劉裕論32 明末 王夫之 3

桓玄かんげんが簒奪をなそうかというとき、北府ほくふ軍のうち敵対の意思を示すものは殺した。司馬休之しばきゅうし劉敬宣りゅうけいせん高雅之こうがしは揃ってしんを脱出、鮮卑せんぴの支配する南燕なんえんに亡命した。これは後の世の劉昶りゅうちょう蕭寶寅しょうほういんの先駆けともいえよう。


無論彼らとてそれぞれ志は抱いておろうし、しかも好き好んで蛮族に汚された地に赴きたいとも思いはすまい。死の窮地に迫られ、やむなく脱出したに過ぎないのであろう。しかし世捨て人となる選択肢を取ったのは、紛れもなく彼らの意志である。桓玄よりの災いが迫るからと、必ずしも殺害されるわけでもあるまい。ならばあえて膝を屈して忍従することとて考えられはしなかったのだろうか。鮮卑の力を借りて桓玄を討つ、その志は、確かに晋への不忠には当たるまい。しかし士大夫としての節度を思えば、慌てふためいた末の選択肢が、どうしてよりにもよって鮮卑であったのか?


それに引き換え、劉裕りゅうゆう北府ほくふ軍の英傑として、劉牢之りゅうろうしの下で働いていたわけだが、堂々とした態度で京口けいこうに腰を据えていた。そんな劉裕に対し、果たして桓玄は猜疑心を抱いてはいなかっただろうか。そのあまりにもどっしりとした構え方は、劉裕にとって桓玄が脅威でなぞなかったことを物語る。堂々とした態度を貫いたまま、いきなり桓玄を転覆させたわけである。


劉裕は桓玄の治世がどのようなものとなるかは考えず、とにもかくにも五斗米道ごとべいどうを追撃した。盧循ろじゅん東陽とうように破り、徐道覆じょどうふくを粉砕、さらに晉安しんあんにまで追撃、南の彼方に追いやった。一日たりとて倦まず軍務に専念した。晉のための行動ではあるが、それは取りも直さず桓玄を利する行動ともなる。ただし、それはそれで構わなかったのだ。最終的に晋のためになる行動なのだから。その威名を五斗米道らの間に轟かせ、実戦にて兵卒らを鍛え上げた。それはさも、桓玄が簒奪の意思を抱いていることなど知らぬかのようである。


このように振る舞われてしまえば、桓玄としても劉裕が背こうとしているか否かを占う手立てもない。また背くと見なしたところで、手の出しようもなかった。桓玄の妻、劉氏は劉裕の排除を助言したが、桓玄はこう答えている。「中原の平定を、やつ無しで成し遂げることはできまい」と。劉裕を使う、と決めたところで、ぐんぐん劉裕は威名を伸ばす。このときには、もはや排除のしようがなかった。故にあえて手出しをせず、劉裕がスキを見せるのを待ち望んだのである。そのことを劉裕も気付いていたので、堂々たる態度で宮中に入り、暗殺の危険性なぞ気にもとめなかった。桓玄の下にあっても変わらず三たび妖賊を破り、行いは正しく、守れば堅固、人材を得れば疑うこともなく、仮に疑惑のある人物を得たところで、どうしてその人物が劉裕暗殺、貶めに動けただろうか。


あぁ! 人士たるもの、いざ自らの滅亡の瀬戸際に立たされれば、その日の到来に怯え、おかしな真似に転びそうなものである。しかし本来は粛々となすべきことをなし、大願実現のタイミングを手繰り寄せるべきなのである。こうして偉大な事業を成し遂げたものが、実際にここにあるではないか! 死ぬこともなく、さりとてその節度を曲げたわけでもない。


司馬休之、劉敬宣、高雅之は自らのなすべき役割をなげうち、確かに桓玄打倒の志こそ抱いていたが、その手段が亡命であっては仕方がない。英雄の軍略とは、君子の振る舞いにも通ずるものである。自らの身に危機が及ばないようにし、後に動く。人士らとの交わりを定め、大願を求める。これらを正しく用いることが叶えば、いざ天変地異が起こって人々を率いねばならなくなったにしても、恥じ入る事なく立ち回ることがかなおう。




