第10話 自殺に成功 → Happy End ドッペルゲンガー・キルミーベイベー


 物語というやつは、ある日突然始まるものらしい。


 だから、平凡な男子高校生の俺が。

 大都会のビルの屋上で、夜空を見上げるセーラー服の美少女と出会った時。

 漫画やラノベの冒頭みたいなシチュエーションで、ドキドキしたのを覚えている。


 涼しい夜風に黒髪を揺らす、小柄で華奢な美少女。

 孤独に夜空を見上げる表情は、清楚で可憐なヒロインの雰囲気。


 日常社会の喧騒から隔離されたコンクリートの大地は、ある種の隔離空間だ。

 目撃者が限られる屋上は異能バトルにピッタリで、愛の告白にもうってつけで、飛び降り自殺にも最適だ。


 なんにせよ屋上は、物語の舞台にしやすい。

 ある日突然物語が始まるのにうってつけな冒頭向けの場所というわけで。

 ビルの屋上で、俺と美少女がボーイミーツガール。

 この物語は、月明かりに照らされる美少女の透き通った声から始まる。


「だれ?」


 凛とした問いだった。

 俺をまっすぐ見据えた瞳が、驚きの丸みを経由して警戒の切れ長に変化する。


「あたしの質問。聞こえなかった?」


 謎の美少女は、さっきより強い口調で同じ質問を繰り返す。

 状況が飲み込めない俺は、呆然とビルの屋上に立ち尽くしていた。


「ここ立入禁止。だからあなたは不法侵入」

「…………」


 言葉に詰まる俺は、状況を分析する。

 俺と美少女は廃ビルの屋上にいて、空を見上げれば夜空が広がっている。

 そんな場所で、俺は見知らぬ美少女と遭遇した。


 このシチュエーション、まるで物語の冒頭じゃないか。

 平凡な高校生の俺が、ある日とつぜん謎の美少女と出会う。

 二人は衝突を繰り返しながら共に困難を乗り越え、やがて恋に落ちてハートがメルトな展開はとても魅力的だと思う。


 だけど俺は、そんな物語の主人公を望んでなかった。

 生まれてずっと主人公補正のない人生を演じ続けた俺は、現実リアルで実際マジな本当にイエス誰にも平等なクソッタレであると知っていた。


 そう、現実は残酷だ。異能や魔法は存在しないし、努力が報われるとは限らず、初恋は実らないし、理不尽は伏線なしで訪れる。

 主人公になるのを諦めた俺は、この世界がいかに普通なのか理解していたが。


「ふん」


 鼻で笑いながら、謎の美少女を見据える。

 俺が主人公の物語は、ここであっけなく終わるハズだった。

 だけど俺は、だれも知らない新たな物語の冒頭に立ち会ってしまったらしい。

 小さな興味と微かな期待が、落ち込んだはずの気分を昂揚させる。


 そう、俺は続きが気になっていた。

 謎の美少女を見なかったことにして、この物語を終わらせるのは――

 俺の好奇心が許さない。

 どうやら主人公に選ばれたらしい俺は、物語の始まりを告げる第一声を口にした。


「おたくこそ、ビルの入り口の立て看板を見たか?」

「危険につき許可なく立ち入りを禁ずる――でしょ?」

「悪者め」

「同じ不法侵入者のあんたも、人のこと言える立場じゃないでしょ?」


 ジト目で睨んでくる美少女に、負けじと俺も言い返す。


「同じ言葉を返すぜ。ナリは真面目そうだが、中身は相当ワルなおたくに」

「うざっ」

「素行のワルさに加えて、口の悪さと、性格の悪さも追加……と」


 軽いやりとり、嫌味の応酬。

 唇を尖らせて不機嫌そうな美少女は、ツンッと拗ねた表情で問いかけてくる。


「あなた誰? ここへ何しに来たの?」

「さぁな。天体観測か何かだろ?」

「手ぶらで天体観測とか嘘くさ。星が見たきゃ午前二時の踏切に望遠鏡担いで飛び込めばいいじゃない」

「それは名案だ。一緒に飛び込むか?」

「ステキなお誘いね。前向きに考えておくわ」

「ノリノリで何よりだ。なお午前二時は電車が走ってないらしい」

「ならやめとく」


 俺が飛ばしたジョークに、謎の美少女はクスっと頬を緩ませた。

 初対面だが、わりと以心伝心が出来ているらしい。


「次はこちらが質問する番だ。おたくは」

「待ってるの」


 質問を先読みして、謎の美少女は答えた。

 静かな口調には、揺るぎない決意が混じっていた。


「何を?」

「あいつを」


 具体性に欠けた回答。

 コレはあれか。俺に質問を促しているのか?

 喋りたくない雰囲気を匂わせつつも、実は喋りたいというアレか?


