「紫微垣」苻堅戴記3

 苻暉は洛陽、陝城の兵70000を率いて長安に帰還した。

 益州に拠点を置いていた王廣は、益州の将兵を王蠔に率いさせ、長安の危機を救うための援軍として派兵した。

 慕容沖が長安まで二百餘里のところにまで進軍してきたと聞き、苻堅は長安に撤退、苻方に驪山を守らせ、苻暉を慕容沖迎撃の総大将に任じて50000の兵を配備、苻琳をそのサポートとして後続につけた。


 一方の慕容沖は、女性たちを牛馬に乗せ、示威のための虚兵とした。彼女らに竿を揭げさせて旗であるかのように振らせ、より多くの砂埃が巻き上がるよう土を振り撒かせる、と言った訓練を積ませたうえで、ある明け方、鄭西にある苻暉の陣地に攻撃を仕掛けた。苻暉は迎撃を目論んだが、慕容沖の虚兵策に翻弄され、敗北した。

 苻堅は更に姜宇と苻琳に兵30000を与え、慕容沖を灞上で迎撃させようとした(典型的戦力の逐次投入……)が、やはり敗北。姜宇は戦死、苻琳は流れ矢に当たって大怪我を負った。こうして慕容沖は、遂に長安城の北斉にある離宮、阿房城入りを果たした。

 なお、阿房宮は長安城の西にある。東から攻めてきた慕容沖がこの城に入るという事は、慕容沖が長安城を完全に包囲した、という事でもあった。


 さて、苻堅が燕を滅ぼしたときのこと。このとき慕容沖は12歳であった。

 慕容沖には2つ上の姉がいた。清河公主、慕容无考と言う。絶世の美女であったため、苻堅は慕容无考を妾として抱え込んだ。その寵愛は耽溺、と呼ぶにふさわしいものだった。また慕容沖も男でありながら男をひきつけてやまぬ色香の持ち主であった。そこで慕容沖もまた、苻堅の寵愛を受けることとなった。この頃の苻堅は、この慕容姉弟以外には全く見向きもせぬほどであった。

 長安の人々は、そんな苻堅の様子を歌に託した。

「雌と雄との一羽ずつ、二羽が紫宮に飛び込んだ」

 苻堅のこの溺愛ぶりが、新たなる大乱のきっかけとなるのではないか、と多くの者が恐れていた。苻堅のこの行状を参謀の王猛が切に諫めたため、苻堅は仕方なく慕容沖を解放した。だがそれと同時期、にわかに阿房宮まわりで植林工事が始まった。植えられたのは、桐と、竹。

 ここで長安の人々は又歌った。

「鳳皇、鳳皇。阿房に止まれ。」

 鳳皇、は慕容沖の幼名である。

 人々は阿房宮で突然始まった植林の意図をすぐさま見抜いていた。桐と言えば鳳凰がそこ以外には住まないとされている木であるし、竹については、その実を鳳凰が唯一の食料としている、と言われていた。

 苻堅の願いは、慕容沖の帰還であった。

 それが、苻堅の最も望まぬ形として、叶ったのである。

  



原文:

 苻暉率洛陽、陝城之眾七萬歸於長安。益州刺史王廣遣將軍王蠔率蜀漢之眾來赴難。堅聞慕容沖去長安二百餘里,引師而歸,使撫軍苻方戍驪山,拜苻暉使持節、散騎常侍、都督中外諸軍事、車騎大將軍、司隸校尉、錄尚書,配兵五萬距沖,河間公苻琳為中軍大將軍,為暉後繼。沖乃令婦人乘牛馬為眾,揭竿為旗,揚土為塵,督厲其眾,晨攻暉營于鄭西。暉出距戰,沖揚塵鼓噪,暉師敗績。堅又以尚書姜宇為前將軍,與苻琳率眾三萬,擊沖於灞上,為沖所敗,宇死之,琳中流矢,沖遂據阿房城。初,堅之滅燕,沖姊為清河公主,年十四,有殊色,堅納之,寵冠後庭。沖年十二,亦有龍陽之姿,堅又幸之。姊弟專寵,宮人莫進。長安歌之曰:「一雌復一雄,雙飛入紫宮。」咸懼為亂。王猛切諫,堅乃出沖。長安又謠曰:「鳳皇鳳皇止阿房。」堅以鳳皇非梧桐不棲,非竹實不食,乃植桐竹數十萬株于阿房城以待之。沖小字鳳皇,至是,終為堅賊,入止阿房城焉。




訓読文:

