劉裕論33 明末 王夫之 4

廉恥れんちの心を見失ったものは、人を押しのけるようにして上役のそばに擦り寄り、大いなる栄誉にその身を浴しておきながら、なおも平然とお国を奸賊に差し出し仕えるものである。前漢ぜんかんで言う劉歆りゅうきん公孫祿こうそんろくや、後漢ごかんで言う華歆かきん郗慮ちりょがその典型と言えよう。


天下はその情況をどれだけ見ていたのだろうか。こういったものたちは悪運強くも国家光復の英主に出くわすことなく、処刑を免れている。とはいえ、誰も彼らのようになりたいとは思うまい。お上がこのような者を引き立てれば、天下より廉恥の心は失われ、そのまま長らく蘇ることもないのだ。


王謐おうひつは代々のしん帝に仕え、いわゆる側近の地位にありながらにして、みずから安帝あんてい印璽いんじをほどき、桓玄かんげんにもたらした。これにより佐命元臣として司徒に任じられている。まさしく華歆、郗慮の流れではないか。しかも桓玄が敗走して後、百官を率いて安帝を出迎えすらしている。詩経しきょう巷伯こうはくにもこの手のたぐいは豺虎も食わぬし、蛮族も受け入れを拒む、と言うではないか。


劉毅りゅうきにより詰問を受けた王謐は曲阿きょくあに逃亡したわけであるが、安帝の復帰を待つまでもなく、法のもとに処刑されるべきであったろう。しかし劉裕りゅうゆうは若い頃から王謐と私的によしみを通じていたところから、彼を呼び寄せて復帰させる、どころか、やはり引き続き百官の上に位置づけた。このような奸賊を高位につけてしまえば、天下の廉恥はたちどころに失われてゆこう。その速さは想像にあまりある。いやしくも志を胸に抱く士大夫たるもの、どうして連れ立ってケダモノに付き従おうとするだろうか?


あの主に仕えて地位を損ねず、その主に仕えて地位を損ねぬ。それからまたもとの主になびき、しかもやはり地位を損ねぬのだ。しかも鞍替えに際しては、帝位を奪って、他者に差し出しまでする。これだけのことをしでかしておきながら、このようなものに高き地位を与えてのさばらせておくに、謝晦しゃかい褚淵ちょえんは恥じ入りもしなかったのだろうか? 沈約しんやくも書いていて疑問に思いはしなかったのか? それとも彼らにとっては、人主とは「そこにあるもの」をただ取り替えるだけの存在にすぎなかったのか?


あぁ! 忠や孝とはは果たして奨励するものでなどなく、懲戒すべきものだったとでも言うのか?


忠臣孝子らを不忠不孝に引きずり込もうとて、石が水を弾くがごとくする。懲戒を待つまでもない。また逆臣や不孝者を忠孝の道に戻すにしても、それは虎を飼いならそうとするかのようなものである。懲戒したところで意味があるまい。奨励や懲戒と言った行いが意味をなすのは、廉恥の心がなければ始まらぬのだ。


忠臣ならざるものが逆臣たりえず、孝子ならざるものが不幸をなさずにるのは、ひとえに刑罰が抑止力となり、更に礼法が行動規範を取り決める故である。刑罰とは死への恐怖のみならず、生きるにしても繁栄を奪う。特に小人たちは未来の栄達をうばわれることが、死よりも恐ろしく感じている。ならば天子が正しく法を運用して誅滅の罰を、公卿が法を守って譴責をなせば、天下の士大夫は廉恥無き振る舞いをなすものに礼を尽くさぬであろうし、民衆もまたその地盤を失った哀れな姿を指差して笑おう。このように生き恥をさらすことを、彼らは最も恐れようから。初めに名目、利ざやの得を奪い去り、その後にやってくる生き恥こそが、初めて悪事を働く者らに羞恥を覚えさせるのだ。天子や大臣が処罰の権限を握りつつ、人心の洗練に勤め上げるのは、以上のことがらが理由である。


