劉裕論51 明末 王夫之15上
孫や子の代にまで渡る国家の計を諮るべき相手は、その人物がその大任を負うに足る人物であるとはっきりしてから、初めて持ちかけるべきではないのか。ともに語らい合うときの顔つき、その口にする内容。それらが適切でない者に大計を預けようとしてしまえば、そこから災いが生じてしまうのも当然である。
では、
舉宗社子孫之大計而與人謀之,必其人之可托,而後可征之色而見之辭,不然,則禍自此而生。漢高帝疑於所立,乃進而謀者,張良、叔孫通耳。良雖多智,而心固無私;通雖詭合,而緣飾儒術;且皆從容諷議之臣,未嘗握兵而持國柄者也。外此則蕭、曹不得與焉,陳平、周勃但委任於既定之後,先固未嘗參議論焉。晉武所謀者衛瓘也,是可與謀者,而不聽,是以失也。隋高祖之謀於楊素,唐太宗之托於李績,皆鷙賊性成,而適足以賊其後裔;然二主之失,未能深知素、績之奸耳。若宋武之於謝晦,知其機變而有同異矣;太子不足為君,乃密與晦謀,而使覘廬陵之能否,是以營陽、廬陵之腰領授之於晦,而唯其生死之,不亦惑乎?
宗社子孫の大計を舉げ人と與に之を謀るは、必ずや其の人の托す可からば後に可たり。之を色に征し、之を辭に見、然らざらば、則ち禍いは此より生ず。漢の高帝の立つる所を疑い、乃ち進みて謀る者は張良、叔孫通のみ。良は多智なると雖ど、而して心に固より私無し。通は詭合なると雖ど、而して儒術に緣飾す。且つ皆な從容諷議の臣にして、未だ嘗て兵を握りて國柄を持たざる者なり。此の外に則ち蕭、曹は與かるを得ず、陳平、周勃は但だ既に定まるの後に委任於す。先には固に未だ嘗て議論に參ぜざるなり。晉武の謀る所の者は衛瓘なるも、是れ與に謀るべき者なれど聽かざれば、是を以て失したるなり。隋の高祖の楊素と謀り、唐太宗の李績に托すは、皆な鷙賊にして性成り、適に以て其の後裔を賊すに足る。然れど二主の失は未だ深く素、績の奸を知る能わざるのみ。若し宋武の謝晦に於けるは、其の機變にして同異有すを知りたるなり。太子は君と為すに足りず、乃ち密かに晦と與に謀り、而して廬陵の能否を覘わしむ。是れ營陽、廬陵の腰領を以て之を晦に授け、而して唯だ其の之を生死せるままとす。亦た惑わずや?
(武帝3-1)
謝晦をこうぼてこかしてきましたかー……! という印象です。これまで王夫之さんの論にはうなずいたり首を傾げたりでしたが、これについてはただうなずくしかなかった感じ。そうよねぇ。
しかしこの話、初めて読んだときに首を傾げたんですよね。えっなんでそこまで
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