第7話 史料を見れば見るほど不可思議な「水夫射ち」

 さて、散々言ってきました「水夫射ちの根拠となる史料がない」という話。

平家物語。

吾妻鏡。

源平盛衰記。

義経記。

愚管抄。

玉葉。

 少なくとも、これらのどこにも出てきません(一部、史料と呼んでいいのかはばかられるものもありますが)。

 にも関わらず、なぜこんなにも「水夫射ち」は多くの人々に信じ込まれたのか。


 実は、似た記述ならあるのです。おそらくこの中でもっとも有名な書物である、平家物語の中に。

 平家物語には、確かに壇ノ浦で平家側の船に乗る水夫や梶取が殺される描写があります。

 原文(ほぼ)はこちら。

 平家物語 巻第十一 先帝身投

「源氏のつは物共(ツワモノドモ)、すでに平家の舟に乗り移りければ、水手・梶取(スイシュ・カンドリ。水夫と舵手のことで いずれも非戦闘員)ども射殺され、きり殺されてて、舟をなほす(=進路を立て直す)に及ばず、舟そこにたはれ(「倒れ」か)臥(フ)しにけり」

 これだけ。

「優勢になって勢いに乗った源氏は水夫や舵取りをも殺しながら平家側へ殺到した」というようなことが書かれているだけで、それを義経が指示したなどとは書かれていません。

 で、このシーンは、既に壇ノ浦決戦の趨勢が決まり、源氏の兵隊が平家の舟へ乗り込んでいっているところです。


 そう、既に戦の大勢は決しているのです。


「劣勢の義経が逆転のために水夫射ちをした」などという解釈が、どこをどう逆さに振ったら出てくるのか、ぜひお聞かせ願いたい!

「壇ノ浦での義経の戦術は、画期的でもなんでもなくただの卑怯だ」とおっしゃる方は、どの戦術がどう卑怯なのか、史料のどの部分にある戦術なのか、具体的にお示しください!

 架空の戦術をもとに卑怯などと批判されても困ります!(トゲをしまいなさい)


 これ以外には、鎌倉幕府編纂の『吾妻鏡』にすら全く記述されていませんし、第一『平家物語』はその名の通り物語ですので、あまり史実の根拠にはできません。

 そもそも揺れる舟の上での矢の射かけ合いが、「武士は狙うけど水夫は外す」なんてことができるのかどうか、から疑問を禁じえません。

 考えれば考えるほど、机上のお話っぽさが増してくるような気がします。

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