劉裕論53 辛棄疾・胡三省・孫承恩

ここで箸休め的に、ちょっと細々とした劉裕評を。



辛棄疾しんきしつ(南宋)

永遇樂えいぐうがく 京口けいこう北固亭ほくこてい懷古かいこ

きんから南宋なんそうに投降、南宋の国土回復のために戦うも成果は上げられず、ただ文人としては名を残したという、なかなかに複雑骨折した経歴の持ち主。そういう人が劉裕りゅうゆうを讃えるのは、まぁ「帰化軍人として、南宋のために戦います!」をアピールしなきゃ行けなかった、と言うのもありそうです。


斜陽草樹,尋常巷陌,人道寄奴曾住。

想當年,金戈鐵馬,氣吞萬里如虎。

 夕日が草木に影を落とすなか、

 ふらりと路地を覗き込む。

 ここはいつか劉裕が住んでいた巷か。

 当時を思う、矛がきらめき、

 重装騎兵が地を轟かせ、

 万里を飲み込まんとする虎かの如き

 気勢を発する、かの勇将が。


中国のサイトを覗くと、結構な確率で「金戈鐵馬,氣吞萬里如虎。」がキャッチフレーズとして引かれています。なお金戈鐵馬自体は五代十国時代後唐こうとうの人物、李習吉りしゅうきつの伝に見える言葉。のっとってしまわれたか……。



胡三省こさんせいげん

資治通鑑しじつがんに注をつけた人。基本的には淡々と注をつけるのみなんだけれど、ときどきちらりと覗かせる本音がまた文学。劉裕周りにおいても一箇所、ポロリと思いを洩らしているのがまたおいしい。


資治通鑑 胡三省音註

https://zh.wikisource.org/wiki/%E8%B3%87%E6%B2%BB%E9%80%9A%E9%91%92_(%E8%83%A1%E4%B8%89%E7%9C%81%E9%9F%B3%E6%B3%A8)/%E5%8D%B7119


(資治通鑑本文)

九月,帝令淡之與兄右衞將軍叔度往視妃,妃出就別室相見。兵人踰垣而入,進藥於王。王不肯飲,曰:「佛敎,自殺者不復得人身。」兵人以被掩殺之。帝帥百官臨於朝堂三日。


(胡注)

自是之後,禪讓之君,罕得全矣。

これより後、禅譲をなした君主で生をまっとうするものは稀となった。


胡三省のナショナリズムがどこにあったかはわからないんですが、これを読む感じだと「皇帝が殺されること」に相当ショックを受けているのは間違いがなさそうです。いや、マジで胡三省さん、基本的に自分の想いとか注に載せようとしませんからね。それだけに、このたった十二文字が、重い。



○明 孫承恩そんしょうおん

嘉靖帝かせいてい時代の人。死後太子太保を追贈され、文簡と諡されているのを見ると、皇太子教育にかなりの結果を残した人なんでしょうね。文簡集の中で歴史人物についての評価をしております。


文簡集巻四十一

https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%96%87%E7%B0%A1%E9%9B%86_(%E5%9B%9B%E5%BA%AB%E5%85%A8%E6%9B%B8%E6%9C%AC)/%E5%8D%B741


宋武帝

徒歩仗劍,蕩殘除凶。沉毅才畧,一時之雄。震主功髙,終膺寳厯。清儉嚴正,可謂君德。

徒歩にて、剣のみを頼りとし、邪悪を打ち払った。冷静沈着、その知略は当世の雄と呼ぶに足る。その積み上げた功績のすえ、ついには皇帝の座にすら至った。清儉にして嚴正なるふるまいは、まさに君主と呼ぶに足る徳の持ち主である。



徒歩仗劍は、要するに手持ちの軍資、地縁が少ないところからののし上がりを含意していそう。峻厳なる武人皇帝としての絶賛には見えるけど、他の人物の評価と引き比べたらどう成るんでしょうね。まぁ踏み込みませんが。

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