劉裕論37 明末 王夫之 6下
ではここで、改めて亡命者たちを見てみよう。
司馬國璠らがはじめ
これらは、まさしく左伝定公三年に書かれている「彼れまさに
然則國璠之流,上非悼宗社之亡,下非僅以避死亡之禍,貪失其富貴,而倒行逆施以僥幸,乃使中夏之士相率而不以事夷為羞,罪可勝誅乎?國璠之始奔慕容氏也,以桓玄之篡,玄固可旦暮俟其亡者,而遽不能待;繼奔姚氏也,劉裕之篡固尚未成,可靜俟其成敗者也,不能一日處於蕭條岑寂之中;望犬羊而分余食,廉恥滅而天良無遺矣。丕之篡,劉氏之族全,炎之篡,曹氏之族全,山陽、陳留令終而不逢刀鴆。劉裕篡而恭帝弒,司馬氏幾無噍類。豈操、懿、丕、炎之兇慝淺於劉裕哉?司馬氏投夷狄以亟病中夏,劉裕之窮兇以推刃也,亦有辭矣,曰「彼將引封豕長蛇以蔑我冠裳者也」。而中夏之士,亦不為之抱憤以興矣。紀季以酅入於齊,春秋無貶詞焉。齊,紀讎也,寧附於齊,而不東走萊夷,南奔句吳,則猶能知其類也。
然れば則ち國璠の流は上は宗社の亡を悼むに非ず、下は僅かに以て死亡の禍を避くるに非ず、其の富貴を失うを貪り、而して倒行逆施し以て幸いを僥め、乃ち中夏の士をして相い率い而して以て夷に事うを羞と為さざらしむ。罪、誅に勝うるべかんか? 國璠の慕容氏に奔ぜるの始むるや、桓玄の篡を以てす。玄は固より旦暮に其の亡を俟つべき者なるに、而して遽て待つ能わず。繼いで姚氏に奔れるや、劉裕の篡の固に尚お未だ成らずして、其の成敗を靜かに俟つべき者なり。一日とて蕭條岑寂の中に處る能わず、犬羊を望みて余食を分くるは、廉恥滅び、而して天良遺る無きなり。丕の篡にては劉氏の族は全うされ、炎の篡にては曹氏の族は全うさる。山陽、陳留令は終に刀鴆に逢わず。劉裕は篡ぜるに恭帝を弒し、司馬氏は幾んど噍類無し。豈に操、懿、丕、炎の兇慝、劉裕よりも淺きか? 司馬氏は夷狄に投じ以て亟かに中夏を病ましむ。劉裕の兇を窮め刃を推すや、亦た辭有りたらん。曰く「彼れ將に封豕長蛇を引きて以て我が冠裳を蔑む者なり。而して中夏の士、亦た之が為に憤を抱きて以て興らざるなり」と。紀季は酅を以て齊に入り、春秋に貶ず詞無し。。齊、紀が讎なり、寧ろ齊に附くも、而も東し萊夷に走り、南し句吳に奔らざるは、則ち猶お其の類を知る能わばなり。
(安帝15-2)
王夫之さん「司馬氏は夷狄になびいたクソ。そんな一族の家門を劉裕が潰したのは当然。」
え、えーとそれって司馬徳文よりあとの零陵王家がズタボロにされてたら言ってもいい言葉だと思うんですけどね……なんで山陽王家陳留王家に触れときながら
司馬休之に対してもだいぶ無理筋ですしねぇ。「一日くれー踏ん張れんかったんかい」ってあーた、ギリギリまで追い詰められて挙兵した人に何ゆっちゃってるんですか……?
王夫之についての話を聞けば、どこをどう切っても憐れみと同情しかねーわけですが、にしたってこの辺の論説は無理筋過ぎます。
正直ラストの紀季についてもずいぶんメチャクチャなこと言ってんなーって感じなんですが、ここについてはとりあえず涙をこぼしておくしかないんでしょうね。言ってみれば「どうせお国が滅ぼされるなら同じ漢人が良かった」だものね。つらたん……。
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