劉裕論38 明末 王夫之 7

劉裕りゅうゆうの簒奪は劉穆之りゅうぼくしの指示、劉毅りゅうき殺害は胡藩こはんのそそのかしによるものである。不逞の士とはかくも王者のそばをうろつき、不祥の事をそそのかすのだ。実に恐るべきことではないか!


奸雄が奸雄たるには、結局は機会を見通す目、大義名分の立て方を知るものがそばに居らねばならぬ。だからこそ孫権そんけん曹操そうそうに簒奪を持ちかけた。それはかねてより曹操の悩みどころでもあった。


人より指摘を受けるのを恐れ、その動きが鈍くなってしまうのは、ままあることである。しかし不逞の士はおのが栄達、富貴のために奸雄が動くべき理由をでっち上げてくる。これらの事から推測するに、奸雄を動かすには疑念を抱かせばよく、奸雄をせっつくには恐れを抱かせればよい。我が言葉が天下の意図であるとばかりに言い切り、その言葉に従わねば事業はなし得ぬ、とするのだ。王敦おうとんをそそのかした錢鳳せんほう桓温かんおんをそそのかした郗超ちちょうは、あとひと押しが足りなかったため簒奪にまでたどり着けなかったが、この詭弁を弄し得たものは多く、禍はいつ果てるともなく続いている。


殷周いんしゅうの時代の王らは、こういった者を学校に赴任させ、とは言え宴などでやすんじはした。これは彼らを拘束したわけではなく、その心に和平の気を養わせ、悪巧みの心を消し去ろうとしたのだ。


しかし王の恵みが消え失せ、不逞の士らは遊説以外で頭角を現すこと叶わなくなった。戦国の世にまで下ると、彼らはしゅうのお国をないがしろとし、群雄が争い合うようけしかけ、親臣士民が殺し合うように仕向けた。みな不逞の士が私欲に基づいて群雄に取り入り、天下を乱そうとしたがゆえである。


この傾向は、その後も長く続く。例えば五代十国ごだいじっこく後梁こうりょう朱全忠しゅぜんちゅう敬翔けいしょう李振りしんに導かれ奸雄となった。後晋こうしん石敬瑭せきけいとうりょう燕雲えんうん十六州じゅうろくしゅうを割譲するに至ったのは桑維翰そういかんの手引である。


更に後にはクソしん、モンゴルがついに中原を食らいつくしてしまった。これらとて中華の服をまとうも邪な栄達を望んだ者がクソどもに取り入ったからこそ発生した事態である。廉希憲れんきけんはモンゴルに姚樞ようすう許衡きょこうを推挙。この者らの献策により戦局は南宋なんそう不利に傾いた。奴らは恥知らずにも、その知力による弁論が、ぎょうしゅん湯王とうおう文王ぶんおうのなさりようを継承するものだ、とまで言い放った。


遊説の士のなした禍、ここに極まれりである。婁敬ろうけいは劉邦に匈奴との戦いを避けるべく勧めた。また馬周ばしゅうは主人の常何じょうかを差し置き、李世民りせいみんに建言をなしている。こういった者たちも英主に出会えず、平和な世に生まれ落ちていたならば、大いに世を乱すに至ったであろう。


契丹きったんとの外交に揺れる北宋ほくそうの時代にあって、李沆りこう梅詢ばいしゅん曾致堯そうちぎょうを用いないことで国に奉仕した。またみん初の解縉かいしんはその言動こそ称えるに値するが、最終的には片田舎に左遷し、余生を過ごさせるべきであったろう。


聖主や賢臣は世の規律を正し、世の混乱や災いを抑え込まねばならぬ。ならば不逞の士の言葉にあたら乗らず、彼らに操られることを最大限警戒すべきなのである。




劉裕之篡,劉穆之導之也;其殺劉毅,胡藩激之也。不逞之士,遊於帷幕,而幹戈起於幾席,亦可畏矣哉!誠其為奸雄矣,既能識夫成敗之機,則亦知有名義也,故孫權勸曹操以僭奪,而操有踞鑪著火之嘆,既畏人之指摘,抑有慎動之思焉。而不逞之士,迫欲使之嘗試,以幸得而己居其功;於是揣摩情形,動之以可疑,而懾之以可畏,則且謂天下之士業已許我,而事會不得不然;錢鳳、郗超僅失之,而詭得者多矣,禍不可止矣。先王收之於膠庠,而獎之以飲射,非以鉗束之也,凡以養其和平之氣而潛消其險詐也。王澤既斬,士非遊說不顯,流及戰國,蔑宗周,鬭群雄,誅夷親臣,斬艾士民,皆不逞之士讎其攀附之私以爚亂天下。嗣是而後,上失其道,則遊士蜂起。朱溫之為梟獍,敬翔、李振導之也。石敬瑭之進犬羊,桑維翰導之也。乃至女直、蒙古之吞噬中華,皆衣冠無賴之士投幕求榮者窺測事機而勸成之。廉希憲、姚樞、許衡之流,又變其局而以理學為捭闔,使之自躋於堯、舜、湯、文之列,而益無忌憚。遊士之禍,至於此而極矣。故婁敬、馬周不遇英主,不值平世,皆足以亂天下而有余。李沆以不用梅詢、曾致堯為報國,解縉言雖可賞,必罷遣歸田以老其才而戢其躁,聖主賢臣所以一風俗、正人心、息禍亂者,誠慎之也,誠畏之也。


