劉裕論35 明末 王夫之 5下

中華と蛮夷の峻別。これこそがもっとも重んずべき義である。


五帝や夏禹かう殷湯いんとう周武しゅうぶ。彼らはその明徳を明らかとされ、知勇を尽くされ、天のために気を捧げ、地のために理を尽くされた。これがために中華と蛮夷とが隔絶された。すなわち人と禽獣とが分かたれたのである。これは万世を通じて守られ、変わることがなかった。義は確固たるものであり、骨抜きにされることなど、ただの一度もなかったのである。


孔子こうしが著した『春秋しゅんじゅう』において、義とは何か? が厳しく問われた。諸侯は王を奉じることもなく好きなように軍を動かしている。このこと自体を批判はしているものの、せい桓公かんこうけいへの出征、しん文公ぶんこうが起こした城濮じょうぼくの戰いについては、どちらも王のための戦いでこそないが、蛮族たるを打ち払った戦いとして、功績にカウントされている。その楚であっても、更に野蛮な、陸渾りくこんにいる蛮族を討った際の事績は功績として認められた。いっぽうてい文公ぶんこう惠王けいおうの命を奉じてとはいえせいを軽んじ、楚になびいた。この件を春秋は「逃げ帰った」と批判している。あるタイミングに君臣の関係があるからと、その故に古より伝わる通念としての義を廃してよいはずがあるまい。


さて桓温かんおんは独断に基づきしょくを討つべきと表明、無論認可こそ得ているが、蜀に割拠していた勢力、成漢せいかんを滅ぼした。李勢りせいは皇帝を僭称しており、ならば君臣の分を踏みにじっているのは間違いない。しかし皇帝の意向を受けぬまま討伐に踏み切っている以上、君主を蔑ろにしているという意味では、いかほど桓温と李勢に違いがあろうか。筆者がその臣下の分を越えた思い上がりを憎むのは、それが天下の義に適わぬからである。


いっぽう劉裕りゅうゆうもまた独断で南燕なんえん討伐を表明。この振る舞いについて、桓温の例を引いて咎める者がいる。しかし、それはひとときの義を優先して、古来よりの義を捻じ曲げているに他ならぬ。南燕は鮮卑せんぴであり、その一族は代々中華を乱してきた。しかも晋の臣下で南燕をどうにかせねばならぬという議論も上がらず、劉裕に至って初めて上がった始末。暗主はともに軍略を謀るに足りず、臣下らもまともに軍議をなすに足りぬものであり、確かに劉裕には奉ずべき対象がいなかった、と言わざるを得ぬ。


劉裕は『春秋』にて示される義を踏まえれば讃えられようし、最終的に晋よりの簒奪をなしたこと君臣の義よりすれば批判もできよう。しかし南燕討伐に君臣の義の話を持ち出せば、鮮卑に中華を汚されるのを放置することになるのだ。そのときに君主は君主、臣下は臣下だなどと論じておれようか?




而夷夏者,義之尤嚴者也。五帝、三王,勞其神明,殫其智勇,為天分氣,為地分理,以絕夷於夏,即以絕禽於人,萬世守之而不可易,義之確乎不拔而無可徙者也。春秋者,精義以立極者也,諸侯不奉王命而擅興師則貶之;齊桓公次陘之師,晉文公城濮之戰,非奉王命,則序其績而予之;乃至楚子伐陸渾之戎,猶書爵以進之;鄭伯奉惠王之命撫以從楚,則書逃歸以賤之;不以一時之君臣,廢古今夷夏之通義也。桓溫抗表而伐李勢,討賊也。李勢之僭,潰君臣之分也;溫不奉命而伐之,溫無以異於勢。論者惡其不臣,是也,天下之義伸也。劉裕抗表以伐南燕,南燕,鮮卑也。慕容氏世載兇德以亂中夏,晉之君臣弗能問,而裕始有事,暗主不足與謀,具臣不足與議,裕無所可奉也。論者亦援溫以責裕,一時之義伸,而古今之義屈矣。如裕者,以春秋之義予之,可也。若其後之終於篡晉,而後伸君臣之義以誅之,斯得矣。於此而遽奪焉,將聽鮮卑之終汙此土,而君尚得為君,臣尚得為臣乎?