 苻暉は洛陽、陝城の眾七萬を率いて長安に歸す。益州刺史の王廣は將軍の王蠔を遣わせ蜀漢の眾を率いて難に來赴せしむ。堅は慕容沖の長安より二百餘里にまで去るを聞くに、師を引いて歸し、使撫軍の苻方に驪山を戍らしめ、苻暉に使持節、散騎常侍、都督中外諸軍事、車騎大將軍、司隸校尉、錄尚書を拜し、兵五萬を配して沖を距がしめ、河間公の苻琳を中軍大將軍と為し、暉の後繼と為す。沖は乃ち婦人を牛馬に乘せて眾と為さしめ、竿を揭げて旗と為し、土を揚げて塵と為し、其の眾を厲に督し、晨に暉の營を鄭西に攻む。暉は出でて距戰するも、沖の揚塵鼓噪せるに、暉の師は敗績す。堅は又た尚書の姜宇を以て前將軍と為し、苻琳と眾三萬を率いさしめ、沖を灞上に撃つも、沖に敗する所と為り、宇は之にて死し、琳は流れ矢に中り、沖は遂に阿房城に據る。初、堅の燕を滅ぼせるに、沖の姊の清河公主為るは、年十四、有殊に色在り、堅は之を納め、寵すること後庭に冠せり。沖の年十二、亦た龍陽の姿有、堅は又た之を幸いす。姊弟は專ら寵され、宮人の進むる莫し。長安は之を歌いて曰く「一に雌復た一に雄、雙の紫宮に飛び入らる」と。咸な亂の為さるるを懼る。王猛の切に諫むるに、堅は乃ち沖を出す。長安は又た謠いて曰く「鳳皇鳳皇阿房に止まれ。」堅は鳳皇の梧桐ならざるに棲まず、竹實ならざるを食さぬを以て、乃ち桐竹數十萬株を阿房城に植えて以て之を待つ。沖の小字は鳳皇なれば、是に至り、終には堅の賊と為り、阿房城に入りて止まれり。



  ◆  ◆  ◆



 慕容沖が進軍して長安城の前にまで来ると、苻堅は城壁に辿り着き、慨嘆して言った。

「これだけの胡族どもが、いったいどこから湧いてきたというのだ? 何と言う強さを身につけてしまったのだ!」

 また慕容沖に向け。大声で責めたてた。

「大人しく奴婢として、牛や羊と戯たわむれてさえおれば良かったものを、おさおさ死にに赴きおるとはな!」

 慕容沖が、応じて言う。

「奴婢なればこそ、その苦しみたるを厭うたのよ。氐王、汝もそろそろ王位を厭うておろう。なれば王たるを代わってやろう」


 この対峙ののち、苻堅は慕容沖を寵愛していた頃、慕容沖に着せていた錦の服一式を慕容沖に送り届けさせた。その上で詔勅である、と称して慕容沖に伝えた。

「古より、戦の際には使いが行き来しているものだ。卿もわざわざ遠方より起兵しておきながら、得るものが全くない、と言うのであれば、徒労にも程があろう。そこで、この一式を卿に送ろう。これを身につけ、再び余の寵を受けるというのであれば許さぬでもない。斯様に寛大なる朕に対し、どうして卿はわずかな暇の内に変事をなそうだなどと思ったのであろうか」

 これに対し、慕容沖は側仕えに返答させた。

「皇太弟より令する(※慕容暐を皇帝、慕容沖を皇太弟と見做した上で苻堅に呼びかけるとは、即ち苻堅をまつろわぬ配下と扱っている、という事になる)。我が心は天下にあり。今更一着の小恵になぞ心動かされようか。いやしくも天命のもとに、我は動いている。燕室を一丸とするためにも、速やかに皇帝を返還せよ。さすれば苻氏には寛大なるを示し、また鄴を攻め滅ぼしてなお燕室を保存した点については旧恩として報いよう。そなたが示した在りし日の施しを無碍にはせぬ」


 苻堅は激怒して言った。

「王猛、苻融の言を朕が受け入れなかったせいで、鮮卑をここまでつけあがらせてしまったのか」




原文:

 慕容沖進逼長安,堅登城觀之,歎曰:「此虜何從出也?其強若斯!」大言責沖曰:「爾輩群奴正可牧牛羊,何為送死!」沖曰:「奴則奴矣,既厭奴苦,復欲取爾見代。」堅遣使送錦袍一領遺沖,稱詔曰:「古人兵交,使在其間。卿遠來草創,得無勞乎?今送一袍,以明本懷。朕於卿恩分如何,而於一朝忽為此變!」沖命詹事答之,亦稱「皇太弟有令:孤今心在天下,豈顧一袍小惠。苟能知命,便可君臣束手,早送皇帝,自當寬貸苻氏,以酬曩好,終不使既往之施獨美於前」。堅大怒曰:「吾不用王景略、陽平公之言,使白虜敢至於此。」


訓読文:

 慕容沖の進みて長安に逼りたるや、堅は登城して之を觀、歎じて曰く「此の虜は何從より出たれるや? 其の強は斯くの若きか!」と。大言にて沖を責めて曰く「爾輩ら群奴は正に牛羊を牧するべくに、何んぞ死の送るるを為さんか!」と。沖の曰く「奴は則ち奴なれど、既にして奴の苦しきを厭い、復た取りて爾の見ゆるに代わらんと欲せり」と。堅は使を遣わせ錦袍一領の遺りたるを沖に送らしめ、詔と稱して曰く「古の人は兵を交うるに、其の間に使い在り。卿は遠きより來たりて草創せるも、無勞無きを得られんか? 今一袍を送り、以て本懷を明るくす。朕の卿に恩を分するは如何なれど、而して一朝にて忽ち此の變と為れるか!」沖は詹事に命じ之に答わしむるに、亦た稱して「皇太弟に令の有せり:今孤が心の天下に在らば、豈に一袍の小惠を顧んや。苟しくも命の知るを能わば、便ち君臣の手を束ぬるべく、早きに皇帝を送らば、自ら當に苻氏に寬を貸し、以て曩の好に酬い、終には既往の施しを前の獨美とは為さしめず」。堅は大怒して曰く「吾が王景略、陽平公の言を用いざれば、白虜を敢えて此に至らしめんか。」

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