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「あじさい君、こっち!」

「悪い。出迎えまでしてくれて」


 そろそろ夜になる、街の繁華街。

 カラオケボックスの入り口で、打ち上げ幹事の柚崎が手を振っていた。


「やっぱ、こういう時はあじさい君がいないとねっ!」

「俺ってそこまで大事か? むしろ太田とか城崎の方が大事じゃないか?」

「……あじさい君」

「ん?」


 柚崎は、俺の耳元に口を近づける。

 ほんのり頬を染めた彼女は、恥じらい混じりの小声でボソボソと囁くのだ。


「せっかく来てくれた打ち上げだけど、二人で抜け出さない?」

「マジで?」


 それは、突然のデートの誘いだった。

 俺は腕を掴まれて、強引にカラオケ店の入るビルの非常階段に連れ込まれた。






「げへへ。うら若き男女が友達の輪を抜けだして二人っきり……ドキドキする?」

「ま、まあな……」


 カラオケ店の薄暗い階段。

 むき出しのコンクリートに、俺と柚崎は座っていた。

 防音が半端な安物ビルが、クラスの連中のざわめきをここまで届かせる。


 ……重苦しい。


 若い男女が二人っきり、隣同士に腰を下ろして、同じ空間を共有している。

 それは、すごく居心地が悪くて……


「柚崎、俺たちも混ざらないか?」

「ヤダ。みんなが楽しんでいる場所は……あたしには辛すぎるもん」


 柚崎は、足元を見ながら言った。

 そこに笑いはなく、テンションも高くない。

 いつも明るい女の見たことがない表情に、俺は戸惑いを隠せなかった。


「どうした? 誰かと喧嘩でもしたのか?」

「あはは、違うって。ただね、夜の星みたいにキラキラ輝いてるあの場所は……今のあたしたちには眩しすぎるよ」


 薄暗い階段に座ったまま。

 おんぼろビルの廊下に立ち並んだ、明るいボックスに目をやる。

 その中では、クラスのみんなが楽しく騒いでいる。


 ところで、


「今のあたしたち?」

「あじさい君もあたしと同じで、何かを諦めた人でしょ?」


 柚崎の発言にドキッとする。

 部活をやめた俺が夢を諦めたことは、まあ分かりきっていることかもしれない。

 でも、面と向かって言われるとダメージがデカイ。


 それより気になるのが『あたしたち』という、柚崎の言い方だった。

 まるで、


「あたしね、太田君のことが好きになったんだ」


 柚崎は語りだした。

 いつものハイテンションとは異なる、自分のキャラを偽っていない口調で。


 柚崎の長電話――初恋の怪談を聞き流した俺と違って、あのデブは失恋で荒れていた彼女と真摯かつ紳士に向き合って慰めてくれて、その過程でデブの優しさと強さに惚れたということだ。モテるデブはこれだからムカつく。


「でもね、好きな人にはかわいい彼女がいて、二人はお似合いカップルで、好きな人は幸せそうで……あたしが付け入る隙なんてねぇーでやんの、あはは……はは…は」

「……お前のキャラと合わないな」

「まあね。こんなこと言えるの、あたしと同類のあじさい君だけだもの」

「……」

「あじさい君はこんな話を知ってる? あるところに神童って言われた天才サッカー少年がいたの。その少年は将来ワールドカップで活躍すると期待されてたけど、進学した中学の名門校ではレギューラーにもなれなかった。その中学校には10年に一人の逸材と言われた選手がいたけど、彼が県内で一番の名門校に進学したらそこでレギュラーにもなれなかったんだって。その名門高校にはナンバーワン選手がいて、彼はプロになったけどまったく活躍できず失意のまま引退。彼がなんの実績も残せなかったプロチームでトップだった選手はワールドカップのメンバーに選ばれたけど、本番ではミスの連続で日本中から「下手くそ」「才能ないからやめちまえ」とブーイングを受けたの。世界クラスのプレイヤーってそーゆーレベル。だから、あじさい君がそこに至れないのは普通のコト。何もおかしくないってワケ」


 そこまで言い終えると、柚崎は俺を見つめてくる。

 数秒間の沈黙、そして――


「そ・こ・で! 人生どん底のあじさい君! ここはひとつ、あたしと付き合ってみないかーい?」


 なんか……

 トンデモないことを言いだした……


「いえーい☆ 二人はお似合い同士! 一緒に過去とか乗り越えられそうじゃん☆」


 それは、いつも柚崎だった。

 自分を偽って明るく振る舞う、素直になれない女の子の柚崎だった。


「……別にあたしを好きになってくれなくていいし、愛してくれなくてもいいから」


 素顔の柚崎は、弱いやつだった。

 どうしようもなく臆病で、好きな人に好きと言えなくて、全てを抱え込むような。

 理屈をつけて誰かを恋人の代用に選ばないと、自分を保てないような。

 それに選ばれたのが俺というだけで、柚崎が好きなのは別人だ。


 だけど、柚崎は変わろうとしている。

 好きな人が手に入らないのを受け入れて、それでも悲しくならない自分に変わろうとしている。


「柚崎……」

「返事の代わりは、キスでもいいぜぇー!」


 ハイテンション柚崎に、俺は決めた言葉を叩きつける。


「その誘いに乗ったぜ……付き合うぞ!」

「そうこなくっちゃ! さっそくチューする? ふひひ、ちゃんと初物でっせ」

「いや、今は健全なお付き合いにしとこうぜ……それより俺はこの場を抜け出す」

「ほぇ? どうして?」

「俺の登場を待ちわびてる、バッドエンド願望の強い悲劇のヒロインがいるんだよ」

「ちょっ! あじさい君、カムバァァっク!」


 柚崎の声が聞こえるけど、華麗にスルーして。

 俺は、夜の街を自転車で駆け抜ける。


 目指す場所は古橋ビル。

 きっとあかりちゃんはそこにいるハズ。


 そして。最後の闘いが始まる。

 ラストバトルが終わったら……今度は俺の闘いが始まるハズ。


 その闘いは、俺が望んだハッピーエンドで終わらない。

 きっと、とてもつまらない終わり方だと思う。


 それでも、俺は――

 その闘いに参加して物語を終わらせないといけない。


 俺が主人公の物語は、

 クライマックスに向けて加速していく――

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