劉裕論58 清 乾隆帝 下

しん賈南風かなんふうの乱政より始まって八王が次々と乱を起こし、前趙ぜんちょう後趙こうちょうが中原を荒らし、人々は苦難のさなかに陥った。そこで元帝げんてい建康けんこうを拠点とし、晋を継承、中興を成し遂げた。ここでは王導おうどう周顗しゅうぎがプランを立て、卞壼べんこん顧榮こえい賀循がじゅんといった人物らが政を分担して掌握、祖逖そてき劉琨りゅうこんがそれぞれ勇猛なる兵を率いた。


ここで元帝が強く国体回復の志をいだき、自ら呉楚ごその兵を率い、暴虐の徒を排除する軍を興し、速やかに前趙や後趙を排除し、天下を清めることができれば、晉の王業は長らく保たれ、天下は平和を取り戻したことであろう。しかし東遷後いたずらに月日を掛けてしまい、やがて鄙地にて安息してしまった。この時に識者らは晋の天下再統一が叶わぬものとなったことに気付いたであろう。


その晚年にいたり、ついには王敦おうとんの乱を蒙り、悔恨を抱いたまま死んだ。明帝めいていは若い頃から聡明さを示していたが、早くに亡くなってしまった。君子はその早き喪失を悲しんだものである。成帝せいていのときには蘇峻そしゅんの乱が生じるも、温嶠おんきょう陶侃とうかんにより平定された。また卞壺は国のために忠義を尽くした末の犠牲となった。彼は下手に皇帝高官におもねることもなく、慎んで民を愛した。まこと当世のよき人であったと言えよう。康帝こうていは国体を継承されるも間もなく亡くなったが、このときに国は大きく動揺することはなかった。


穆帝ぼくていの世にいたり、桓温かんおんの権力が増大化した。哀帝あいていもまた短い在位期間にて亡くなり、また海西公かいせいこうに至っては、ついに桓温より廃され、司馬しば氏の権勢はいよいよ衰えた。


簡文かんぶん孝武こうぶ安帝あんていといった帝に至ってはなんとなく上座に座るのみであった。このため政は粗末なものとなり、権勢を傘に着た奸賊も多く出現した。そしてついには恭帝きょうていに至り、天命が司馬氏より劉氏に移ってしまったのである。


あぁ! 創業とはなんとも難しく、守成もまた易しくはないものである。思うに、人君が賢人を用い諌言を受け入れられれば、天下はおのずと安んじ、国家は永らく堅固となるものである。晉氏の君臣は浮虚にして無用の言葉を弄することばかりに追われ、段々と風紀が乱れていった。そのために王敦、蘇峻、桓温、王恭おうきょう殷仲堪いんちゅうかんといった輩が次々に乱を起こした。このときに、王導おうどう、温嶠、陶侃、謝安しゃあんといったような君子がいなかったならば、果たして建康は保ち置けたであろうか。ましてや危機から安定を引出し、天下の再統一なぞ成し遂げきれたであろうか?


東晋の勢いが最も盛んであったのは、劉裕りゅうゆうのときであった。その劉裕が国に忠心を抱かず、簒奪を目論むようになったのは、君子が返す返すも嘆くところである。




東晉總論

晉自賈后亂朝,八王迭起,劉石交亂中原,人民塗炭。元帝據江左之地,繼而中興。是時有王𨗳、周顗為之謀,卞壼頋榮賀循之徒分掌庶政,祖逖、劉琨各擁雄兵。使元帝果有恢復之志,親統荆吴之衆,興除暴之師,速誅劉石,克清天下,則晉業永安,六合為一。而乃遷延日月,苟圖偏安,識者於是知晉業之不復振矣。及其晚年,復有王敦之亂,以致懐恨而崩。眀帝少而聰敏,躬殄大憝,然歴年不乆,君子惜之。逮及成帝,内有蘇峻之亂,頼温嶠陶侃、卞壺忠勤為國,社稷無虞,然勤儉愛民,亦當世之令主也。康帝享國日淺,國家無事,及至穆帝,外有桓温之䟦,扈哀帝短祚,至帝奕遂為桓温所廢,晉氏之政於此遂衰。簡文孝武孝安数帝,不過庸庸無為,尸位於上而已。而内多粃政,權奸數出,至恭帝而司馬氏之天下改而為劉氏之天下矣。嗟夫!創業難而守成亦不易,惟在人君用賢納諌,則天下自安而國家永固。晉氏君臣崇尚浮虚無用之詞,風俗既薄,天下澆然,故王敦、蘓峻、桓温、王恭、殷仲堪軰迭起為亂,向非王導、温嶠、陶侃、謝安數君子,則晉㡬乎不國矣,况能轉危為安,光復舊業哉?國勢之振,莫過於劉裕之時。裕不忠誠為國而思簒盗,君子所為三歎也。


御製樂善堂全集

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えーと、もう各論はいいや。前話でも書きましたが、何を突っ込んでみたところで「けど乾隆帝は清を繁栄させた」わけですしね。ここを無視して歴史論について云々しても仕方ない。「乾隆帝の知っている歴史」に対する接し方、考え方こそが重要で、このときに卞壼さんラヴが爆発しちゃってることこそが重要なんでしょう。


最後の最後で劉裕について触れる感じになってるけど、そりゃまぁ清帝としては国の滅亡なんて肯定のしようがないんだし、そういう表現にもなりますよね。このあたりはポジショートークを抜いた見解も知りたいところ。まぁ無理ですが。


しかし清、立場としてはほとんど「成功した前趙」みてーなもんなのに、そこはどういうロジックで前趙クソ東晋雑魚論にシフトできたんだろう? これは清がどう正統論を組み立ててるかから引っ張る感じなのかなー。

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