 いわゆる誘い受け。

 ならば、男らしく誘いに乗ってやろう。


「あいつ? 恋人の事か? どうして廃ビルの屋上に……あぁ、なるほど。見た目は清楚でも大胆なんだな。こんなところで恋人と」

「ち、違うわよっ!」


 ワザとらしく言葉尻を濁すと、謎の美少女は頬を染めて否定してくる。

 うん、分かりやすい反応で面白い。


「なに変なコト考えてるのよ! おバカ!」

「人をバカにするな。俺はお前がどう反応するかを予想した上でからかっただけだ」

「サイテー」


 彼女は、ぷいっと顔をそむけた。


「…………」

「…………」


 しばし沈黙、それが数秒間。

 チラっと、俺の様子を伺う美少女。


「なんだ? 俺に何か用でもあるのか?」

「別に。あんたが邪魔なだけ」


 プイッと、端正なお顔をそむけられた。

 どうやら、好感度マイナスな発言だったらしい。

 しばらく黙っていた美少女は、やがて覚悟を決めたのか。

 至って真面目なトーンで、それを語り始めた。


「用がないなら、さっさとここから逃げた方がいいわよ」

「もし、俺がここに用があって来たなら?」

「命の保証はできないかもね」


 真顔でラノベみたいなセリフを抜かす美少女。


「もうすぐここは危険になるの。巻き込まれたくないなら、この場を離れなさい」

「耐震偽装ごときに、おおげさじゃないか?」


 美少女の言う危険には、心当たりがあった。

 このビルは欠陥マンションで、建設途中で放棄されている。

 完成を前に偽装が判明したからで、鉄筋の数や太さが国の基準を満たしていない。


 耐震偽装問題は、連日ニュースで報道されたからよく知っている。

 問題の発覚後に倒産した建設会社の社長と偽装当事者の建築士が自殺したりで、責任や権利関係が曖昧で、取り壊しもままならない状況らしい。

 話が脇道にそれたが、言うならばそれだけのこと。

 確かに危険なビルだが、今すぐ死ぬほど即効性がある危険とは思えない。


「……そっちじゃない」

「そっち?」

「その説明はダルいの。だから今すぐ消えて」

「断ったら?」

「あたしに殺されるかもね」


 マジなツラで言われた。

 それはラノベのセリフみたいで、とっても厨二な痛々しい言葉回しで。


「なるほど。危険なのは厨二病のおたくか」

「大外れよ。危険なのはあたしじゃなくて……あたし」

「お前じゃねぇか」

「正解よ」

「なぞなぞはおしまいだ。そろそろ答えが欲しいんだが?」

「見てりゃ分かるわよ。誰にも見られたくなかったけど、もう手遅れみたいだし」


 ヤレヤレ、と。

 長いまつげのまぶたを閉じて、大げさなモーションで両手のひらを夜空に向ける。

 小さくため息を漏らしながら、引き絞るような声音でささやいた。


「あたしが――あたしを殺しに来たみたい」

「は?」


 意味不明なつぶやき。

 美少女の表情が、キリリと引き締まる。

 刺すような視線の先にあるのは、ビルの屋上の玄関口。

 塔屋と呼ばれる、小屋みたいな階段の設置場所だ。


 そこに新たな美少女が立っていた。


 小柄で華奢なボディー、腰までありそうな黒髪、清楚で真面目なセーラー服。

 既視感のある見た目で異なるのは、二人目の少女が金属バットを担いでいること。

 それ以外は、どう見ても真横の美少女と同一人物で。


「……双子の妹か、クローン人間か?」

「あたしはひとりっ子だし、クローン作成を依頼した記憶はないわね」

「なら、お前そっくりなアレは何者だ?」

「ドッペルゲンガー」


 ヤツを見据えたまま、傍らの美少女は呟いた。


「聞いたことない? 見ると近いうちに死が訪れる、自分ソックリな分身のこと」

「漫画で読んだことなら」

「たぶんソレよ。あたしは、ドッペルゲンガーに命を狙われているの」

「だから金属バットか。見たら死ぬというか、全力で殺しにきてやがるな」

「ったく。ありがた迷惑な話だわ」

「俺が漫画で見たドッペルゲンガーは、好きと言えないヒロインの代わりに好きな人に告白してくれる良い奴だったけどな」

「なにそれ面白そう。今度タイトル教えて」

「構わないが、あいつはどうする? 殺る気マンマンみたいだが」

「いつものコトよ」


 美少女は小さく笑いながら、スカートの中に手を突っ込む。

 太ももがチラリと見えて、ドキッとしたのは秘密。

 ガーターベルトの革製ホルスターに収められた、ヤバゲな道具にもドキッ。

 物騒な凶器を持つ美少女は、ニヤッと得意気に言うのだ。


「カッコイイでしょ。通販で買ったのよ」


 謎の美少女が太もものホルスターから取り出したのは、

 ――シャキッ

 小気味よい音で伸びる、伸縮機構付きの特殊警棒だった。

 つや消しブラックの光沢があるソレを、右にブンブン、左にブンブン。

 感触を確かめるように振り回して、姿勢を低くかがめる。


