劉裕論9  武周 朱敬則 3

また、質問があった。


「先生は仰っておられましたね。彼は徳を捨て、仕えた者たちの労苦を軽んじた。古きよりの仲間を捨て、側に親しき者もない有様。そうの功臣も、子孫が多く残っていない。これは当然のことだと言えるのでしょうか。そのお考えをお示しくださいませんでしょうか」


朱敬則しゅけいそくは回答する。


「押しなべて奸雄は徳薄きものである。ただし、勇敢なる謀をなす際には果断さを示すものだ。


 そも古より、同盟とは、目の前の敵を倒すために組まれ、その際には組む相手の手腕や心根なども、いやでも知り抜いてしまう。呉越同舟ごえつどうしゅうとも言うだろう。一つの船に乗り、大風を受ければ、手を携えねば、ともに沈むのだ。そのような状況であれば、いやでも相手の手腕を理解しよう。


 だが、空高く飛ぶ鳥たちを狩り尽くし、小ずるきうさぎを殺し尽くしたあと。その才覚が、果たして自らの味方のままであるだろうか。加えて、挙がった功績が自らの手腕に依らず、相手の手腕に依るものであったならば。


 そのように自らの振る舞いを思えば、また相手に叛意があるのではないか、と思え始めてしまう。ひとたび疑心がわけば、次々と疑念が持ち上がり、すべてが背反の兆しと映ったのであろう。韓信かんしん彭越ほうえつは、こうして塩漬けとなり、劉毅りゅうき諸葛長民しょかつちょうみんは滅亡した。


 高らかに堯舜ぎょうしゅんの道を語り、一方で桀紂けっちゅうの行状を語ろうとせず、太公望や邵公奭が周をよく補佐し、えんせいの封土を得たことを讃え、一方でかんそうの仁ならざる行いに見ぬふりをする。


 こういった徳少なき君主の振る舞いを知っているからこそ尉繚子うつりょうし始皇帝しこうていの無道を恐れたし、范蠡はんれい勾踐こうせんよりの災いを免れるため、引退した。張良ちょうりょうに処世を授けた、いわゆる四皓しこう綺里季きりき商山しょうざんに引きこもった。劉邦りゅうほう様の思い上がりを嫌ったためである。光武帝こうぶていの幼なじみ、嚴光げんこうは山野に身を隠した。幼なじみの器量が広からざることを知っていたからである。故あることと言えよう!」




又問曰:「棄德非疲乏,舍舊無親,有宋功臣,多不及嗣。豈理須然乎?請聞其要。」

君子曰:「且夫奸雄者非淳德之稱,謀勇者乃果決之辭。故昔之同盟,擬覆前敵,故無材不露,無心不披。譬若同舟遇風,寧有隱哉?及高鳥盡,狡兔死,其材能我之儔也。我非積行累能,彼之知也。思己之所行,恐彼之己叛,是以雄猜內發,釁兆易萌,韓彭以之菹醢,劉葛由之覆亡。然則高談堯舜之道,不忍論桀紂之行,思燕齊之血食,見漢宋之不仁,故尉繚畏秦王之屈節,范蠡識勾踐之忍人。綺季不出於商山,嫌漢王之侮慢;嚴光潛形於草澤,知劉秀之未宏。有旨哉!」


又た問うて曰く:「德を棄て疲乏せるを非り、舊きを舎て親しき無し、宋に功臣有れるに、多きは嗣げるに及ばず。豈に理は須らく然らんか? 其の要を聞かんと請う」と。

君子は曰く:「且つ夫れ奸雄は淳德の稱に非ず、勇を謀らば乃ち果決の辭たる。故に昔の同盟は前敵を覆るを擬り、故に材に露わならざる無く、心に披せざる無し。譬うるに舟の同じきに風に遇いたるが若くせば、寧んぞ隱有りたるか? 高鳥の盡き、狡兔の死せるに及び、其の材能は我が儔らんや? 我が行を積み累ぬ能うるに非ず、彼の知ならんや? 己が之に行う所を思い、彼の己に叛せるを恐る。是を以て雄猜は內發し、釁兆は易く萌え、韓彭は之を以て菹醢となり、劉葛は之の由にて覆亡す。然れば則ち堯舜の道を高談し、桀紂の行を論ぜるに忍ばざれば、燕齊の血食を思い、漢宋の不仁なるを見る。故に尉繚は秦王の屈節を畏れ、范蠡は勾踐の人に忍なるを識る。綺季の商山を出でざるは漢王の侮を嫌い、嚴光の形を草澤に潛むは劉秀の未だ宏からざるを知ればなり。旨有りしか!」




んーと、これは質問がそもそも朱敬則の発言だった、ってことで良いんでしょうかね? 「先生は以前こう仰っていましたが、その理由を教えて下さい」に対する回答、的な。で、朱敬則は劉毅や諸葛長民を宋の功臣にカウントした、と。


いや待てや。はじめからめっちゃ政敵カウントでしたけど劉毅さん? なんか諸葛長民の言葉から拡大解釈してない?


うーん、「敵対してようが目的が一緒なら手は組むもんだ」けど「それはさておき劉裕のこのあたりの振る舞いに徳はないよね」って感じにすべきなのかなぁ。ひとまず桀紂や始皇帝、勾踐とある意味で同列である,と言いきっている感じではある。


なお、訳文をくらすあてね氏よりご指導頂いております。あわせて氏よりは「有旨哉!」の箇所について、


「劉裕配下にも劉裕に見切りを付けて引退したやつがいないといけないことになりますが、心当たりはございます?」


とのご質問を頂戴しました。そうすると、確かにいるんですよね。孔靖こうせい。劉裕が宋王になった所で引退を宣言、劉裕がそれを大々的に見送っています。また大詩人・陶淵明とうえんめいもある意味でこのカテゴリに含めることができるでしょう。尉繚や范蠡を孔靖になぞらえ、四皓や嚴光を陶淵明になぞらえたとか、そんな感じかもしれませんね。

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