而して夷夏の者は義の尤も嚴なる者なり。五帝、三王は其の神明を勞し、其の智勇を殫くし天が為に氣を分かち、地が為に理を分かち、以て夷と夏とを絕す,即ち以て禽を人に絕ち、萬世にて之を守りて易うるべからずば、義の確乎として拔けず、徙るべからざりたるなり。春秋は義を精しくし、以て極を立つる者なり、諸侯の王命を奉ぜずして興師を擅まとせば、則ち之は貶まる。齊の桓公の陘に次すの師、晉文公の城濮の戰は、王命を奉ぜるに非ずして、則ち其の績を序し之に予う。至れるに乃ち楚子の陸渾を伐てるの戎は猶お爵を書し以て之を進め、鄭伯の惠王が命を奉じ撫して以て楚に從えば、則ち「逃れ歸る」と書し以て之を賤しむ。一時の君臣を以て古今の夷夏の通義を廢せざるなり。桓溫は表を抗じ李勢を伐ち、賊を討てるなり。李勢の僭にては君臣の分は潰したるなり。溫の命を奉ぜずして之を伐たば、溫に以て勢を異なる無し。論者の其の不臣を惡むは、是なり。天下の義は伸ぶるなり。劉裕は表を抗じ以て南燕を伐てり、南燕は鮮卑なり。慕容氏は世よ兇德を載じ以て中夏を亂す、晉の君臣に能く問う弗く、而して裕は始めて事を有す、暗主は謀を與に足らず、具臣は與に議せるに足らず、裕に奉ずべき所無きなり。論者は亦た溫を援くを以て裕を責む。一時の義伸びて、而して古今の義屈せるなり。裕の如き者は春秋の義を以て之を予え、可なり。若し其の後の晉を篡うに終りて、而して後に君臣の義を伸ばし以て之を誅さば、斯に得たらん。此に於いて而して遽に焉を奪うは、將に鮮卑の終に此の土を汙すを聽さんとす、而して君は尚お君為るを得、臣は尚お臣為るを得んか?


(安帝14-2)




お、おう……え?


えーと、「どんな偉大な武勲を立てたところで、それは皇帝を奉じるという前提があってこそ義として讃えられるわけであり、君臣の分を越えて武勲を立てたところで、それは義より逸脱する僣上である」になるかなぁとは思うんですが……ンなこと言ったって劉裕、誰を奉じればよかったん? 安帝は無理ですよね? となると司馬徳宗? いや正直、晋書と宋書をいくらひっくり返してみたところで、「桓温にせよ劉裕にせよ独断を押し通した」証拠って出てきませんよね? だいぶ強めの幻覚見てらっしゃらない?


劉裕が桓玄倒してから南燕討伐立ち上げまでに5年あるんですけど、あまりにその期間をスルーした議論だよなー、と感じざるを得ません。「天子のための武こそが義ある武なのだ」は、お題目としては、まぁ。けどそこから「南燕討伐は天子を蔑ろにした行い」に飛ばれると、ちょっと。


そしてこの論の大前提となるのは前話の内容、「君主が天下を統べるに足る存在であるならば」その下で武を振るうのは千古の義に合致する、であり、そしたら安帝をすげ替えねーといけねーですわよね? この当時の劉裕にどうにか出来る話じゃないよね?


劉裕の行動が誤ってたと言いたいのはわかるんだけど、何から何までクエスチョンマークがとびまくる……読み方がおかしい、と信じたいけどなぁ。



※くらすあてね氏よりのご指摘を頂戴して改稿。改稿前の感想もとっておきます。予想通りまったく読めてなかった。


とりあえず「清○ね」こそが思考のベースである王夫之さん、とことんまで劉裕ラブが突き抜けておりました。桓温レベルの独断専行だぁ? 中華が蛮族に怪我されてんだったら、何を置いてもまず蛮族ぶっちめんのが先だろうが、だそうです。ワァーオ激烈攘夷思想☆

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