劉裕論30 明末 王夫之 1

みん 王夫之おうふし読通鑑論どくつがんろん

明末みんまつ清初しんしょの人で、明が外夷=清によって滅んだことを嘆き、強い華夷思想と身分秩序の確立の必要性を表明した、という人。明こそ正義、清はクソ論者である。この立場からすれば「劉裕りゅうゆうによる勢力拡大そのものは善」という前提は出てくるでしょう。ただ、それ以外はどうなのかしらね。というわけで、その内容を追ってみます。



南斉なんせい蕭道成しょうどうせいりょう蕭衍しょうえんずいの楊堅、五代ごだい後梁こうりょう朱溫しゅおん後晋こうしん石敬瑭せきけいとう後周こうしゃう郭威かくいがなした簒奪はみな石勒せきろくが語った「狐媚こびを以て天下を取る」であると言える。劉裕りゅうゆうの簒奪は、それらよりもマシではあろう。


劉裕の武功は一つに限らぬ。その躍進のきっかけとなった孫恩そんおん討伐一つを取っても、海塩かいえんで侵攻を食い止め、京口けいこうで迎撃、逃げる孫恩そんおん郁洲いくしゅうまで追撃、終いには海に身を投じ、自殺させた。


この頃、長江ちょうこう上流では桓玄かんげんが謀反の志をたくましくしており、司馬道子しばどうし元顯げんけん親子は朝廷にあって政を乱していた。王凝之おうぎょうし謝琰しゃえんは凡庸な才覚でもって五斗米道ごとべいどうにあたったが、それは烈火に羽毛を投げ込むようなものでしかなかった。もし劉裕がいなければ、桓玄がいなかったにしても五斗米道に滅ぼされていたであろうし、そうでなくとも三吳さんごのエリアに蓄積された力と恨みとが建康けんこうに襲いかかり、しんを跡形もなく滅ぼし尽くしたであろう。劉裕は他の何をも顧みず、ただ五斗米道の撃破に全力を尽くした。これを大功と呼ばずして、他の何を大功と呼べばよいのか。


無論、天子とは天に命ぜられるもの。一つ武功があったからと、それで継承できるものではない。ただし、人々が苦難にあえぐなか、劉裕の他に大いなる功を挙げられるものもない状態であれば、天としても劉裕を見捨てるわけにもゆかぬのである。これは故に先に挙げた簒奪者らの立てた国が長続きしなかったのに対し、劉宋は五十年を越えもし、かつその子孫らは、今なお栄えてさえいることが示している。


それにしても、謝安しゃあん苻堅ふけんを退けて後、あるいは郭子儀かくしぎ安碌山あんろくざん史思明ししめいを平定して後に皇位をうかがったとすれば、彼らはあれほどまでに慕われていただろうか?


劉裕は学なきものである。彼の現役時代、桓温かんおん以降皇位がいつ簒奪を受けてもおかしくはない状況であった。加えて劉裕が仕えたのは信義なき将、劉牢之りゅうろうし。劉裕の下で働いたのは僭上をそそのかしてくる劉穆之りゅうぼくし傅亮ふりょう謝晦しゃかい。こういった者たちの影響を受け、劉裕はついに簒奪の愚をなしてしまった。その名声を、蕭道成とほぼ等しくしてしまったのである。


