劉裕論59 民国 蔡東藩 1

蔡東藩さいとうはん(1877-1945)「南北史演義」

まー「演義」なので厳密には歴史評論じゃないんですけどね。ただ演義ってやつは、より作者にとっての歴史観がくっきり出るもんでもあります。このお方は清末民国期に生きた人で、前漢から民国までを通貫して「演義」として書き切られた化け物。当時は西欧列強による中国の蚕食が激しく、「中華民族」のアイデンティティが深刻な危機に陥っていた。そういうのから立ち直らん、とこれらの演義ものを著したのだそうです。では、そこにあるのはおそらく Make China Great again となるのではないでしょうかね。




桓玄かんげんがひとたび乱を起こしたところで、劉裕りゅうゆうはそのわざわいに乗じ決起した。これらは孟子もうし離婁りろう編上にあるかわうそやハヤブサのようなものではないのか。かわうそは魚を淵に追い詰め、ハヤブサは雀を草むらに追い立てる。桓玄が死んで劉裕は貴人となった。桓玄はもとよりハヤブサではあるまいが、かわうそではあった、とは言えるのかもしれぬ。


大抵の梟雄は、その事業の始めに絶大な功績を挙げ、人心を大いに驚かすものである。そうして国内外を心服させ、自らの思うがままに政府を動かして国を骨抜きとする。王莽おうもう司馬懿しばいといった連中で、それをやらなかった者はおるまい。劉裕りゅうゆうは王莽や司馬懿の同類である。桓玄が皇帝にのし上がるよう促したのだから。なんと桓玄は愚かで、なんと劉裕は賢明であろう!


安帝あんてい建康けんこうに帰還したとき、報賞が功臣に与えられたが、劉裕はその筆頭であった。しかし再三にわたる辞退をなし、為し遂げた功に居座り続けようとはしなかった。


とう白居易はくきょいが歌っている通りである。「未だ幼い成王せいおうの代わりに国権を担った周公旦しゅうこうたんは日々流言飛語に悩まされていた。王莽おうもうは身分が低いときは恭順謙譲の徒として讃えられていた。若い頃からまさに死なんとするときまでを通して見なければ、その者が忠臣であるか、奸臣であるかなぞわかったものではない」。私はこの詩に接するとき、どうしても劉裕のことが思い起こされてならぬのである。




桓玄一亂,而劉裕即乘九而起,是不啻為淵驅魚,為叢驅雀,玄死而裕貴,玄固非鸇即獺也。大抵梟桀之崛興,其始必有絕大之功業,足以聳動人心,能令朝野畏服,然後可以任所欲為,潛移國祚於無形。莽懿之徒,無不如是。裕為莽懿流亞,有玄以促成之,玄何其愚,裕何其智耶!至於安帝返駕,封賞功臣,裕為功首,而再三退讓,成功不居。「周公恐懼流言日,王莽謙恭下士時。假使當年身便死,一生真偽有誰知?」我讀此詩,我更有以窺劉裕矣。


第二回 起義師入京討逆 迎御駕報績增封

https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&chapter=275163




はーい劉裕の簒奪がこのとき既に既定路線とか無茶なこと仰ってます。いやそりゃ最終的に簒奪したってのは確かでね、白居易の詩を引けば、そういう評価になるのはやむを得ないですよ、ただ桓玄打倒の段階でそれを志していたはさすがに無茶。恐いな、こんな決めつけを早い段階でぶちかます方の歴史評論か……「お前は歴史に何を学んだのだ」と思わざるを得ない……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る