第7話勧誘⑦

(……へぇ)


 ニヤリと口角を上げたのは明崎。

 ボールがミットに収まってからすっかり数秒が経過しているというのに、構えた姿勢を崩さずにいる古義の表情を盗み見て、自身の予感の的中を悟る。

 大きく見開かれた瞳孔に、強く滲む熱中。これは、やっぱり。


(うっし)


 球を投げ返して、足の間でいくつか指を動かす。

 試合用のサイン。気づいた彼--蒼海恭輔(あおみきょうすけ)はピクリと眉を跳ね上げ、続いて思いっきり顰められた眉間に明崎は小さく吹き出した。

「一球だけだと言っただろ」とか「話が違う」ってトコかな。アタリをつけつつも、引き下がるつもりはない。

 もう一度「頼む」と思いを込めて、明崎はサインを繰り返す。

 根負けしたのだろう。チラリ、と視線だけを動かして古義と明崎とを順番に確認した蒼海は諦めたように息をつき、グローブの中で球を握り直して、再びセットポディションをとる。


(……なんで、こんなヤツに)


 もう一球、というのも不満要素の一つだが、それよりも。

 明崎の、サインは。


 再び構えた蒼海が視界に入り、脳で理解するよりも早く古義の身体が反応する。

 握りしめたグリップ、凝視する彼の投球フォーム。構えていたバットを寝かせるように手首を返し、重心を右足へ。

 放たれた白球が、自身に向かって伸びてくる。


(--きたっ!!)


 当たると思っていた訳ではない。

 けれどもバットが大きく宙を切ったのは、その速さに対応出来なかっただけではない。


「!!!!????」


(なんだ!? 今の!!?)


 一球目と同様に綺麗に伸びてきた白球が、ホームベースの少し手前で突然上から押されたようにクンと軌道を変えたのだ。

 見たことのない、落ちる球。


「ドロップ」

「!?」

「初めて見ただろ、落ちるの。ドロップっていうソフトボール独特の変化球で……」


 立ち上がった明崎はマスクを外し、手元で球を回転させながら軽く宙に放り、受け止める。


「恭の一番の"決め球"ってやつ」


 ニッと笑ってミットへボールを収めると小脇へ挟み、呆然と目を見張る古義の頭から「えいや」とヘルメットを奪い、黄色く変色した両手からバットを取り上げてやる。

 されるがままの古義の頭をワシワシと撫で、潰れていた柔らかい髪に空気を含ませると、拾い上げた古義の鞄をその胸元に掲げて、


「以上で"勧誘"終わり! ありがとな」

「あ……」


 古義が違和感に気づいたのは、鞄を両手で受け止めてから。重みにジンと響いた痛みに、そっと両手を開いてみる。

 赤く色づいた皮膚。ジンワリと汗ばんでいて、微かに震えている。


(……手、熱い)


「もし、さ」

「っ」

「ほんの少しでも"ワクワク"したなら、いつでも歓迎するから」


 ポン、と叩かれた肩。


「またな、古義」

「……うす」


 煩いままの心臓が全身へ熱を送り続けていて、まだどこか思考がハッキリとしない。

 目に焼き付いた白球の軌道を脳内で繰り返して、古義は鞄を抱えたまま手に残る感触を握りしめる。

 こみ上げてくる感情は、一体なんなのだろう。


(……アイツ、どっかでコケないかな)


 フラフラと覚束ない足取りのまま去って行く古義の背をハラハラと見送りながら、明崎は古義から奪い取ったヘルメットとバットを地面に降ろした。

 古義が野球経験者なのは間違いない。たぶん、何かワケありなんだろう。でも。


「……"嫌いになった"ってワケじゃなさそうだな」

「オイ、優」

「あ、恭。お疲れさん」


 呼ばれた名に振り返れば、案の定、不機嫌オーラ駄々漏れの蒼海が仁王立ちで明崎を睨みつけている。

 あははーと苦笑を返しながら近寄って、そのグローブへとボールを直接収めた。


「……お疲れ、じゃない。どーゆーつもりだ」

「いやーだから"勧誘"だって……」

「一球だけだと言っただろ」

「あーうん、その予定だったんだけどねー」


(あちゃーやっぱり怒ってる……)


 明崎はポリポリと頬を掻き、「ゴメンゴメン」と繰り返して、


「なーんかさ、そーゆー感じだったじゃん?」

「……どんな感じだよ」


 もういい、と大きく息を吐いて蒼海は、それ以上の追求を諦めた。

 この明崎という男は、観察して観察して、察知した直感に従い動く人間だ。言葉での説明を求めた所で、自分には理解出来ない類が多い。

 そしてこの感じだと、本気で先程の"ビビリ"を勧誘したいようだ。


「……中途半端な気持ちで来られても、お荷物なだけだぞ」

「そんなコト言うなって。だれでもキッカケは、小さな好奇心だろ? それに、今の人数じゃいざって時に困るしな」

「いざって状況にならなきゃいい」

「鬼教官かよ」


 ズビシと裏手で宙を突っ込んで、明崎は「でもまぁ」と言葉を続ける。

 ほんの、冗談だった。あの眼に灯った僅かな熱に、好奇心が燻っただけで。けど。


「振ったな、アイツ」

「……」

「まさかホントに、振るとは思わなかった」


 つい、ではない。あれは最初から、"狙って"いる構えだった。

 思い返して嬉しそうな笑みを零す明崎に、蒼海は息をついてグローブの中のボールを手に取る。

 これは確信のある表情だ。どうせ、面倒なコトになる。


「……手、空いたんならうけろよ。ネット相手は飽きた」

「あ、オケオケ。メット置いてくっから、ちょっと待ってな」


 カチャカチャと小走りで離れた明崎は外したメットとマスクを転がし、先程と同様に置かれたホームベースの後ろへと戻る。

 蒼海は投球位置へ戻りながら、フォームチェックを重ねているようだ。

 明崎はのんびりとしゃがみ込み、んーと片腕を伸ばしながら蒼海のタイミングを待つ。

 先程のドロップはとてもキレていた。偶然、だとは思うが。


(なーんだかんだで、蒼海もまんざらじゃないのかも)


 古義がバットを振った瞬間、蒼海が驚愕に目を見開いたのを明崎は見逃さなかった。

 同時に纏ったオーラからは嫌悪が消え、微かな好奇がチリリと灯ったのも。

 だといいなーと思案しつつ、セットポディションに立った蒼海にミットを構える。

 絶対ではない、半分以上は期待だ。けれども"また"と口にしたくなる程に、古義の反応は"良かった"。


(……さて、どう転ぶかな)


 蒼海の振り上げた腕を視界に入れて、明崎は緩んだ思考を引き締める。一瞬でも気を抜けば、蒼海の球は綺麗に捕れない。

 リリースされた球体に全神経を集中させ、明崎は青空の下でで高音を響かせた。

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