劉裕論

劉裕論1  梁 沈約 上

沈約しんやく:宋書編纂者。宋書は劉宋における各年代の文人が関わっているため、この史論が完全に沈約の筆であると言い切ることは難しい。ただし「宋の歴史を綴る書」において劉宋の開祖を語るのだから、ある程度は統一された見解の筆として見ることができるだろう。




当書編纂者が申し上げる。


かんりゅう氏は四百年もの間、国を保った。その偉大さはしゅうにも比較すべきであろう。たとい全土が戦乱に満ちたとて、人々は劉氏以外に、天下の主無し。斯様な思いを抱いていた。


曹操そうそうはその武威で人々を従えたが、つまるところはただの威圧で皇位を得たに過ぎぬ。人々が漢を忘れたわけではない。故に曹氏の威信が揺らげば、たちまち世には怨嗟が溢れ返った。


しん司馬しば氏は、そんな魏の衰運に乗じ、権勢を高めていった。そうして、ついには帝王となる基礎を築いたのだ。


しかるに、劉裕りゅうゆう様の受命にまで至る道筋は、いかがであったろうか。その道義は、明らかに先朝を超えてはおるまいか。


晋が江南こうなんに逃げ込んでより、皇帝がどれほど天下の主であったろうか。おおよそ、その実権は権臣の元にあった。


確かに君主は尊重こそされてはいたが、それはあくまで権臣の顔色伺いの上に成立していたものであろう。


中でも、桓溫かんおんの雄才は天下を覆わんがばかりであった。そのため禅譲の義は、桓温のもとで実現せんばかりの勢いであった。




史臣曰,漢氏載祀四百,比祚隆周,雖復四海橫潰,而民繫劉氏,惵惵黔首,未有遷奉之心。魏武直以兵威服眾,故能坐移天曆,鼎運雖改,而民未忘漢。及魏室衰孤,怨非結下。晉藉宰輔之柄,因皇族之微,世擅重權,用基王業。至於宋祖受命,義越前模。晉自社廟南遷,祿去王室,朝權國命,遞歸台輔。君道雖存,主威久謝。桓溫雄才葢世,勳高一時,移鼎之業巳成,天人之望將改。


史臣曰く、漢氏祀を四百に載ね、祚の隆なるは周に比し、復た四海橫潰すと雖も、 而して民劉氏に繫け、惵惵たる黔首、未だ遷奉の心有らず。魏武は直だ兵威を以て衆を服し、故に能く坐して天曆を移すも、鼎運雖だ改むるのみにして、而して民未だ漢を忘れず。魏室の衰孤するに及びて、怨非下に結ばる。晉は宰輔の柄を藉り、皇族の微なるに因りて、世々重權を擅にし、用て王業を基む。宋祖の受命するに至りて、義前模を越ゆ。晉の社廟の南遷より、祿は王室を去り、朝權國命は台輔に遞歸す。君道は存したりと雖ど、主が威の謝せるは久し。桓溫が雄才は世を葢い、勳は一時に高まり、移鼎の業は巳に成れど、天人の望は將に改められんとす。




どのような形で、桓温を扱うか。


一通り読んだ上では「桓玄が天命にとどめを刺すためのお膳立てを整えた」印象がある。ようは「曹操レベルで天命を揺らがせたやべーやつ」扱いだ。


晋書は桓温を王敦レベルの逆賊として扱うわけだが、その辺りはつまり「最終的に桓玄につながる」からこその扱いなのだろう。そうやって考えると、晋書=李世民りせいみん期のとうは、なんだかんだで南朝の正当性を認めてるわけですね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る