劉裕論25 南宋 葉適 4

史書では王弘おうこうを大いに称えている。いわく政治に通じ、細々ごとをもよく気にかけ、時と場合に応じた判断を下し、また宥和寛容を常としていた、と。


時と場合に応じている? 宥和寛容? いったい何を指してそれを語るのか? 八座はちざ丞郎じょうろうたちと空疎な議論をしていたことか? 当時の人々は、そんなものを政治における重大事項と認識していたのか? しかし、かの無能者を当時の人々は賢人であると語っていたのだ。なんとも嘆息せずにおれぬではないか。


徐羨之じょせんし傅亮ふりょうが後事を託されたに当たり、劉義符りゅうぎふ劉義真りゅうぎしんを廃したことまでは、良い。だが殺害はよろしくない。そのようなことをすれば劉義隆りゅうぎりゅうが「次は自分の番かもしれない」と危惧を抱くのは当然のことである。王曇首おうどんしゅらより両名の排除を促されるまでもなかったであろう。しかしその思いを押し留め、動き出しに時を重ねたのには、結局動き出すのが難しかったからなのであろう。もしその期間で劉義隆に過ちがあれば、おそらく徐羨之らは劉義隆をも廃したことであろう。


はてさて、これだけの大権を、秦漢しんかん以後でいかほどの者が持てたのであろうか。




史稱王弘博練治體,留心庶事,斟酌時宜,每存優允。未知斟酌優允者何事?當只指與八座丞郎疏議者耶?當時政體,此為大耶?然後世又有不能如此而稱賢者矣,故可歎也。徐羨之、傅亮受顧命事,營陽、廬陵皆當廢,但不當殺爾。既至於殺,則文帝無以自處,不待王曇首輩追促也。然猶遲回不忍者累年,盖亦難之,所以致帝於有過,乃三人自為,觀其負荷大事,亦秦、漢以後所少。


史は王弘を博く治體に練じ、心を庶事に留め、時の宜しきに斟酌し、每に優允なるを存すと稱う。未だ知らず、優允を斟酌せるとは何ぞの事か? 當に只だ八座丞郎を指し議を疏せる者や? 當時の政體、此を大と為したるや? 然れど後の世に又た此の如きを能わざる有れるを賢と稱したる、故に歎ずべきなり。徐羨之、傅亮は顧命の事を受け、營陽、廬陵を皆な當に廢し、但だ殺に當らざるのみ。既に殺せるに至り、則ち文帝に以て自處す無からば、王曇首が輩の追促を待たざるなり。然れど猶お回るに遲れ忍ばざること年を累ね、盖し亦た之を難ぜるは、帝の過有すに致る所以にして、乃ち三人の自為、其の大事の負荷を觀るに、亦た秦、漢以後に少なき所なり。




ぼく「いや、そこは皇帝を侵しうるほどの権臣がいたじゃなくて皇帝の権威がほとんどストップ安だっただけだと思うよ……?」


しかし南宋みたいな国では「皇帝の権威は天元突破」としておかないと、自分たちの依って立つところを失いかねないんでしょうねえ。多分に同情はすべきところだとも思いますが、それによって議論があまりにもいびつで、奇怪になってる気がします。宋代の言論家たちってめっちゃ息苦しかったんじゃないかしら。あるいはOSにプリインストールされてるようなもんだから特に苦なくその鋳型にハマってた……?


まぁ、自分がどんな鋳型にハマってるかなんて、どんなに意識しても見出し切れるモンでもないですわね。

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