劉裕論60 民国 蔡東藩 2

劉裕りゅうゆうの足取りをたどると、当時の情勢を深く理解し、その上で深き知勇を示しているのがうかがえる。彼に及ぶものがいるならば、それは非常の人と呼ばれよう。


大峴山たいげいさん南燕なんえんに至るための險阻の地である。劉裕はこの要害の地を慕容超ぼようちょうが守らないと見抜き、もし見立てが外れれば大損害が出るのも承知の上、通過してみせた。この結果兵糧の多くを出征先で賄うことが叶い、ついには南燕の地を獲得した。


新亭しんていの川港を攻め立てられれば、建康けんこうの陥落は不可避であった。しかし劉裕はこの港を盧循ろじゅんが攻撃しないと見抜き、あえて遷都謀議を退け、死しても引かぬ意志を示した。この結果建康の防衛に成功した。何無忌かむき劉毅りゅうきが軽率に戦いを挑んでは破れ、孟昶もうちょうが自らの「過失」によって怯え上がった中、慌てたり怯えたりもしなかった劉裕と、どうして比較できようか。


言うまでもなく、劉裕こそが一世の雄である。あのクソ曹操そうそうの後、そう呼ぶに足る存在は、劉裕をおいて誰がいるだろうか?



ぼく:何無忌を「軽率に戦った」って言ってやるなや……豫章なんていう「通り道」にいる以上迎撃はせにゃあかんかったやろ……。

 にしても曹操をあえて「阿瞞あまん」って呼んだりとか、曹操に対するヘイト、ひいては劉裕に対するヘイトを隠そうとしてなくて素敵です。まぁ、確かにどちらも the great china 、すなわち「天下統一」には遠く及ばない以上、蔡国藩にとってはともにクソ、となるのかもしれませんね。クソの中でマシなのがこの二人、的な。




劉裕でなければ五斗米道ごとべいどうしょく譙縱しょうじゅうを討伐することは叶わなかったであろう。盧循ろじゅん孫恩そんおんより優れていたが、徐道覆じょどうふくは更に優れていた。番禺ばんうより北上、建康けんこうに至るまでの各地を制圧し、一時は荊州かいしゅうさえ包囲した。まさに東晋とうしんにおける獅子身中の大虫と化していたわけである。


ひとびとは盧循の敗北が徐道覆の計略を用いなかったためとしている。しかし竹里ちくりの戦い(※雷池らいちでも戦っているが、火計を食らったのはその南、竹里)においては徐道覆が参戦していたにもかかわらず、火計への備えもなさぬまま防備を固め大敗、始興しこうに逃れ、廬循に先んじ殺されている。どうしてその知にて劉裕を破りうることがあったろうか!


譙縱は成都せいとに拠点を置き守りを固めていた。かつて劉敬宣りゅうけいせん率いる軍が黃虎こうこにて攻撃を諦めたように、その天険はまさしく頼るに値するものである。そこに朱齡石しゅれいせきらが、今度は軍を三つに分けて進攻。しょく軍の判断を誤らせ、破竹の勢いで成都に到着、譙縱及び敵将らを討ち果たした。このとき敵将を倒したのは確かに諸将であったが、その絵図を引いたのは劉裕であった。箱に入れて封印してあった作戦指示書は、さながら千里の彼方から戦場を覗き見たかのよう。なんとも途轍もなき武略持てる梟雄ではないか!


劉毅りゅうき諸葛長民しょかつちょうみんを殺すに至っては、一投足のうちにそのふたつ首を取っている。なんと周到にして迅速であろうか!


ただし、確かに盧循、徐道覆、譙縱の討伐こそ公、晋の国体や権威を守るための戦いであると言えたが、劉毅や諸葛長民を殺すことについては、完全に私心に発するものだと言える。


しん司馬昭しばしょうが魏より簒奪をする心づもりであったとは、通行人ならば誰でも知っていると言われていた。このときの劉裕についても同じような状況であったろう。ならば私心に発する誅殺も、どうして簒奪を待つ必要があったであろうか。



ぼく:劉毅への強襲〜殺害については、あれ心底正当な理由が見出だせなかったりするんだろうなあ。だって劉毅が本当に劉裕と戦おうとするなら、もっと宋書にも「あいつは倒されても仕方ないやつなんだ」って書かれるはずですもの。頑張って「嫉妬してました」みたいに語るのが関の山とか、マジ地獄。そいつを押し通せるだけの権力を持ってたのか、あるいは劉毅という権勢勢力がいなくなることによって押し通せるようになったのか。どちらかと言えば後者のように思える。




觀本回之敘劉裕,備述當時計議,益見其智勇深沉,非常人所可及。大峴山,南燕之險阻也,裕料慕容超之必不扼守,故冒險前進,因糧於敵,卒得成功。新亭,東晉之要害也;裕料盧循之必不敢進,故決計固守,效死勿去,卒能卻寇。蓋行軍之道,必先知敵國之為何如主,賊渠之為何如人,然後可進可退,能戰能守。彼何無忌、劉毅之輕戰致敗,孟昶之怯敵自戕,非失之躁,即失之庸,亦豈足與劉裕比耶?裕固一世之雄也,曹阿瞞後,舍裕其誰乎?

第三回 伐燕南冒險成功 捍東都督兵禦寇

https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&chapter=956097


非劉裕不能破盧、徐,非劉裕不能平譙縱,盧循智過孫恩,徐道覆且智過盧循,往來江豫,盤踞中流,實為東晉腹心之大蠹。議者謂循之致敗,誤於不用徐道覆之言:然大雷一戰,徐亦在列,胡不預備火攻,嚴師以待,且敗走始興,先循被殺。彼嘗欲身為英雄,奈智不若劉裕何也!譙縱據有成都,負嵎自固,劉敬宣挫師黃虎,天險足憑。乃朱齡石等引軍再進,多方誤蜀,破竹直入,殺敵致果者為諸將,發縱指示者實劉裕。錦函之授,遠睹千里,裕誠一梟傑矣哉!至若殺劉毅,殺諸葛長民,一揮手而兩首懸竿,何其敏且速也!然討盧循、徐道覆、譙縱,猶似近公,襲殺劉毅、請葛長民,純乎為私,司馬昭之心,路人皆知,寧待至篡國後哉!

第四回 毀賊船用火破盧循 發軍函出奇平譙縱

https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&chapter=706705

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