劉裕論52 明末 王夫之15下

ここまでのことから、天下を保つべきものは儒者を尊び、皇太子の教育係に任じおくべきである、と言える。


確かに儒者は様々な急場に弱いものである。しかし宗廟を保ち、子孫を育み、様々な乱の原因を潰してゆくのには大いに意味がある。


詩経や書経は人々の荒れ狂う心を落ち着け、名声や道義は邪な行いを抑制するものである。たといここに私欲が紛れ込んだとて、それでも君主の子らの凡庸なるを見てそのまま好きにさせようとは思えぬものであろう。


およそ心ある者がお国に代々使える臣下となったのであれば、国体の信奉、維持が最優先となり、皇太子をそこへ導くのにも、迷うことがないはずである。しかし謝晦しゃかいは高位についており、兵権をも備え、国政をほしいがままとするだけの権勢も得ていた。


このような者であれば、たとえその言葉が適切で、その表情が導き手らしくあたら喜怒を表に出さないとしても、それでもなおその真意は疑うべきであろうし、いつ隙に乗じて邪心が露呈するかともわからぬと警戒しよう。まして、どうしてそのような者に後継者についての決定権を委ねようか?


慎みを極めたものこそ近くに置くべきであり、最も近くに置くべきは節度を重に弁えたものである。あらゆる判断は、結局の所、主権者の判断にのみ依拠するのだから。


とう德宗とくそう李泌りひつに、そう英宗えいそう韓琦かんいに相談を持ちかけた。結果、国内のわざわいが収束した。


拓拔嗣たくばつし崔浩さいこうに頼って国家運営の基礎を築いたのも、この話に近かろう。ともなれば、謝晦のような危うきものを取り立てた上で、なお国が滅ばなかったのは僥倖と呼ぶしかなかろう。




故有天下者,崇儒者以任師保,若無當於緩急,而保宗祊、燕子孫、杜禍亂者,必資於此。詩書以調其剛戾之氣,名義以防其邪僻之欲,雖有私焉,猶不忍視君父之血胤如雞鶩,而唯其疈礫。若夫身為人國之世臣,無難取其社稷唯所推奉而授之。若謝晦者,又居高位、擁兵柄,足以恣其所為;吾即可否不見於辭,喜怒不形於色,尚恐其窺測淺深而乘隙以逞,況以苞桑之至計進與密謀乎?至慎者幾也,至密者節也;衡鑒定於一心,折衷待之君子。唐德宗謀於李泌,宋英宗決於韓琦,而禍亂允戢,其明效也。拓拔嗣詢崔浩而國本定,亦庶幾焉。知謝晦之險而信之,國不亡,幸也。


故に天下を有す者、儒者を崇じ以て師保に任じ、緩急に當る無きが若きなれど、宗祊を保ち、子孫を燕じ、禍亂を杜ざす者、必ずや此に資す。詩書は以て其の剛戾の氣を調え、名義は以て其の邪僻の欲を防ぐ。私の焉に有りたると雖ど、猶お君父の血胤の雞鶩を視るが如くし、唯だ其の疈礫するままなるを忍ばず。若し夫れ身の人國の世臣為るに、其の社稷を取りて唯だ推奉せる所とし、而して之を授くに難き無し。謝晦の若き者は又た高位に居し、兵柄を擁し、以て其の為す所と恣まとせるに足る。吾れ即ち可否を辭に見ず、喜怒を色に形わさずとも、尚お其の淺深を窺測し、隙に乘じ以て逞せるを恐る。況んや苞桑の至計を以て進みて與に密かに謀るをや? 至慎なる者は幾なり、至密なる者は節なり。衡鑒の一心に定まり、折衷は之を君子に待つ。唐の德宗は李泌に謀り、宋の英宗は韓琦に決す。而して禍亂は允とに戢む。其れ明效なり。拓拔嗣の崔浩に詢い國本の定むるも、亦た庶幾し。謝晦の險を知りて之を信じ、國亡ぜざるは幸いなり。


(武帝3-2)




もうちょっと劉裕周りの論は出てきそうですが、とりあえず大枠は掴めたので終了。いやぁ、愛でしたね……「劉裕は“漢民族”(あえてこう書く)の威厳を示したから偉大、けど劉穆之はそれを小粒な方向に捻じ曲げたし、そのせいで謝晦なんてクソ野郎に頼らざるを得なくなった! 最悪!」とのことでございます。そうですねー^^


ほんに王夫之さん、理知的ですごい論を打ち立てられる方だなーって思いますが、攘夷思想が臭すぎてあかん。


ともあれこれでながらくの王夫之さんは終了。次には、一回細やかなやつをやります。




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