劉裕論42 明末 王夫之10

劉裕りゅうゆう広固こうこより帰還し、盧循ろじゅん建康けんこう近くにまで迫られている情勢下にあって太尉たいいの官位、黃鉞こうえつの大権を求めた。朱齡石しゅれいせきしょく討伐に出た時には、いまだ平定が叶う見込みも立っていない段階で太傅たいふ揚州牧ようしゅうぼくの官位を求めた。後秦こうしん討伐にあたっても、成算が立たない段階で相國しょうこく宋公そうこう、そして九錫きゅうしゃくの栄誉を求めている。仮に劉裕がこれらの官位、栄誉を、討伐を成し遂げてから求めたとしたら、どれだけ人々は劉裕の号令に服従しただろうか? このあたりの手口には、劉裕の権力を用いた人心操作、その狡猾さが見え隠れしている。


人を使うのに長けたものの振る舞いは、最上が徳でもって動かすこと、次点が信義によって動かすこと、であろう。権力を用いての操作は、その次あたりに来る。安逸を求める者がそれでも労力を惜しまず、生きていたい者がそれでも死を恐れずに戦おうとするのには、平和な時代のように、民が君主を親のごとく敬わせることによって……だなどとは言ってもおれぬ。すなわち、君主の権限拡大によって、従う人々に栄利の獲得を約束せねばならぬのだ。


劉裕の行動を敢えて言葉にしてみれば、以下の通りとなろう。「我は間もなく天子となるこれによってそなたらを栄えさせ、富ませて見せよう。故に我に生死を預けよ」と。故にこそ広固より帰還した疲弊した士卒も、西方に出征し、そのまま蜀の鎮守を任じられた兵らも、功績を求めて働きを示し、そしてその約束は果たされた。その約束が果たされないのであれば、誰が喜んで労力を費やそう、誰が喜んで死に身を投じよう。厳罰でもって働くべく締め付けられたところで、どうしてその士気が高まろう。


劉裕はこの辺りの機微を深く知悉し、この姿勢を堅持した。劉裕をことあるごとにそそのかした狡猾なる劉穆之りゅうぼくしは、結局の所その辺りの機微に通じておらず、劉裕の凱旋を待ってから動こうとした。史書に劉穆之は「恥じ、恐れて死んだ」とあるが、これはかの者の知が人心を知る機微に及んでいなかったことを示しておろう。


これらのことから推察するに、晋の滅亡は確定して久しかった、と言えよう。謝安しゃあんが死に、司馬道子しばどうし親子が愚昧さにより世に悪を振りまき、その中での皇位継承者が飢えすらまともに感じることのない安帝あんていであった。天下にいかに功績を積み、仁徳を振る舞おうと、それであってもなお人が去ってしまうのだ。ましてや晋は道ならぬ手段でもって帝位を獲得している。国体が百年に及んだ末で滅んだわけであるが、むしろ滅亡が随分と遅れたものだとすら言えよう。


孝武帝こうぶていが死に、安帝が立ったとき、王恭おうきょうが「垂木が新たとなったそばから、亡国の気配が漂っている」と語っていた。この言葉が象徴するよう、人々は「新たに宿るべき先」を周章狼狽して求めた。劉裕はこう言ったしんの失墜に乗じて人望を集めた。人々は天子たる存在のためにこそ死力を尽くすものである。ならば晋より劉裕が皇統を奪うのは、時流が簒奪こそが人々を利すると認識した故であろう。劉裕に対して批判されるべきは飽くまで安帝あんてい恭帝きょうていの弑逆であり、簒奪そのものを大悪と批判するわけにはゆくまい。




劉裕初自廣固歸,盧循直逼建康,勢甚危,而裕方要太尉黃鉞之命;朱齡石方伐蜀,破賊與否未可知也,而裕方要太傅揚州牧之命;督諸軍始發建康以伐秦,滅秦與否未可知也,而裕方要相國宋公九錫之命;則胡不待盧循已誅、譙縱已斬、姚泓已俘之日,始挾大功以逼主而服人乎?此裕之狡於持天下之權而用人之死力也。夫能用人者,太上以德,其次以信,又其次則惟其權耳。人好逸而不憚勞,人好生而不畏死,自非有道之世,民視其君如父母,則權之所歸,冀依附之以取利名而已。裕若揭其懷來以告眾曰:吾且為天子矣,可以榮人富人,而操其生死者也。於是北歸之疲卒、西征之孤軍,皆倚之以効尺寸,而分利祿。如其不然,則勞為誰勞,死為誰死,則嚴刑以驅之而不奮。裕有以揣人心而固持之,劉穆之雖狡,且不測其機,而欲待之凱還之日,其媿懼而死者,智不逮也。因是而知晉之必亡也久矣。謝太傅薨,司馬道子父子昏愚以播惡,而繼以饑飽不知之安帝,雖積功累仁之天下,人且去之,況晉以不道而得之,延及百年而亡已晚乎!晉亡決於孝武之末年,人方周爰四顧而思爰止之屋,裕乘其閑以收人望,人胥冀其為天子而為之効死,其篡也,時且利其篡焉。所惡於裕者,弒也,篡猶非其大惡也。


