劉裕論56 清 方苞 下
あぁ、なんとも恐ろしき
しかし、結果としてはその思いが仇となった。劉裕の子孫らはお互いに殺し合い、仇敵同士として争いあった。これにより
過去の歴史を振り返っても、劉裕の一族のように殺し尽くされたものはほぼいない。
あぁ、人心の阻喪の甚だしきこと! 三なる王の天を奉じる道であっても、天下をともに歩むに値することが叶わぬ相手とは、語り合ったところで信じるには値せぬ。子孫のための計略を求めたところで、欺瞞に満ちた知は毒を帯びるのみである。どうしてこれが膨らんでいかないと信じられようか!
嗚呼!裕之志憯矣!曹氏、司馬氏之篡也,無敢加刃於故君者,而裕忍為萬世之首惡。原其心亦謂丕、炎之篡也,其基厚,年盛強,民無異望;己則起匹夫,垂暮而得之,故不能無後嗣之憂耳。然裕之子孫,轉而相屠,過於仇敵,齊氏乘之,無少長殲焉。自古亡國之子孫,未有如裕之無遺類者也。夫夏、殷之亡也,失其位、喪其軀者,不過末孫之桀、紂而已,其位上公、修禮樂而承世祀者,如故也。至於周,則降為小侯,而封延於魏、晉。嗚呼!人心之陷溺久矣。三王奉天之道,有天下而不與者,雖語之而不能信也。即欲為子孫計,智詐漸毒,亦豈可以意逞哉!
うーん、なんだろうな、結局の所劉裕の即位って「最悪の窮地」にしか見えないんですよね。皇位に「追い詰められた」感じしかない。
傅亮伝には、「今年將衰暮,崇極如此,物戒盛滿,非可久安。」、晩年に差し掛かったところでとんでもない地位を得てしまった、あらゆるところが騒がしく、長らくゆっくりと落ち着いてもいられないでいる、という劉裕の述懐があります。これはその裏に「簒奪のために動くぞ」なる意図も含まれる言葉の一部ではあるんですが、言葉そのものは実感だったのではないかな、とも思うのです。
いやほんと、南朝貴族ども「簒奪の大罪を劉裕に押し付けたかった」だけだろマジで。
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