劉裕論61 民国 蔡東藩 3

司馬休之しばきゅうしらに謀反の意図はなく、ただ司馬文思しばぶんしの些細な乱行によるとばっちりを受けたに過ぎない。劉裕りゅうゆうより罪をなすりつけられ、遂には江陵こうりょうでの襲撃を受け、武関ぶかんを抜け後秦こうしんに亡命した。秦は亡命者を匿った罪を劉裕に責められているが、受け入れたものはみな劉裕個人にとっての敵であり、決してしんの敵ではなかった。むしろ姚興ようこうが受け入れていったのは仁者の振る舞いであった、とすら言えよう。


史書では姚泓ようおうを孝友寬和にして師を尊び学びを好む、まさしく文にて守勢を行うに相応しい素質を備えていた、と書かれている。悲しきかな、その仁は柔和に過ぎ、武断を振るうだけの英知までは備えていなかった。そのため国内では兄弟同士の争いを抑え込みきれず、国外では外敵よりの侮りをはねのけることが出来なかった。そうしてついに劉裕の前に額ずき、未央宮びおうきゅうを明け渡し、建康けんこう市街で処刑された。(弱肉強食,由來已久,固無所謂公理也。:よくわからん。弱肉強食が世の理と言われて久しいが、それを常識と言ってはならない、とかだろうか?)


王鎮惡おうちんあく沈田子しんでんしらは劉裕を補佐して秦を攻め、身の危険も顧みず潼関どうかんに攻め寄せた。智勇の士を言わぬわけにもゆくまい。しかし、どのように挙げた功績が大きく、多くの敵を葬ったとは言え、既に上官に裏切られていると理解しながらもお国のために戦いを挑んできた趙玄ちょうげん蹇鑒さくかんの姿を見て、恥じ入ろうとはしなかったのか!


賢い猛禽は頼るべき止まり木を選ぶ。同じように、良き臣下は頼るべき主を選ぶ。王鎮悪や沈田子のごとき連中を許褚きょちょ典韋てんいのごとき存在と同列にして語ろうとは、讃えようとして、かえって過去の英雄を辱めるに過ぎぬではないか! 当話を読み、私は嘆息を禁じ得ぬのである。




劉裕には何人かの子がいたが、みな年若く、幼かった。劉裕が国の大権を握ると子供らに各地を統治する将帥として任じたが、そんな彼らが、どうして与えられた任務をこなし切ることが出来ただろうか。


それがわかっていながらも、あえて劉裕は子らを地方に派遣した。ここには二つの要因を推測できるだろう。一つは子らの所在を分散させ、本家に何かがあったときの備えとした。そしてもう一つは各地で発生する将吏らの謀反の気配を早期に鎮めること、である。


劉裕が整えた晋帝のための諸制度は、あくまで自らのためのものであり、すでに久しく晋の皇室を奉じるためのものではなくなっていた。しかし幼子では到底国土なぞ守り切れまいし、その虚飾の権威のみで、いかほど地方の人間を押さえ込めるだろうか。


実際のところ、すみやかに手に入れた関中はすみやかに失陥した。更に劉裕が頼みとしていた爪牙は同士討ちの末喪われ、息子の劉義真りゅうぎしんもあわや蛮族の手に落ちかけさえしている。天下の運営を独占しようとしたところで、為し遂げるのは難しい。この一件を見るだけでも、どうしてそれがあり得ないと言うことが出来ようか?


恭帝きょうていに禅位を迫っておきながら、はじめ何度か偽りの辞退の意を示して人を欺き、いざ譲位を受け入れたら、すぐさまもと皇帝を殺害し、その国を奪った。その猛禽のように狡猾な計画は、曹操そうそう司馬懿しばいと比較してみたところで邪悪さが極まっている。


(魏晉已導於前,裕乃起而踵於後,青出於藍,冰寒於水,固非偶然也。顧晉之得國也如是,其失國也亦如是,天道好還,司馬氏其固甘心哉!:まるまる意味がわからない。)




司馬休之並無逆跡,第為文思所累。得罪劉裕,遂致江陵受禍,西走入秦,秦雖屢納逋逃,然所納諸人,皆劉裕之私仇,非東晉之公敵,來者不拒,亦仁人所有事耳。史稱秦主泓孝友寬和,尊師好學,似亦一守文之主,誤在仁柔有餘,英武不足,內變未靖於蕭墻,外侮復迫於疆場,卒至泥首獻闕,被戮市曹,弱肉強食,由來已久,固無所謂公理也。王鎮惡、沈田子等,助裕攻秦,冒險入關,不可謂非智勇士;然立功最巨,致死最速,以視趙玄蹇鑒,且有愧色矣!良禽擇木而棲,良臣擇主而事,彼王、沈諸徒,胡甘為許褚、典韋之流亞,而求榮反辱耶!讀此當為一嘆。

第五回 搗洛陽秦將敗沒 破長安姚氏滅亡

https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&chapter=119117


劉裕數子,年皆童稚,裕各令為鎮帥,豈不知其不能勝任,而漫為出此者,有二因焉:一則為分封子姓之預備,二則為鎮壓將吏之先機。裕之帝制自為,目無晉室也,蓋已久矣,然稚子究未能守土,虛聲亦寧足制人,觀關中之乍得乍失,自喪爪牙,幾至委義真於強虜之手,天下事之專欲難成者,何一不可作如是觀耶?至若脅晉禪位,由漸而進,始則佯為遜讓以欺人,繼則實行篡弒以盜國,其心術之狡鷙,比操懿為尤甚,魏晉已導於前,裕乃起而踵於後,青出於藍,冰寒於水,固非偶然也。顧晉之得國也如是,其失國也亦如是,天道好還,司馬氏其固甘心哉!

第六回 失秦土劉世子逃歸 移晉祚宋武帝篡位

https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&chapter=80380




劉裕は確かに不世出の英雄だった、しかし天意に沿わず晋の国阼を踏みにじった、が大枠のようですね。そうするとやって来るのは「だから南朝はその後衰えていったのだ」という感じかな。はじめに示した Make China Great Again の観点からすれば、南朝の滅亡を決定づけたのは劉裕だ、位は言いそうです。



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