さて、では王謐に立ち戻ろう。かれは手ずから安帝の璽綬を解いたにもかかわらず、桓玄打倒後には国家の運営を論ずる場に返り咲いた。このことに恥じ入っておらぬところよりすれば、この時代の廉恥は、すでに上層部にて滅んでいた、と言えよう。ならばどうして下々に廉恥を求めること叶おうか。劉裕が王謐を殺さなかったことが、人心や風俗に百年もの間、災いをもたらしたのだと言える。


唐の時代に蘇威が罷免されたことを思い出してみよ。ああいった老いぼれた奸賊は煬帝に、李密に、王世充にへつらい、また彼らのメンター的な立場を取った。老いに伴う成熟を投げ捨て、目先の欲望に従うことで、賊徒を導いたのだ。そのような者が大手を振るっておれば、おのずと災いはもたらされよう。




廉恥之喪也,與人比肩事主,而歆於佐命之榮賞,手取人之社稷以奉奸賊而北面之,始於西漢劉歆、公孫祿之徒,其後華歆、郗慮相踵焉。然天下猶知指數之也;幸而不遇光復之主,及身為戮,而猶無獎之者。上有獎之者,天下乃不知有廉恥,而後廉恥永亡。王謐世為晉臣,居公輔之位,手解安帝璽綬以授桓玄,為玄佐命元臣,位司徒,此亦華歆、郗慮之流耳。義兵起,桓玄走,晉社以復,謐以玄司徒復率百官而奉迎安帝,此誠豺虎不食、有北不受之匪類矣。劉毅詰之,逃奔曲阿,正王法以誅之,當無俟安帝之復辟。而劉裕念疇昔之私好,追還復位,公然鵠立於百僚之上,則其崇獎奸頑以墮天下之廉恥也,唯恐不夙。茍非誌士,其孰不相率以即於禽獸哉?俄而事此以為主,而吾之富貴也無損;俄而事彼以為主,而吾之富貴也無損;奪人之大位以與人,見奪者即復得焉,而其富貴也抑無損。獎之以敗閑喪檢,而席榮寵為故物,則何怪謝晦、褚淵、沈約之無憚無慚,唯其所欲易之君而易之邪?嗚呼!忠與孝,非可勸而可懲者也。其為忠臣孝子矣,則誘之以不忠不孝,如石之不受水而不待懲也。其為逆臣悖子矣,則獎之以忠孝,如虎之不可馴而不可懲也。然則勸懲之道,唯在廉恥而已。不能忠,而不敢為逆臣;不能孝,而不敢為悖子;刑齊之也,而禮之精存焉。刑非死之足懼也,奪其生之榮,而小人之懼之也甚於死。天子正法以誅之,公卿守法以詰之,天下之士,衣裾不襒其門,比閭之氓,望塵而笑其失據,則懼以生恥。始恥於名利之得喪,而漸以觸其羞惡之真,天子大臣所以濯磨一世之人心而保固天下者在此也。手解其璽綬,而復延之坐論之列,兩相覿而不慚,則恥先喪於上,而何望其下乎?裕之不戮謐也,人心風俗之禍延及百年。唐黜蘇威,而後老奸販國之惡習以破。惜老成,徇物望,以為悖逆師,禍將自及矣。