桓玄將篡,殺北府舊將之異己者,司馬休之、劉敬宣、高雅之相率奔燕,棄故國而遠即於異類,為劉昶、蕭寶寅之先驅。夫諸子亦各有其誌行,豈其豫謀此汙下之計為藏身之固哉?迫於死而不暇擇爾。雖然,其為棄人於兩閑,固自取之也。桓玄之逆,非徒禍在所必避也,禍即不及,而豈忍為之屈。諸子據山陽以討玄,雖不必其忠於晉,而固丈夫之節也,何至周章失措而逃死於鮮卑邪?夫劉裕亦北府之傑,劉牢之之部曲也,坦然自立於京口而無所懼,玄豈與裕無猜乎?裕自有以為裕,而玄不足以為裕憂也。裕之還京口也,以徐圖玄也;乃置玄不較,急擊盧循於東陽而破走之,旋擊徐道覆而大挫之,追盧循至晉安而又敗之,未嘗一日弛其軍旅之事也。為晉用而若為玄用,為玄用而實為晉用;威伸於賊,兵習於戰,若不知玄之將篡者,而玄亦無以測其從違;非徒莫測也,雖測之而亦無如之何也。故玄妻劉氏勸玄除裕,而玄曰:「吾方平蕩中原,非裕莫可用者。一既思用裕,亦固知裕威已建,非己所得而除也。玄知裕之不可除,故隱忍而厚待之以俟其隙;裕亦知玄之不能除己,故公然入朝而不疑。唯浹歲之閑,三破妖賊,所行者正,所守者堅,人不得而疑,雖疑亦無名以制之也。裕居不可勝之地,而制玄有余矣。嗚呼!士當逆亂垂亡憂危沓至之日,詭隨則陷於惡,躁競則迷於所向,亦唯為其所可為,為其所得為;而定大謀、成大事者在此,全身保節以不顛沛而逆行者亦在此。休之、敬宣、雅之舍己所必為,則雖懷討逆之心,而終入於幽谷矣。英雄之略,君子有取焉,安其身而後動,定其交而後求,正用之,可以獨立於天綱裂、地維坼之日而無疚媿矣。


桓玄の將に篡ぜんとせるに、北府が舊將の己に異せる者を殺す。司馬休之、劉敬宣、高雅之は相い率い燕に奔じ、故國を棄て遠く異類に即き、劉昶、蕭寶寅の先驅為る。夫れ諸子は亦た各おの其の誌行有り、豈に其れ豫め此の汙下の計を謀りて藏身の固を為らんか? 死に迫られ擇むに暇あらざるのみ。然りと雖ど、其の兩閑に棄人為るは、固に自ら之を取るなり。桓玄の逆、徒に禍の必ず避くる所に在るのみに非ざるなり。禍の即ち及ばざらば、而して豈に之が為に屈せるに忍びんや。諸子は山陽に據りて以て玄を討つは、不必ずしも其れ晉に忠ならざると雖ど、固に丈夫の節なれば、何ぞ周章し措を失いて死を鮮卑に逃るるに至らんや? 夫れ劉裕は亦た北府の傑にして、劉牢之の部曲なり、京口にて坦然自立し懼る所無く、玄は豈に裕に猜無きや? 裕は自らを以て裕と為す有り。玄は以て裕が憂為るに足らざるなり。裕の京口に還ぜるや、以て徐ろに玄を圖れるなり。乃ち玄を置きて較ぜずして、盧循を東陽に急擊し破りて之を走らしめ、徐道覆を旋擊し大いに之を挫き、盧循を追いて晉安に至りて又た之を敗り、未だ嘗て一日とて其の軍旅の事に弛まざるなり。晉の用を為し、而して玄の用を為すが若くし、玄の用を為し、實に晉の用を為す。威は賊に伸び、兵は戰にて習い、玄の將に篡ぜるを知らざるが若くす。玄も亦た以て其の從違を測る無し。徒だ測れる莫きのみに非ずや、之を測ると雖ど亦た之を如何とせる無きなり。故に玄が妻の劉氏は玄に裕を除くべく勸めど、玄は曰く:「吾れ方に中原を平蕩せるに、裕莫くして用くべき者非ざらん」と。一に既に裕を用うべく思い、亦た固く裕が威の已に建ち、己の得て除く所に非ざるを知るなり。玄は裕の除くべからざるを知り、故に隱忍し厚く之を待し以て其の隙を俟てり。裕も亦た玄の己を除く能わざるを知り、故に公然と入朝し疑わず。唯だ浹歲の閑、三たび妖賊を破り、行いはるは正しく、守れる所は堅く、人を得ては疑わず、疑うと雖ど亦た名の以て之を制す無きなり。裕は勝つべからざるの地に居りながらして玄を制すに余有りたる。嗚呼! 士の當に逆亂し亡ぶに垂んとせば、沓至の日を憂危し、詭隨し則ち惡に陷ち、躁競せば則ち向かう所に迷うも、亦た唯だ其の為すべき所を為し、其の為すを得る所を為すのみ。而して大謀を定め、大事を成す者は此に在り。身を全うし節を保ち以て顛沛し逆行せざる者も亦た此の在し。休之、敬宣、雅之は己の必ず為す所を舍て、則ち討逆の心を懷くと雖ど、終に幽谷に入りたる。英雄の略、君子に取る有り。其の身を安んじ後に動くは、其の交を定め後に求む、正しく之を用うらば、以て天綱の裂け地維の坼くるの日に獨立せるも疚媿無きなり。


(安帝9)




あぁ、わかった、これは悲しい、マジで悲しいですわ……「劉裕ほどの偉才がありながら、どうして天下統一の大願を果たさぬまま簒奪に出たのか!」という怒りですね。そしてそれは、周辺の人間が誤らせた。


清によって明を滅ぼされた王夫之としては、劉裕のような英雄にいてほしかっただろうし、活躍もしてほしかったでしょう。そう、現代に。それは明を盛りたて、清を追い払うほどの蓋世の英雄。王夫之の求める英雄観にあまりにも合致しすぎるために、だからこそ、その覇道の挫折、挫折の末の簒奪が許せない。そういうロジックになっていきそう。


ごめんあまりにも激烈なんで正直笑っちゃった。

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