劉裕はその身を常に死線にさらし、逆賊と戦い抜いてきた。いつ果てるとも知れぬ身の上で、躍進し、ついに皇統が自らのもとにもたらされる、だなどと考えただろうか。


無論、かの争乱の世において、劉裕以外の誰が覇を唱えられたか、についてもまた考えねばならぬのだろう。




蕭道成、蕭衍、楊堅、朱溫、石敬瑭、郭威之篡也,皆石勒所謂狐媚以取天下者也,劉裕其愈矣。裕之為功於天下也不一,而自力戰以討孫恩始,破之於海塩,破之於丹徒,破之於郁洲,蹙之窮而赴海以死。當其時,桓玄操逆誌於上流,道子、元顯亂國政於中朝,王凝之、謝琰以庸劣當巨寇,若鴻毛之試於烈燄。微劉裕,晉不亡於桓玄而亡於妖寇;即不亡,而三吳全盛之勢,士民所集,死亡且無遺也。裕全力以破賊,而不恤其他,可不謂大功乎?天子者,天所命也,非一有功而可只承者也。雖然,人相沈溺而無與為功,則天地生物之心,亦困於氣數而不遂,則立大功於天下者,為天之所不棄,必矣。故道成、衍、堅、溫、敬瑭、威皆不永其世,而劉宋之祚長,至於今,彭城之族尤盛。若夫謝安卻苻堅而懷滄海之心,郭子儀平安、史而終汾陽之節,豈可概望之斯人乎?裕,不學者也;裕之時,僭竊相乘之時也;裕之所事者,無信之劉牢之,事裕者,懷逆僥功之劉穆之、傅亮、謝晦也;是以終於篡而幾與道成等伍。當其奮不顧身以與逆賊爭生死之日,豈嘗早畜覬覦之情,謂晉祚之終歸己哉?於爭亂之世而有取焉,舍裕其誰也?


蕭道成、蕭衍、楊堅、朱溫、石敬瑭、郭威の篡なるや、皆な石勒の所謂「狐媚を以て天下を取る者」なり。劉裕は其には愈らん。裕の功を天下に為せるや一ならず、力戰を以て孫恩を討てるに始まり、之を海塩に破り、之を丹徒に破り、之を郁洲に破り、之を蹙むこと窮まりて海に赴くを以て死せしむ。其の時に當りて、桓玄は逆誌を上流に操り、道子、元顯は國政を中朝にて亂し、王凝之、謝琰は庸劣を以て巨寇に當り、鴻毛の烈燄に試さるが若し。劉裕の微くらば、晉の桓玄に亡びずとも妖寇に亡びん。即ち亡びずとも、三吳全盛の勢、士民の集える所、死し亡びて且つ遺れる無きなり。裕は全力を以て賊を破り、其の他を恤えず。大功と謂わざるべけんや? 天子は天の命ぜる所なり。一に功有りて只だ承くべき者に非ざるなり。然りと雖ど、人の相い沈溺し、與に功為す無かれば、則ち天地に物の生ぜるの心、亦た氣數にて困ぜるも遂ぐらず、則ち大功を天下に立つる者、天の棄さざる所為るは必さん。故に道成、衍、堅、溫、敬瑭、威は皆な其の世を永ぜず、而して劉宋の祚の長きは、今に至りても,彭城の族は尤も盛んなり。若し夫れ謝安の苻堅を卻くに滄海の心を懷き、郭子儀の安、史を平ぐるに汾陽の節を終わらさば、豈に概し之を斯の人に望まんか? 裕は學せざる者なり。裕の之時、僭竊の相い乘ぜるの時なり。裕が事えたる所の者,信無きの劉牢之にして、裕に事うる者は逆を懷き功を僥むる、劉穆之、傅亮、謝晦なり。是を以て終に篡じ、道成と幾ぼ等伍たる。當其の奮いて身を顧みざるを以て逆賊と生死を爭いたるの日にて、豈に嘗て早く覬覦の情を畜え、晉祚の終に己に歸せるを謂わんか? 爭亂の世に於いて取る有るは、裕を舍て其れ誰ぞや?


(晋安帝6)




劉裕論最大の大物(文字数的な意味で)、王夫之さんに突入です。このお方については訓読文がデジコレにあるので、大変に有り難い。

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1239997

正直宋以後の漢文については原則無理だと思ったので……。


そんな王夫之さんの初っ端は、結構劉裕に好意的な感じでした。こっから先でかなりボコしてくるんですけどね。うーん、個人としてはある意味仕方ないけど、総体としてはクソ、みたいな感じになってくるんでしょかね。


なお、やけに孫恩つぶしについてばかり語るのは、王夫之が論を時系列順に並べてるからです。ところで「劉裕以外に功績を立てたものがいない」ように見えるのは、間違いなくチーム宋書が劉裕以外の武将の功績をオミットしたからですよ? そこ無視して「劉裕以外に人はなし」っていうのやめようね?

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