第9話 ネット上で見る「水夫射ち」への意見に突っ込んでみる
さて、ここからは、ネット上で見られるいくつかの「水夫射ち」についての言説(★)を取り上げて、その妥当性を確認(☆)したいと思います。
先述の通り特定の個人を貶めるつもりはありませんので、複数の方がブログやYahoo!知恵袋などで挙げている言説の中から、代表的なものを取り上げてみます。
なお、下記に類似した言説を展開している方を見かけても、それを正そうなどとはしないでください。この文章自体も、あくまで私の私見ですので。
★義経は、当時の合戦では禁じ手とされていた水夫射ちを壇ノ浦で行った。当時は卑怯とされたことだった。
☆「水夫射ち」をした史料はありません。また、「当時は卑怯とされた」とする史料もありません。
★義経は「水夫射ち」を断行したが、平家はそれを潔しとせずに敢えてやらずに散った。
☆そんな史料はありません。想像です。
★常識外の奇襲ばかりの義経は当時、味方からも「こいつは常識がない」と引かれていたらしい。
☆そんな史料はありません。「らしい」じゃありません。
★義経はデビュー戦まで源平合戦から離れた状態(鞍馬山や奥州にいたので)だったので、戦のルールを知らなかった。
☆確かに知らなかった可能性はありますが、そもそも「水夫射ち」をやったという根拠はありませんし、逆落としの奇襲も先述の通りあったのかどうか。
★「水夫射ち」は確かに当時からすればルール破りの常識外だが、時代が変わる時の天才ってそんなものだ。
☆「水夫射ち」をした史料はありませんし、逆落としや放火も上記の通り。
奇襲については、当時の別の戦いで、選択するかどうかで意見が分かれた人々もいたのですが、ということは発想としては存在したし備えるのが当然では…。
なお、民家への放火については「民衆ごと焼き殺した」というオプションがつくこともあります。とにかく義経憎しなのですね…。
★たとえ戦争でも、滅亡をかけた一戦でも、守らなければならないルールはある。大量破壊兵器、捕虜の扱い、非戦闘員の扱い等、最低限の倫理があるべきだ。
☆「水夫射ち」をした史料はありません。その倫理観と「水夫射ち」は関係ありません。
★戦争でフェアプレイ精神というとばかばかしく聞こえるかもしれないが、それを破った義経よりも守って散った平家が好きだ。
☆その価値観は決してばかばかしいものではありませんが、そのために「水夫射ち」や「逆落とし」を史実のように喧伝して利用するのはやめていただきたい。
★勝てば官軍が世の定め、「水夫射ち」をしてでも勝とうとした義経が勝利しただけ。卑怯というのは敗者の理屈。
☆「水夫射ち」をした史料はありません。卑怯とか以前の問題です。
★義経にすれば勝たなくてはならない戦い、「水夫射ち」もやむを得なかった。
☆「水夫射ち」をした史料はありません。やむを得ないとか以前の問題です。
★義経は武士道に反している。
☆武士道が成立するのは江戸時代なので、反するも何もありません。
★壇ノ浦では、義経の「水夫射ち」の卑怯ぶりを糾弾する声が平家から上がった。
☆「水夫射ち」をした史料はないので、創作です。
★「水夫射ち」には、味方からもその冷酷ぶりにおののく者がいた。
☆「水夫射ち」をした史料はないので、どんなにもっともらしく書かれていても、完全に創作です。
★「水夫射ち」は民間人殺害と同じだ。
☆同じかもしれませんし、私も同じだと思いますが、「水夫射ち」をした史料はありません。
などなど。
とにかく、「水夫射ちは史実」を前提としている言説が多すぎて、ほとんど一行で反論が終わってしまう…。
もちろんこれらはおおむね「水夫射ち」の有無に限った話であり、「屋島の強襲は卑怯」「義仲戦での戦い方は汚い」ということであれば、それらを否定するものではありません。
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