劉裕論57 清 乾隆帝 上
清 乾隆帝
ここから書かれることは、ある意味で「これ以上なく、正しいこと」なのだ。実際に世の中を統治しきった人の言葉なのだから。歴史の一つの効能に「先人の振る舞いから教訓を得、実際の政治に反映させる」があり、ならばこの人の歴史論は当時の統治に当たって十全の役割を果たした、となる。あぁもちろん「いまの政治にまんま反映できない」はワンセットですよ?
劉牢之討孫恩,使劉裕覘賊,裕墜岸復登,獨驅數千人㑹官軍擊賊,大破之。
裕瀕危,奮勇隻身追賊,多所殺傷,益以敬宣之兵何難殄滅,乃官軍競取寳物子女,致蛾賊乘間逺颺。敬宣馭下無紀,固無可辭咎,然所云以一人驅數千,亦失之誇矣。
劉裕が孫恩戦に当たって偵察をしたところ見つかり「川に落ちながらも生還しひとりで千人を追い回し」賊軍を大破したことについて。
劉裕はビンチにさらされながらも、ひとり敵に立ち向かい、多くを殺した。劉敬宣の兵がさらに多くを殺したが、兵を率いての殲滅がどれほどに難しきことであろう。だのに略奪に忙しく、その合間に弱体化した敵を遠方に逃がしてしまった。劉敬宣の統率には秩序がなく、しかもこれを誰も咎めなかったというのだ。ならばひとりで数千人を追うも取り逃がしたこととて誇るに値するものであろう。
ぼく:乾隆サマともあろうものが司馬史観を鵜呑みにしてて真顔になってる。
王謐親解帝璽綬授桓元,元敗,劉裕以謐舊恩特保全之。
謐罪萬無可貸,裕乃以舊恩保全之,是當其討逆時,逆萌己見,篡竊之奸㝷至而迭興,雖有智者,亦將無如之何,而况爾時君庸而臣奸哉。
王謐が自ら安帝の腰に巻かれていた印璽をほどき桓玄の元にもたらしながらも、旧恩ゆえに桓玄敗北後にも高位に据え置かれたことについて。
名目から言えば、確かに王謐の罪は万死に値し、情状酌量の余地もない。にもかかわらず劉裕が王謐の地位をとどめおいたのは、劉裕が桓玄を打倒せんとしたとき、王謐のもとには安帝からの簒奪を目論む勢力が次から次へと迫ってきたと知るがゆえである。この状態では、たとい智者であっても如何ともすまい。ましてこのときの君主は凡君とすら呼べぬもの。ならばどうしてその臣下のふるまいを奸とまで糾弾できようか。
ぼく:王謐? 特に糾弾するに当たらないよ、あんなザコ、と来た。乾隆サマ辛辣ゥー! いやまぁ晋室復興〜南燕征伐に当たって劉裕の主導権が強かったらもっと事績が残ってると思うんですがね? この「はざまの期間」に東晋でどんな政治判断がくだされ(、そのうちどれだけ王謐が策定に関わっ)たか全然わからない以上、あんま迂闊に小者扱いするわけにも行かないとは思うのですけどね。
劉裕遣使求和於秦,得南鄉等十二郡
裕甫匡復晉室,即欲為國家索地於秦,亦當請於朝命,何得擅自遣使? 盖其時上下陵替,君若綴旒,故雖逆謀未形,而無君之心已顯露若此。
劉裕が桓玄打倒後、後秦に和親の使者を送り、いわゆる雍州十二州を奪還したことについて。
劉裕は晋を復興し、晋のために後秦よりの国土を求めた。確かにそれは朝廷よりの指示であったろう。しかしどうしてそれが劉裕を飛び越えた権限の上でなされるだろうか? このときの君臣の関係は極めて曖昧なものであり、国の旗振りは実質配下によりなされていた。ならば簒奪の意図こそ未だなかったにしても、劉裕の君主を君主と思わぬ気持ちは、すでに示されていたのだ。
ぼく:いやこのタイミングでいちばんハッタリきくの劉裕の名前やろ何言っとんのや。
劉裕殺東陽太守殷仲文
仲文晉室舊臣,首勸桓元受禪,繼復諂事劉裕,䘮心無恥,莫此為甚,當時所云才望,盖可知矣。
劉裕が殷仲文を殺したことについて。
確かに殷仲文は名士である。しかし桓玄の簒奪をまっ先に勧めた者であり、更には旗色が悪くなるとすぐ劉裕に媚びへつらっている。これほど厚顔無恥な者もそうはおるまい。いくらその才能が高かったと言っても、殺害は当然のことと受け止められていたであろう。
ぼく:むしろよく投降のとき殺さずにおかれたよね殷仲文……苻堅サマなら即八つ裂きでしょあれ。そう考えると劉裕の取った沙汰って相当穏当だし、むしろどんだけのことやらかしたのよ太原王氏って気持ちになります。
劉裕遣朱齡石伐蜀,付書署封,至白帝乃開
千里襲人,機事不密,敵人早為之備,緘書别函,至期開視,可謂有卓識。
劉裕が朱齡石を蜀に派遣するとき、作戦を箱の中にしまわせ、白帝城に至ったところでようやく開封したことについて。
遠方から襲撃を掛けるのに、早い段階から作戦を明らかにしたのでは、敵に備える時間を与えることになる。指令書を封印しておき、作戦展開の段階で初めて公開するのは、まこと卓見である。
ぼく:あれで劉裕の読みが外れてたら何が起こったのかしらとは思わないでもない。とは言え劉敬宣と朱齡石じゃ将器にだいぶ差がある感じもありますし、おまけに劉鐘がお目付け役だしで、どうにかなったんだろうなという気もしています。あそこで重要なのは、「朱齢石の値段を上げる」ことだから、たぶん次善策も引いてはいただろうしね。
あの作戦には、どちらかといえば「大軍を率いるだけの統帥権を引き入れる手駒がない」ことに対する劉裕の焦りが見えなくもない。
宋以徐羡之為司空,
世道至此,尚以風度言論為長,羣相推奬。夫羡之大節已虧,他何足議,而朝野猶以為賢,實可笑亦可畏。
宋が徐羡之を司空にしたことについて。
(世説新語の存在が示すように)あの時期は雰囲気や言動によって序列の決まるところがあった。そこで徐羨之が司空に選ばれた。このとき既に大節を汚していたにもかかわらず、である。他の者が検討の対象に入らなかったとでも言うのだろうか、ともあれ朝廷内で徐羨之が賢人とみなされた、これは確かなことなのだ。なんともおかしな話ではないか。ならばこそ、とてつもなく恐ろしい話でもあるのだが。
ぼく:宋書を読んでると、チーム宋書がとにかく重要な情報をもろもろオミットしてるようにしか思えんのですよね。よくもまぁ隋の史官はあれだけの史料に恵まれてたくせに南朝の腐れた歴史を再検討しなかったもんですよ。別に宋書南史が正史でいいけど、欽定正史批判とかぶちかましちゃったってよかったでしょうよ。この当時の徐羨之の立ち位置とかも違和感まみれだし、なんかこの辺を探れるもん出てこないかなー。
評鑑闡要
https://www.kanripo.org/text/KR2o0023/003
あれ、一通り拾ったら批判基調でしか評価できなかったでござる……。
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