09/12

 わたしと城崎君@女装は、奇虫博の会場に到着した。

 駅前にある商業ビルで、ここの七階で奇虫博が開催されているんだけど。


 ここで、わたしは本日最大のピンチと対面しているわけで……


 電車はガラガラだったし、街の人混みも許容範囲内だった。

 どうにか叫び声を出さずに、ここまで堪えることができたけど……


「早瀬よ。オレ様とエレベーターに乗るぞ」

「それでねー、ヒヨケムシはイラクに駐留した米軍から砂漠のモンスターの異名で……え?」


 奇虫と触れ合える未来にヒートアップするわたしは、城崎君の発言で現実に引き戻される。


 ――オレ様とエレベーターに乗るぞ。

 ――わたしに死ねというの!?


 女装した城崎君とエレベーター。

 男の人と二人っきり。狭くて動く密室のエレベーターに。


「……ヤです」


 もぅマジ無理。。。

 エレベーターってゅうのゎ。。

 扉が閉まるとぉ。。。

 出口のなぃ密室にぃなるからぁ。。。

 これゎもぅ。。。

 エレベータ=ャバイってことでぇ。。。

 女装したぁ城崎君がぁ。。。

 淡々と言ぅのぉ。。。


「見ろ。エスカレーターは点検中だ」

「なら階段を使おうよ! ほら、わたしも城崎君も若いし!」

「冗談を抜かすな。会場は七階だ。そんな苦行は断らせてもらう」

「あはは。ならわたしは階段で」

「エレベーターに乗れ」

「無理」

「オレ様と一緒に乗るのだ」

「マジ無理ぃ」

「それでも乗れっ!」

「ひぇぐぅぅ……それだけは無理なの……ごめんね……」


 わたしは即答した。

 たったの数分でも、エレベーターの中は密室になる。

 そこにわたしと男の人が閉じ込められたら……恐ろしすぎて考えたくもない。


 ガチで涙まで出てきたわたしに、城崎君は言うのだ。


「安心しろ。オレ樣は早瀬に何もしない」

「それは分かってるけどっ!」

「何もしないのを分かってるなら問題ないな」

「う"っ」


 嗚呼、ウデムシ神様。

 もうちょっとだけ、城崎君に論破されない口喧嘩の強さが欲しいです。


 節足動物に祈り始めたわたしに、女装した城崎君は話しかけてきた。


「早瀬の男性恐怖症は精神的なものだ。ゆえに慣れが肝心なのだ。男と密室で二人っきりなのは怖いだろう。だが言い換えれば怖いだけである。貴様に実害はない。慣れないうちは嘔吐ぐらいするだろうが、荒療治を繰り返してでも男に慣らしていく必要がある」


 城崎君@女装は、カバンからソレを取り出した。


 おがくずの入った袋。

 ミニホウキとチリトリのセット。

 消臭除菌スプレー。

 ゴム手袋。

 ゴミ袋。

 雑巾。


 唖然とするわたしに、城崎君@女装はニヤッと笑って言うのだ。


「後始末の準備は、このとおり万全だ。思う存分ゲロを吐いて構わんぞ」

「どうして……城崎君はわたしなんかに、そこまで……」

「凡人である貴様にオレ様の崇高なる思想は理解できんだろうな」

「あはは。分からないよ……」


 城崎君@女装の言い方に、わたしはちょっと笑いそうになった。


 そう、城崎君はこういう人だ。

 いつも斜め上の変人で、いつも馬鹿なことを真面目にやる超人で、基本いい人で、きっと城崎君がわたしの男性恐怖症を治そうとしたり、恥ずかしい女装をしたり、SMプレイでお尻を蹴られたり、放課後デートに誘ったり、そんな奇行に大きな理由はないと思う。


 ただ目の前で、わたしが困って悩んでいたから。

 それだけの理由で城崎君は女装までして、男性恐怖症に苦しむクラスメイトの手助けをしてくれた。


 でも、


「分からないよ……だけど……」


 わたしは、カレでも信頼できない。

 以前、男子を信頼して……裏切られた事があるから。

 少しでも男子を受け入れようと思うと、思い出したくない記憶が蘇るから。


 だから、男の人は誰も信じられない。

 これは、わたしにかけられた呪いだから。


 ――もう誰も好きになれない。


 そんな呪いが、わたしこと早瀬蒼はやせ そうにかかっている。

 思い出したくもない出来事から始まった、全ての男子を拒絶してしまう呪いが。

 だけど、それでも、城崎君が違うのは分かる。

 でも、


「……うぅ」


 どうしても足が動かない。

 女装した城崎君とエレベーターに乗る程度のことができない。


 信頼しちゃいそうだから。

 城崎君を信頼してしまいそうだから。

 それはダメだと、わたしの呪いがブレーキをかける。

 全ての男に恐怖を感じろと、呪いがわたしの心を操作してくる。


 どうして……なんで……。


 役立たずな自分が悔しくて、不覚にも涙が出てきた。

 そんなわたしを眺めながら、女装した城崎君は困ったような表情で言った。


「どうしても無理か?」

「……ごめんなさい。城崎君が嫌いじゃないの。でも……わたしは」

「ならこのチケットは、この場で破り捨てても構わな――」

「ぎょえぇえ、ウソ嘘っ!? 乗るっ! 一緒にエレベーター乗る! だからソレ破らないでっ!」

「クククッ、貴様は本当に分かりやすい奴だな~ァァ」

「ヒドぃよぉ……っ」


 体は呪いで動かなかったけど、奇虫を求める乙女の本能は呪いに打ち勝ちました。


「……乗るよ」

「クククッ、一生忘れられぬ密室体験の始まりだ」


 わたしは諦めて、城崎君とエレベータに乗り込む。

 それは怖くて、それはおそろしくて、とても我慢できないことだけど。

 その一歩が、何かを変えるような気がして。

 電光板の数字がだんだん下がって、1Fで止まって「チーン」と音が鳴る。

 自動ドアが開いて、わたしと城崎君は、


「さぁ行くぞ。ゲロも思う存分するがよい。後始末は任せておけ」

「うぅぅ……」


 いざ、女装した男子と!

 密室で二人っきり!

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