「あいつと、やりあうつもりか?」

「当然。あたしは、あいつを殺さないといけないの」


 それが、戦いの合図だった。


 廃ビルの屋上。

 床を蹴る音、ダブルで重なる。


 タタンッと、同じ足音が、

 タタッと、屋上に反響した。


 互いに走りだした二人、縮まる間合。

 警棒と金属バットが、ほとんど同時に振るわれて、

 ――カッ

 夜空をバックに、衝突の火花が散った。


 闇夜に鮮やかなフラッシュが閃き、同じ顔の同じ凶貌を照らす。


 続けて二撃、さらに三撃、

 カンッと警棒が弾かれ、キンッと金属バットが叩かれる。


 さらに四撃、追加で五撃、

 手数の多さで押しまくる警棒、金属バットは防戦主体。


 加えて六撃、カウンター、

 頭上に振り上げられた金属バットが、警棒の脳天炸裂を目指して振り下ろされる。


「甘いっ!」


 警棒を頭上に構えた美少女は、脳天めがけて打ち下ろされた金属バットを受ける。

 金属が擦れる音。火花のフラッシュ。

 ジリジリと白熱した、警棒と金属バットの鍔迫り合い、


 同じ顔と同じ視線が交差する。

 美少女の噛み締められた奥歯が、ギリィィと摩耗音を響かせる中。


「死ねっ!」


 警棒の美少女が前蹴り。

 金属バットを持つ美少女の腹部に命中、


 ドッペルゲンガー、腹蹴りの衝撃で後ずさる、

 チャンスを逃さず、警棒の美少女は助走をつけて飛び蹴り。

 ローファーキックは、同じ顔をしたドッペルゲンガーを打ち据えた。

 飛び蹴りの衝撃で、ドッペルゲンガーの背中がくの字に曲がる。

 下がった頭を両サイドから掴んで、警棒の美少女は片足を後ろに振り上げる、

 掴んだドッペルゲンガーの頭を、グイッと下に押し込む、

 ニヤッと嗤う警棒の美少女は、自分と同じ顔面に。

 渾身の膝蹴りを炸裂させた。


「どうよっ!」


 顔面に膝をモロ。普通に死んでもおかしくない大打撃だ。

 勝利を確信したクリーンヒットが、警棒を持った美少女の注意を散漫にする。

 顔面膝蹴りのダメージから立ち直ったドッペルゲンガーは、金属バットを乱暴に振り回した。


「つぅ……ッ」


 避けきれないバットが、警棒の左手首を砕く。

 苦悶混じりの呻き声、左手首は嫌な場所で折れている。


 警棒の少女、痛みで左腕を垂れ下ろす。

 ドッペルゲンガーも、鼻を押さえて苦しげな様子だった。


「ハァハァ……おかしい」


 警棒の美少女は、荒ぶる吐息で自問していた。


「どうして弱くなってるの……」


 美少女の疑問には答えず、ドッペルゲンガーは踵を返して逃走を始めた。

 同じ後ろ姿が、階段のある塔屋に駆けていく。


 警棒を持つ美少女は叫んだ。


「待ちなさい――って、待ってよ! どうしていつも逃げるのよ! 今日こそお前を殺して……あたしが死ねるハズだったのに!」


 足音が遠ざかっていく。

 ビルの屋上が静寂に包まれる。

 美少女の息遣いだけが、やたらとクリアに聞こえた。


「また逃げられた……」

「それより、折れた手首をどうかした方がよくないか?」


 言いながら、俺は美少女に駆けよった。

 小学生から続けていたサッカー経験から、骨折の応急処置に詳しい自負がある。

 ひとまず、折れた箇所の固定だけでも。


「手首のこと? それなら大丈夫」


 ケロリとした表情の少女が、折れたはずの左手首をぐるぐる回す。

 あっけに取られる俺。確かに折れてたハズ。


 さも当然といった口調で、余裕しゃくしゃくの美少女は言った。


「これね、なぜか戦いが終わると治るの」

「デタラメ過ぎるだろ……」


 折れたハズの左手首は、今ではうっすら傷跡が見えるぐらいに回復していた。


「これって夢だよな……」

「夢なら覚めて欲しいものね」

「試しに頬でもつねってみるか?」

「ぁはは、こんな感じ?」


 ツボにハマったのか。

 謎の美少女は、自分の頬をびよーんと摘んで伸ばした。

 その変顔がやたらと傑作で、俺は不覚にも笑ってしまった。

 二人っきりの屋上に、小さな笑いが響いた。


 それが、

 俺が主役に選ばれた物語の冒頭だった。


 登場人物は、現在2名。


 ヒロインの名前は――古橋あかり。

 高校二年生の戦うJK。

 同じく高校二年生で、物語の主人公の俺は――


 ……………………

 ………………

 …………

 ……

 …




「あじさい、起きろ!」

「どわっっ!!?」


 いきなり教室で目覚めた。寝起きで頭が働かない。

 心臓バクバクでぼけーとしている俺を、同じクラスの女子生徒が覗き込んでいる。

 それは。


「……寝落ちしてた」

「うん。あじさい君、すごく気持ちよさそうに寝てた」

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