「紫微垣」苻堅戴記4

 苻堅は外交官の郝稚を到獸山に派遣、在野で名を馳せていた王嘉を招聘した。王嘉が到着すると、苻堅は毎日王嘉、及び僧侶の道安を外殿に招き、状況の推移について諮問していた。


 三人が話し合っていたところに、慕容暐が現れた。苻堅を見るなり、土下座して言う。


「我が弟、慕容沖の義に悖る行い、天王より賜った大いなる恩義もないがしろとし、ひとり反逆に邁進する様は、私自身の不徳が招いたもの。その罪は万死にも値致しますのに、天王はその天地をも覆うほどの広きお心をもって、私をお許しくださいました。こうして私は更正の機会を頂くことができました。そこで恐れながら、天王のこの至徳を我が息子らにもお分け願えれば、と、愚考致しました。先に二人の息子が結婚して、明日で三日目となります。我が家にて宴を催したく思っておりますが、天皇のご行幸を賜いますことは叶いましょうか」


 苻堅がこの申し出を承諾し、慕容暐が退出すると、王嘉がぽつりと洩らす。


「椎や蘆でござを作ることは叶うが、文字を書くことは叶わぬ。大雨が降れば、羊は殺されぬであろう」


 その呟きの意味は、苻堅を始め誰も理解することができなかった。


 この夜、朝方まで大いに雨が降り、結局苻堅は慕容暐の家に訪れることができなかった。


 さて、はじめ慕容暐が長安の外に弟らを遣わせ、挙兵させようとしたとき、苻堅の守りがあまりにも厳重であり、苻堅殺害の謀略は全て失敗に終わっていた。とは言え長安城の中には、いまだに千人あまりの鮮卑がいる。そこで慕容暐は城内の鮮卑と結託し、慕容暐の家に隠れさせ、そこで苻堅を暗殺しようと考えていた。

 慕容暐は、城内鮮卑の有力者である悉羅騰、屈突鐵侯らに命じ、鮮卑らに向け、以下のように密かに伝えさせた。


「秦の朝廷は、今慕容暐様を外の守りに充てようとなさっているらしい。聞けば多くの同胞が慕容暐様に付き従っているそうだ。我々もこの機会に応じて、合流すべきではないだろうか」


 鮮卑たちはこの虚言を鵜呑みにした。

 例えば北部人の突賢は、この話に乗るに当たり、妹に対して別れを告げた。と言うのも、突賢の妹は秦の将軍、竇沖の妾となっていたのである。

 この話を聞いた突賢の妹は、竇沖に報告した。どうにかして兄を引き止めてほしい、と思っての行動であった。

 しかし竇沖の反応は、彼女が期待したものではなかった。話を聞くなり血相を変え、苻堅のもとに慌てて向かう。

 竇沖から話を聞いた苻堅は驚愕し、すぐさま悉羅騰を召喚、拷問にかけ、慕容暐の計画を自白させた。


 これによって慕容暐をはじめとした慕容氏一族はおろか、城内の鮮卑は老若男女問わず、全て殺された。


 この頃外部から隔絶されていた長安の食料は底をついていた。人々は大いに飢え、お互いに喰らい合い、その喰らった肉を口の中に留めおき、妻子に分け与える、などと言った事態が起こっていた。




原文:

堅遣鴻臚郝稚征處士王嘉於到獸山。既至,堅每日召嘉與道安於外殿,動靜咨問之。慕容暐入見東堂,稽首謝曰:「弟沖不識義方,孤背國恩,臣罪應萬死。陛下垂天地之容,臣蒙更生之惠。臣二子昨婚,明當三日,愚欲暫屈鑾駕,幸臣私第。」堅許之。暐出,嘉曰:「椎蘆作蘧蒢,不成文章,會天大雨,不得殺羊。」堅與群臣莫之能解。是夜大雨,晨不果出。初,暐之遣諸弟起兵于外也,堅防守甚嚴,謀應之而無因。時鮮卑在城者猶有千餘人,暐乃密結鮮卑之眾,謀伏兵請堅,因而殺之。令其豪帥悉羅騰、屈突鐵侯等潛告之曰:「官今使侯外鎮,聽舊人悉隨,可於某日會集某處。」鮮卑信之。北部人突賢與其妹別,妹為左將軍竇沖小妻,聞以告沖,請留其兄。沖馳入白堅,堅大驚,召騰問之,騰具首服。堅乃誅暐父子及其宗族,城內鮮卑無少長及婦女皆殺之。


時長安大饑,人相食,諸將歸而吐肉以飴妻子。


訓読文:

 堅は鴻臚の郝稚を到獸山に遣わせ處士の王嘉を征せしむ。既にして至り、堅は每日嘉と道安を外殿に召し、動靜を咨りて之を問う。。慕容暐は入りて東堂を見、稽首して謝して曰く:「弟の沖の義方を識らずして、孤にて國恩に背きたれば、臣の罪は萬死に應ず。陛下の天地の容を垂さるに、臣は更生の惠みを蒙れり。臣の二子は昨に婚し、明くるに當に三日、愚かしくも暫し鑾駕に屈し、臣の私第に幸さるを欲す」と。堅は之を許す。暐の出るに、嘉の曰く:「椎蘆にては蘧蒢を作れども、文章は成せず、天の大いに雨さるに會せば、羊は殺し得ず」と。堅と群臣に之を能く解せる莫し。是の夜に大いに雨あり、晨には果して出でず。初、暐の外に諸弟を遣わせ兵を起しむるや、堅の防守は甚だ嚴にして、謀りて之に應ずるも因無し。時に鮮卑の城に在る者は猶お千餘人有り、暐は乃ち密かに鮮卑の眾と結び、謀りて兵を伏して堅に請い、因りて之を殺さんとす。令其の豪帥たる悉羅騰、屈突鐵侯らに潛かに之を告がしめて曰く:「官は今侯を外に鎮ぜしめ、聽くるに舊人は悉く隨えり、某日某處に會いて集うべし」と。鮮卑は之を信ず。北部人の突賢と其の妹は別れ、妹は左將軍の竇沖の小妻と為り、聞きたるを以て沖に告げ、其の兄を留めんと請う。沖の馳せ入りて堅に白されば、堅は大いに驚き、騰を召して之を問い、騰は具に首を服す。堅は乃ち暐父子及び其の宗族を誅し、城內の鮮卑は少長及び婦女無く皆な之を殺す。


 時に長安は大いに饑え、人は相い食み、諸將は歸して肉を吐き以て妻子に飴す。

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