劉裕論48 明末 王夫之13下
晋人どもが座して失った中原を引き合いに出して宋を責めようというのに、よりによって平定叶わずにあったことを持ち出し、一時的にとは言え奪還をなす大武功すらなかったことにしようとは、ずいぶんと不公平な話なのではないか。
天下に君主として立つというのは、その道義に基づくものであろう。兵勢でなどでは、間違っても、ない。もし兵勢の話をするのであれば、
そこに大義が備わっておれば、確かに名実ともに禅譲と呼ぶことができよう。だが一方で、劉宋をただの簒奪と同列と語って良いものだろうか? 中原を失陥した司馬氏は、しかも逃亡後細々とした皇統のみをつなぎ止めていたのみである。再度中華の地の主として君臨しようともせず、むしろ
漢と唐との間において、中国の主と呼べるだけの存在はただ一国、劉宋のみである。
中原之失,晉失之,非宋失之也。宋武興,東滅慕容超,西滅姚泓,拓拔嗣、赫連勃勃斂跡而穴處。自劉淵稱亂以來,祖逖、庾翼、桓溫、謝安經營百年而無能及此。後乎此者,二蕭、陳氏無尺土之展,而浸以削亡。然則永嘉以降,僅延中國生人之氣者,唯劉氏耳。舉晉人坐失之中原,責宋以不蕩平,沒其撻伐之功而黜之,亦大不平矣。君天下者,道也,非勢也。如以勢而已矣,則東周之季,荊、吳、徐、越割土稱王,遂將黜周以與之一等;而嬴政統一六寓,賢於五帝、三王也遠矣。拓拔氏安得抗宋而與並肩哉?唐臣隋矣,宋臣周矣,其樂推以為正者,一天下爾。以義則假禪之名,以篡而與劉宋奚擇焉?中原喪於司馬氏之手,且愛其如線之緒以存之;徒不念中華冠帶之區,而忍割南北為華、夷之界乎?半以委匪類而使為君,顧抑撻伐有功之主以不與唐、宋等倫哉?漢之後,唐之前,唯宋氏猶可以為中國主也。
中原の失は晉が之を失う。宋の之を失すに非ざるなり。宋武の興るや、東に慕容超を滅ぼし、西に姚泓を滅ぼし、拓拔嗣、赫連勃勃は跡を斂し穴處す。劉淵の亂を稱えて以來、祖逖、庾翼、桓溫、謝安の百年を經營せるも此に及ぶ能うは無し。此の後の者、二蕭、陳氏に尺土の展無く、浸され以て削られ亡ぶ。然れど則ち永嘉以降、僅かに中國が生人の氣を延ばしばしたる者、唯だ劉氏なるのみ。晉人が坐ながら失いたるの中原を舉げ、宋を責むるに蕩平せざるを以てし、其の撻伐の功を沒し之を黜すは、亦た大いに平らかざるなり。天下に君ずは道なり、勢に非ざるなり。如し勢を以て已みせば、則ち東周の季にて荊・吳・徐・越の土を割りて王を稱すは遂に將に周を黜け以て之と等を一ならんとす。而して嬴政の六寓を統一せるは五帝、三王に賢れるや遠きなり。拓拔氏は安んぞ宋に抗すも與に肩を並ぶに得たるや? 唐は隋に臣じ、宋は周に臣ず。其の樂し推すを以て正と為すは、天下を一にせばなるのみ。義を以てせば則ち禪の名を假る、篡を以てせば劉宋を奚んぞ擇ばんか? 中原は司馬氏の手にて喪じ、且つ其の線の如きの緒を愛し、以て之を存す。徒だ中華の冠帶の區を念わず、而して忍びて南北を割きて華、夷の界為らしめんか? 半ばを以て匪類に委ね君為らしめ、顧って撻伐し有功の主を抑え以て唐、宋らと倫を等しくせざらんや? 漢の後、唐の前、唯だ宋氏は猶お以て中國の主と為すべし。
(武帝1-2)
見てこれ! 愛! 正直わろたわ。
いや読通鑑論、まともに読めてなかった頃はね、「劉裕の行いは徹底的に悪であると糾弾している。ただしその武功の大きさは認めており、「漢以後、唐に至るまで、それでも中華の主と呼べたのはこの劉宋くらいであろう」と語っている。」内容だと思ってたんですよ。もう完璧に読み違い。恥ずかしい。ちなみにこれは Wikipedia に書き込んだものでして、将来書き直します。
いやぁ……重いわね……。
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