劉裕論43 明末 王夫之11上
長安を足がかりとし、さらに遠征をなすのが劉裕の目論見であった。だというのに、慌てて東に引き返さねばならなかったのである。これは劉裕が翻意したことを示す。慌てて帰還し、簒奪に動いた気持ちはわからなくもない。しかしあのまま関中、
劉裕の後秦討伐は「圧倒的な武威を示すことのみが目的であり、中原の経営なぞ度外視されていた」と言われることがある。とんでもないことである。ならば何故、
劉裕自身は再び軍を興し、出征する心づもりでいた。しかし
劉裕滅姚秦,欲留長安經略西北,不果而歸,而中原遂終於淪沒。史稱將佐思歸,裕之師說也。王、沈、毛、傅之獨留,豈繄不有思歸之念乎?西征之士,一歲而已,非久役也。新破人國,子女玉帛足系其心,梟雄者豈必故土之安乎?固知欲留經略者,裕之初誌,而造次東歸者,裕之轉念也。夫裕欲歸而急於篡,固其情已。然使裕據關中,撫雒陽,捍拓拔嗣而營河北,拒屈丐而固秦雍,平沮渠蒙遜而收隴右,勛愈大,威愈張,晉之天下其將安往?曹丕在鄴,而漢獻遙奉以璽綬,奚必反建康以面受之於晉廷乎?蓋裕之北伐,非徒示威以逼主攘奪,而無誌於中原者,青泥既敗,長安失守,登高北望,慨然流涕,誌欲再舉,止之者謝晦、鄭鮮之也。蓋當日之貪佐命以弋利祿者,既無遠誌,抑無定情,裕欲孤行其誌而不得,則急遽以行篡弒,裕之初心亦絀矣。
劉裕の姚秦を滅するに、長安に留まりて西北を經略せんと欲せど、果せずして歸り、而して中原は遂に淪沒せるに終る。史の將佐の歸を思うを稱すは、裕が師說なり。王、沈、毛、傅之の獨り留まり、豈に繄に思歸の念に有らざるや? 西征の士、一歲にのみにて、久しく役するに非ざるなり。新たに人の國を破り、子女玉帛は其の心を系るに足り、梟雄の豈に故土の安きを必とせんか? 固より留まりて經略を欲すは裕の初誌にて、而して造次に東に歸すは裕の轉念なるを知る。夫れ裕の歸し篡に急がんと欲すは、固より其の情なるのみ。然れど裕をして關中に據せしめ、雒陽を撫せしめ、拓拔嗣を捍ぎて河北を營ましめ、屈丐を拒みて秦雍を固ましめ、沮渠蒙遜を平げて隴右を收ましまば、勛は愈いよ大にして、威は愈いよ張じ、晉の天下の其れ將た安くに往かんか? 曹丕の鄴に在れるに、漢獻は遙かに以て璽綬を奉ず。奚んぞ必ずしも建康に反り以て之を晉廷にて面受すべきか? 蓋し裕の北伐は徒らに威を示し以て主に逼り攘奪し、中原に誌無きに非ざるなり。青泥の既に敗れ、長安の守を失い、高きに登りて望を北み、慨然流涕し、誌は再舉を欲せど、之を止むは謝晦、鄭鮮之なり。蓋し當日の佐命を貪りて以て利祿を弋する者は既に遠誌無く、抑そも定情無し。裕は其の誌を孤行せんと欲せど得えられず、則ち急遽を以て篡弒を行う、裕之の初心は亦た絀したる。
(安帝21-1)
(爆笑して転がりまわってる)
いやぁ、やばい、これはやばい……
「夷狄誅滅」はお前の願望であってそこに勝手に劉裕を重ねるなと申し上げたい。気持ちはわからないでもないですが、ねーわ、と。
ともあれ後半、どう斜め上の論が展開しますやら。
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