劉裕論55 清 方苞 上
劉裕の知がそこに及ばなかったとは到底思われず、だというのにろくに計略も授けず江南に戻ったのには、おそらく、
王敦、桓溫以後,方鎮稱兵者接踵,故計以秦資鎮惡,不若棄之於夏為安耳。
(まるまるわからない。こんな感じ?→
劉裕がいよいよ死にかけた瀬戸際、幸いにも
そのために諸將をみな留め置き、お互いに牽制させた。口ではみなで力を合わせて敵を防ぐようにと語り、
裕之銳於取秦而拙於禦夏也,世多議之,而獨未察其隱情也。以王鎮惡之才,兼秦人之思猛,使重其權,一以關中委之,必能拒夏。裕之智非不及此也,而計不出此者,蓋自漢、魏之衰,乘危竊國者皆強臣,非鄰敵也。王敦、桓溫以後,方鎮稱兵者接踵,故計以秦資鎮惡,不若棄之於夏為安耳。裕之將終,幸檀道濟無遠志,非若兄韶難御,而慮謝晦之有異同,況鎮惡哉!故並留諸將,使互相牽制,謂能同心以禦敵,而使義真安受之,固所願也。即自相剪除,如鄧艾、鍾會之已事,亦吾利也。
方苞集 宋武帝論
https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%96%B9%E8%8B%9E%E9%9B%86/03#%E5%AE%8B%E6%AD%A6%E5%B8%9D%E8%AB%96
うーん、やっぱり沈田子までは必要な犠牲としてるっぽいよなあ。「突然狂ったので洛陽長安をおとした名将を殺した」にすぎず、そして王鎮悪自体は名将の栄誉を残したままで、まんまと劉裕没後の脅威となることを防いだ。方苞の、ここまでの論考には同意。後半がやや趣を変えてきた記憶があります。そこを読んだ時に、論全体がどんな意味を帯びてくるのか。
子孫を守るために悪逆な手口を用いれば、結局その報いは子孫に返っていくんやで、かな?
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