劉裕論11 隋牛弘・中唐杜牧
○
隋文帝
https://sinyousyuden.blogspot.com/2017/12/blog-post.html
劉裕が
ただ、それでも
つまり服飾や祭物、圖畫やその注などは、元々その殆どが
○
唐後期の大詩人として知られるが、かなり政局にも関わっている。ここにある発言は
五胡十六国時代の末期、劉裕はまさしく英雄として立ち、
しかし、配下の誰一人として黄河を渡ることが出来なかった。南岸より、胡族の動きを伺うよりほかありませんでした。
その後、
文帝の偉大なること、劉裕の比ではございますまい。何故なら宋は鄴周辺を獲得できず、隋は獲得が叶っております。故に隋は王となり、宋は覇者止まりであったのです。すなわち、鄴周辺を得られないものは王となることはできず、また覇者としても
十全な権威は保ちにくいのです。
いま、劉從諫や何進滔といったクソは、そういった地に蟠踞しております。これでは天下が揺らぐのもやむをえぬことと申せましょう。
永嘉之後,寇竊競興,因河據洛,跨秦帶趙。論其建國立家,雖傳名號,憲章禮樂,寂滅無聞。劉裕平姚,收其圖籍,五經子史,纔四千卷,皆赤軸青紙,文字古拙。僭偽之盛,莫過二秦,以此而論,足可明矣。故知衣冠軌物,圖畫記注,播遷之餘,皆歸江左。晉、宋之際,學藝為多,齊、梁之間,經史彌盛。
永嘉の後,寇は競興を竊い、河に因り洛に據し、秦に跨り趙を帶びる。其の國を建て家を立つるを論ずるに、名號の傳わりたると雖ど、憲章、禮樂の寂滅は聞ける無し。劉裕の姚を平らげ、其の圖籍を收むに、五經、子史、纔四千卷、皆な赤軸青紙にして、文字は古く拙し。僭偽の盛んなるに、二秦を過ぎたる莫く、此を以て論ぜるは、明らかとすべくに足らん。故に衣冠軌物、圖畫記注、播遷の餘は皆な江左に歸すを知る。晉、宋の際、學藝は多きを為し、齊、梁の間、經史は彌いよ盛んたり。
(隋書49)
晉亂胡作,至,得蜀,得關中,盡有河南地,十分天下之八,然不能使一人度河以窺胡。至高齊荒蕩,宇文取之,隋文因以滅陳,五百年間,天下乃一家。隋文非宋武敵也,是宋不得山東,隋得山東,故隋為王,宋為霸。由此言之,山東,王者不得不為王,霸者不得不為霸,猾賊得之,足以致天下不安。
晉の亂れ胡の作さるに、宋武の英雄を號せるに至り、蜀を得、關中を得、盡く河南の地を有し、天下を十分せるの八,然れど一なる人をして河を度らしむ能わず、以て胡を窺う。高齊の荒蕩に至りて宇文は之を取り、隋文は因りて以て陳を滅し、五百年間、天下は乃ち一家たる。隋文の宋武が敵に非ざるや、是れ宋の山東を得ず、隋の山東を得、故に隋は王為りて、宋は霸為る。此の由にて之を言わば、山東を王者が得ざれば王為らず、霸者が得たらずば霸為らざれば、猾賊は之を得、以て天下を安んぜざるに致るに足る。
(新唐書166)
評価と言うよりは劉裕の事績の振り返り、という感じですね。まぁ牛弘が言ってるのは「劉裕が長安から書籍を持ち帰ろうが帰らなかろうが南北の情報格差は甚だしかった」なので、あんまり劉裕の仕事として取り上げるまでもなさそうな感じですが。ただそこには意外と重要な情報もあったのでは……と、信じたい。
杜牧の方は、劉裕が英雄であったにもかかわらず「山東」を取れなかったのをやや残念がっている感じ? となるとこの人、南朝杜氏の系列の人なんでしょうかね。北朝系の人ならそれほど劉裕に対して同情的にもなるとは思えませんし。また「隋文非宋武敵也」の部分も、英雄度としてなら劉裕のが上と言っているようにも見える。唐末の劉裕の位置づけがどんな感じなのかで、もろもろ解釈が変わりそうです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます