第6話 架空の話が「本当は…」になり、アナーキーにディスられる義経
<根拠もないのになぜか通説化した「水夫射ち」>
問題なのは、源平合戦の研究書や図解本でも、「水夫射ち」が当たり前のように明記されていることです。
もちろん根拠の記載はなしで、大抵は「そう言われている」止まりなのですが(義経がやったと断言している本もいくつもある)。
お疑いなら、ぜひお近くの図書館で義経に関する本を何冊か開いてみてください。
とにかくもう、「水夫射ち」はほとんど史実扱いされている勢いすらあります。漫画や小説では、取り扱わなければ、おのぼりさん扱いされるんじゃないかと思われるくらいです。
しかし、こんなにもほうぼうで断言されている「水夫射ち」には、史料の根拠が全くないのです。
にも関わらず、完全に既定の事実として語る人たちがたくさんいるのです。
「ホントか? 史料もない話を、そんなに頭から信じて、何の得もないのにわざわざ義経をディスるような真似をする人がいるのか? その人たち、曲がりなりにも日本史に詳しい人たちなんでしょ?」とお疑いの方は、グーグルでもTwitterでも検索してみてください。その決めつけぶりには、圧倒されるものがあります。あんなに言い切られたら、知らない人は信じてしまうでしょう。
私も、なぜこんなにも「水夫射ち」が信奉され、ドヤ顔でそれを根拠に義経卑怯者説が流布されているのかは分かりません(あっいけないまたトゲが)。
時には、「本当は卑怯者だった源義経」と銘打って水夫射ち説が披露されることもあります。その人の言う「本当は」ってどういう意味で言っているのか、不思議でなりません。史料が事実とは限らないのは当然ながら、それ以前に根拠もないのに…。
ヒーロー像に陰を落とすような残酷でショッキングなエピソードが、アナーキーを自称する人々に、盲目的に喜ばれ、広められたのでしょうか?
時には「義経をどう評価しているかで、その人の歴史に対する知識の深さや、歴史に向き合う真摯さのほどが分かるよ」という人もいました。既存のヒーロー像を信じ込み、「不都合な真実」を知らない、あるいは目を背けるのであれば、歴史への造詣が足りないか、歴史に対して不誠実であるということらしいです。
根拠のない作り話を信奉して、しかもそれを論拠に他人の歴史観まで計ろうとする態度の方が、よほど無知で不誠実ではないでしょうか。
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