劉裕の篡、劉穆が之を導くなり。其の劉毅を殺すは、胡藩が之を激すなり。不逞の士、帷幕に遊び、而して幹戈は幾席に起く、亦た畏るべきかな! 誠、其の奸雄為るには、既に能く夫の成敗の機を識らば、則ち亦た名義有るを知るや、故に孫權は曹操に以て僭奪を勸め、而して操に鑪に踞し火を著くの嘆有り、既に人の指摘を畏れ、抑いよ慎動の思い有りたる。而して不逞の士は迫り之をして嘗試し以て得るを幸わんとし、而して己を其の功に居さんと欲す。是に於いて情形を揣摩し、之を動かすに疑うべきを以てし、而して之を懾すに畏すべきを以てす。則ち且に天下の士の業に已に我を許し、而して事會の然らざるを得ずと謂わんとす。錢鳳、郗超は僅かに之を失い、而して詭得せる者多し。禍、止むべからざるなり。先王は之を膠庠に收め、而して之を獎むに飲射を以てせるは以て之を鉗束せるに非ざるなり、凡そ以て其の和平の氣を養い、而して潛かに其の險詐なるを消すなり。王澤は既に斬られ、士は遊說に非ざれば顯れず、流れて戰國に及び、宗周を蔑ろとし、群雄は鬭い、親臣を誅夷し、士民を斬艾す。皆な不逞の士の其の攀附の私に讎い以て天下を爚亂せんとす。是に嗣ぎて後、上は其の道を失い、則ち遊士が蜂起す。朱溫の梟獍為るは、敬翔、李振の之を導かばなり。石敬瑭の犬羊を進むは、桑維翰が之を導くなり。乃至、女直、蒙古の中華を吞噬せるは、皆な衣冠の無賴の士の幕に投じ榮を求む者の事機を窺測し勸め之を成さばなり。廉希憲、姚樞、許衡の流いは又た其の局を變じ、而して理學を以て捭闔を為し、之をして自ら堯、舜、湯、文の列に躋らしめ、而して益ます忌憚無し。遊士の禍、此に於いて極まりたるなり。故に婁敬、馬周は英主に遇わず、平世に值わざらば、皆な以て天下を亂すに足るに余り有り。李沆は梅詢、曾致堯を用いざるを以て國に報ゆるを為し、解縉は言こそ賞すべきと雖ど、必ず罷めて遣りて田に歸らしめ、以て其の才を老わしめ、其の躁を戢む。聖主・賢臣は風俗を一にし人心を正し禍亂を息むる所以の者なれば、誠に之を慎しむなり、誠に之を畏るなり。


(安帝16)




う、うーん、劉裕をそそのかした劉穆之および胡藩をぶっ叩くとしたら、この辺の理屈になるかなぁ、という感じですが……。


ただなぁ、正直劉穆之って簒奪周りについてはむしろハブられてる印象なんですよね。だって主導権を王弘おうこうに奪われてるもの。「それを恥じて病を得た」っ書かれてんのに、主犯を劉穆之にすんのって無理筋じゃない?


ただ、劉穆之を主犯に仕立てれば「当時の名士の論調が司馬しば氏排除にあった」っていう不都合なファクトをなかったコトにできるんですよね。常々語ってますが、この辺については「教科書が教えてくれない真実の中国史」的アレに染まらざるを得ないです。


っつーか、東晋末って天子の値打ちが最も安くなってた時代の一つだと思うんすよね。だのになんで「そんな天子権力の獲得に向けて突き進む」劉裕を絶対権力者とか言い出せてんのか、って話ですよ。劉裕の皇帝即位に当たるあれこれ、完全に漢魏晋の権威を承認した上で成り立つと宣言してますからね? 「魏晋を承認しなければ皇帝になれなかった」時代の人を捕まえて魏晋を否定しろとか、どんだけ当時の政治力学を甘く見てんの? と申し上げざるを得ません。そこを軽んじれるんなら、周の凋落から漢の成立までにかかった時間は何だったの!? って話です。


まぁ、この時代の人に名目論捨てろやって言うのが「いいから死ね、反論は許さない」ぐらいのアレなのだろうな、という気もしています。なら、そういう同調圧力から自由になれる時代に生きてる以上「知るかバーヤ! 反論するわ!」くらいは言い切りたい。だって往時と違って、今はいきなり殺されないもの。


現代日本で歴史を語るのは、たぶん史上稀に見るレベルで「自由」なのだ、と思うのです。そいつを活かし、より「自分が面白い」歴史を語り、より広い範囲の方々に裁定していただきたいものです。

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