廉恥の喪ぶるや、人と肩を比し主に事え、而して佐命の榮賞を歆け、手に人の社稷を取りて以て奸賊に奉じ之に北面す、西漢の劉歆、公孫祿の徒に始まる。其の後に華歆、郗慮が相い踵ぎたる。然れど天下は猶お之を指數せるを知るなり。幸いにして光復の主に遇わずして身に戮の及べるを為さず、而も猶お之を獎む者無し。上に之を獎む者有らば、天下は乃ち廉恥有れるを知らず、而して後に廉恥は永く亡ぶ。王謐は世に晉臣為りて公輔の位に居り、手ずから安帝が璽綬を解き以て桓玄に授け、玄が佐命元臣と為り、司徒に位す、此れ亦た華歆、郗慮の流なるのみ。義兵の起ち、桓玄の走り、晉社の以て復し、謐は玄の司徒なるを以て復た百官を率い安帝を奉迎す、此れ誠に豺虎も食わず、有北も受けざるの匪類なり。劉毅は之を詰り、曲阿に逃奔せど、正に王法を以て之を誅すべきこと、當に安帝の復辟を俟つ無し。而して劉裕は疇昔の私好を念い、追い還じ復位せしめ、公然と百僚の上に鵠立す、則ち其の奸頑を崇獎し以て天下の廉恥を墮としむや、唯だ夙からざらんことを恐る。茍しくも誌士に非ずば、其れ孰ぞ相い率いて以て禽獸に即かざらんや? 俄にして而して此に事え以て主と為し、而も吾の富貴や損ぜる無し。俄にして而して彼に事え以て主と為すに、而して吾の富貴や損ぜる無し。人の大位を奪い以て人に與え奪わるを見る者の即ち復た得せるに、而して其の富貴なるや抑そも損ぜる無し。之を獎むに以て閑を敗り檢を喪い、而して榮寵に席し故物と為す、則ち何ぞ謝晦、褚淵、沈約の憚る無く慚づる無く、唯だ其の之が君を易えんと欲せる所のままにして之を易うるを怪しまんや? 嗚呼! 忠と孝とは勸むべくして懲らすものに非ざるなり。其の忠臣孝子為るは、則ち之を誘うに不忠不孝を以てするも、石の水を受けざるが如くにして、懲を待たざるなり。其の逆臣悖子為るは、則ち之を獎むに忠孝を以てし、虎の馴らすべかざるが如くして懲らすべからざるなり。然れば則ち勸懲の道は唯だ廉恥に在るのみ。忠能わざれど敢えて逆臣為らず、孝能わざれど敢えて悖子為らざるは、刑の之を齊うればなり。而して禮の精は存す。刑は死の懼るるに足る非ざるなり。其の生の榮を奪う、而して小人の之を懼るる死より甚し。天子は正に法を以て之を誅し、公卿は守法を以て之を詰り、天下の士は衣裾を其の門に襒せず、比閭の氓は塵を望みて其の失據を笑う、、則ち生を以て恥づらるを懼れれ、始め名利の得を喪うを恥じ、而して漸くを以て其の羞惡の真に觸れる。天子・大臣の一世の人心を濯磨し、天下の者を保固せるの所以、此に在りたるなり。手づから其の璽綬を解き、而して復た之を坐論の列に延べ、兩つながら相覿みて慚じざる、則ち恥は先に上にて喪ぶ。而して何ぞ其の下を望まんか? 裕の謐を戮さざるや、人心風俗の禍を百年に延及す。唐、蘇威を黜し、而して後に老奸の國を販ぐの惡習を以て破れたる。老成を惜しみて物望に徇い、以て悖逆の師と為す、禍い將に自ら及ばんとせるなり。


(安帝10)




王謐=劉歆、公孫祿、華歆、郗慮、蘇威レベルのクソ、と言いたいようです。ん、あんまり漢代に詳しくはないけど、この辺を佞臣と語る論ってあんまり聞いたことないような……? あっ蘇威についてはぱっと詠んだだけで流し満貫レベルのアレでしたので除外しますが。


この辺も、王夫之の時代に王謐みたいな振る舞いぶち決めてたクソ野郎がいた、みたいに見なしておくのがいいんでしょうねえ。いくらでもいそうですし。


個人的には劉裕と王謐の繋がりを無邪気に「個人的なつながり」みたいに評してんのって「バカかな?」案件なんですよね。泣く子も黙る琅琊ろうや王氏、しかも東晋とうしん大元勲たる王導おうどうサマのご子孫サマに関わることが叶う「ザコ」って、どう安く見積もってもかなりの社会的下地あるよね? って思えてならんのです。


ともなれば、劉裕が王謐を殺さないのもそれなりの圧力のゆえであり、「天衣無縫蓋世不抜の大英雄劉裕サマの独断と偏見によってこのクソ貴族は救われましたwww」みたいなのって、もう根本から当時の事情を把握できてねーんじゃねーのって思うんですよね。


ただし、著述という「公的な場への殴り込み」をブチ決めるのであれば、名目論はちょう重要だし、どう扇動すべきかは全力で考えなければいけないこと。シビリアンコントロールは世情を深く踏まえなければなし得ません。宋明清代のいびつでキモい言論は、「その方向性の言論が最も当時の民衆を煽れた」ことを認識せねばならんのでしょう。


うーん、なんか理解を全力で投げ出したい、よねっ☆

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