ないマイナーな競技。確かに昨日接した部員達は仲が良さそうな印象だった。
仲良しこよしの"なんちゃって部活"。そう、思うのが普通だが、小鳥遊の示した"楽しめる"は、そういう意味ではないだろう。
緻密な高丘の送球、そして"恭"と呼ばれていた彼のドロップ。どちらも技量の高さが伺える点から推察するに、きっと彼らは、"本気"だ。
(……オレが行っても、迷惑だろ)
明崎は「ほんの少しでも"ワクワク"したなら」と言ってくれたが、軽い、遊び半分の気持ちでは、彼らに失礼だと思う。
そう、思ってしまうのは、実らないながらも"本気"を歩んでいた経験が起因しているのだろう。
終了のチャイムが鳴り、休憩を挟んでもうひと授業。
同じく堂々巡りの葛藤を続け、あっと言う間に終わりを迎える。
ホームルームが終了し残る生徒が疎らになってきた所で、前方に座っていた姿勢の良い背がカタリと立ち上がった。
近づいて、見下ろす眼鏡の奥には微かな戸惑い。「ま、座れよ」と上体を伸ばして前方の椅子を引いた古義の顔を観察して、ゆっくりと腰掛ける。
「……何があった」
眉を潜める大道寺に、古義は黙って机にプリントを乗せる。
『仮入部届け』と印字された太字の下の枠内は、勿論、空白のままだ。
「昨日、男子ソフト部に行ったんだ」
「……」
「最初はさ、最後にひと目だけって思って、ケジメのつもりで野球部を眺めに行ったんだよ。そこでたまたま、ソフトボール拾って。相手、センパイだったから断れなくてさ。適当に付き合って、さっさと帰ろうと思って」
手元へと視線を落としたまま、ポツリポツリと落とされる言葉に大道寺はただ黙って耳を傾ける。
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