劉裕の初に廣固より歸せるに、盧循は直ちに建康に逼り、勢は甚だ危うくも、裕は方に太尉黃鉞の命を要う。朱齡石の方に蜀を伐たんとせるに、賊を破ると否とは未だ知るべからざるなり、而して裕は方に太傅揚州牧の命を要む。諸軍を督し始めて建康を發し以て秦を伐つに、秦の滅ぼすと否とは未だ知るべからざるに、而して裕は方に相國宋公九錫の命を要む。則ち胡んぞ盧循の已に誅され、譙縱の已に斬られ、姚泓の已に之を俘とせるの日を待ちて始めて大功を挾みて以て主に逼るも人を服せしむるか? 此れ裕の天下の權を持し而して人の死力を用うるに狡なればなり。夫れ人を用うに能き者、太上を德を以てし、其の次を信を以てし、又た其の次こそ則ち惟うに其の權なるのみ。人の逸を好みて勞をも憚らず、人の生を好みて死をも畏れざるは、有道の世にて民の其の君を父母が如く視る非ざるよりはが、則ち權の歸す所には之に依附し以て利名を取らんと冀いたるのみ。裕は其の懷き來たれるを揭げ、以て眾に告げて曰く:「吾れ且に天子為らん、以て人を榮えしめ人を富ましめ、而して其の生死を操るべき者なり」の若し。是に於いて北歸の疲卒、西征の孤軍は皆な之に倚し以て尺寸を効し、而して利祿を分ず。如し其れ然らずば、則ち勞は誰が為の勞、死は誰が為の死ならんか。則ち嚴刑を以て之を驅せしめど奮わざらん。裕に以て人心を揣りて而して之を固持せる有らん。劉穆之の狡なると雖ど、且つ其の機を測らず、而して之を凱還の日に待たんと欲す。其の媿懼して死せるは、智の逮ばざればなり。是に因りて而して晉の必亡を知るや久しかりき。謝太傅は薨じ、司馬道子父子は昏愚にして以て惡を播き、而して繼ぐには以饑飽も之を知らざるの安帝を以てす。功を積み仁を累るぬの天下を雖ど人の且つ之に去れるに、況んや晉の不道を以て之を得、延びて百年に及びて亡ばんとせること已に晚きをや! 晉の亡は孝武の末年に決し、人は方に周爰四顧し而して爰に止むの屋を思う。裕は其の閑に乘じ以て人望を收め、人胥は其の天子為らんことを冀い、而して之が為に死を効す。其の篡なるや、時は且に其の篡を利とす。裕にて惡むべき所は弒なり、篡は猶お其の大惡に非ざるなり。


(安帝19)




こいつらどこまで劉穆之を悪人に据えたがってんの……? つうか、そこまでの影響力を及ぼせる存在じゃないでしょうよ。「桓玄を倒した武辺者特集」を必要以上に重く扱いすぎです。罪深いよなぁ宋書の構成。


ここで言う「軍事目標達成の前に餌をぶら下げてやる気を出させ、事実その餌を与える」については、基本といえば基本なんでしょうが、凄まじく重要な要素ですね。ただ、この点の「機微」とやらは間違いなく劉穆之の指示も多分に入ってるのに何いってんだこいつ? という感じです。「あらゆることを劉穆之に諮った」「けど戦争戦闘については諮らなかった」って書かれてんのに、なんで信賞必罰に劉穆之の意向が入ってないとかほざいてんの?


そして簒奪後の皇帝殺害、これについては桓玄の残党にさんざ振り回された劉裕がどうして「晋残党の旗頭」の最大候補を保っておけるだけの安定的権威が確立できてたって思えるんでしょうね。


なんかこの人、劉裕好きすぎるあまりいろいろ盲目になってない? 大丈夫? 冷静になろ?

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