07/11


「――ハッ!?」


 目が覚めるとそこは病室で、目の前にはいつもの彼がいた。

 だけど彼は、胸を押さえて床に倒れていた。


「ちょっと! 大丈夫! ねぇ!」


 肩を揺するけど反応なし。すでに意識がない。

 苦悶を浮かべる顔は、土気色をしている。


 ――どうする、深沢シルク?


 あたしはモノに触れることもできないし、誰かに声を届けることもできない。

 看護婦さんの一人も呼べない、幽霊モドキの役立たず。


 だけど……打つ手はあるはずっ!


 彼の腕を掴んで、グイッと手元に引き寄せる。


「――よし!」


 予想した通り、彼の腕が動いた。

 たとえモノには触れられなくても、彼の体は触れられたと思い込んで、あたしの掴んだ通りに腕を動かす。


 生きた指に、幻覚の指を添える。

 幻覚あたしの導きで、起死回生のアイテムに指を伸ばす。

 彼が肌身離さず身につけている、首から下げた錠剤のケースに。


「頼むわよ、ニトロッ!」


 起死回生のアイテム、

 血管を広げる作用がある錠剤を、ケースから取り出して舌下に放り込んだ。


「出来ることは……これぐらい!」


 あと何ができる……

 ナースコール。これはダメ。ギリギリで手が届かない。


 所詮は幻覚の限界か。

 彼の腕をいくら引っ張っても、体はピクリとも動かない。


 あたしは、彼の小さな手のひらをヒシっと握り締める。


 ――さっさと起きろ!

 ――偽物な感触が伝わってるなら、今すぐ目ぇ覚ましなさいっ!


「……ぅ」


 土気色をした下唇から、聞き逃しそうなほど小さな呻きが上がる。 


「だぃ……大丈夫」


 搾り出すように言った彼は、あたしが握った手の中で。

 ピシっと、親指を立てた。


 あたしは思った。

 もう大丈夫、彼は助かった――と。


「良かった……ハハ、ほんと良かった……どうにか間に合ったわ」


 安心したのか。

 あたしの腰がへなへなと砕けて、床にペタンと女の子座り。

 ハハハ……幻覚のくせに芸が細かいじゃない。

 それよか、ザマァ見ろ妹め。

 意外とたいしたことなかった。これまた幻覚の限界か。


「大丈夫?」

「んっ、も、もう大丈夫……」


 その声を聞いて、あたしは確信した。

 勝った。彼はきっと助かる。


 そして――あたしは、もうすぐ消えてなくなる。


「良かったわ……」


 安堵の吐息が漏れた時、ふと彼と初めて出会ったあの日を思い出した。


 彼が無理して大丈夫と声を絞り出したのも一緒、

 床に倒れた彼を介抱するのも一緒、

 ひとつ違うのは、あの日があたしの誕生日で、今日がたぶん命日なだけ。

 思い返せば享年5日の命、それももうすぐ終わる。


「話せる?」

「うん、だいぶ楽になってきた」


 落ち着いた彼は、あたしの問いかけにもしっかりと答える。


「えーと……なにから話したらいいかなー? そうね、たぶんあたしの正体だけど――気づいてる?」

「うん。お姉ちゃんが幻だってことなら。確信したのは昨日だけど」

「それなら話は早いわ。えー、本日を持ちまして役目を無事果たした深沢シルクちゃんは、綺麗サッパリ消えてなくなっちゃいます!」


 明るくポジティブに馬鹿っぽく、湿っぽく消えるより笑って消えるほうがいい。

 無理に絞り出したテンションで、あたしは彼に宣言した。


「もう、お別れなんだね……」

「そうだけど……どうする? たぶん1時になったら消えちゃうと思うけど……そういえば」


 あたしは、まだ終わっていない事を思いだした。


「スケッチブックの絵。どこまで完成したの?」

「ああ、すっかり忘れてた……」

「どうかしら? 残り時間は少しだけど、最後まで完成させられる?」


 問いかけてみると、彼は首をコクリと縦に振った。


「さっすがー! そうこなくっちゃ!」


 笑うあたしは、ウキウキと例のパイプ椅子に腰を下ろす。


「どう? 綺麗に書けてる?」

「うん、あと少し……」


 シャカシャカ……

 シャカシャカ…………

 シャカシャカ………………おまたせ、完成したよ


「おっ、見せて見せて――って、あれ?」


 思わず、拍子抜けした。

 彼の描いた鉛筆画は、もう何度も見たあの絵だった。

 あの妹が曰く「シンプルというかセンス皆無」な病院提供のパジャマを着て、安っぽいパイプ椅子に座った、優しい笑顔を浮かべる、瞳の描かれていない自称美少女。


 それは、病室に飾られていた『あの絵』とまったく同じものだった。


「あれ? この絵って目がないけど、完成でいいの?」

「うん。じつは最初から瞳だけは書かないと決めてたんだ。お姉ちゃんが未来から来たって信じてた時、瞳だけはいま書かないで、未来に再会できた時に書こうと思って……」

「あんたなりの粋な演出を用意していたってわけね。なーんだ、だからあの絵には瞳が描かれていなかったのね。なっとく、納得」

「あの絵?」

「あっ。これはひとりごとだから気にしないでプリーズ」


 そんなことを言いながら。

 壁掛けの時計を眺めてみれば、あたしの余命はあと数分ぐらい。


「おっ…おっ…お姉ちゃ……ん」

「なによ?」


 やけにぎこちなく、やけにカミカミで、顔は真っ赤で、汗まで流して。

 挙動不審マックスで何かを伝えようとする態度を見てると、頬が緩んでしまう。


 ――ははぁ~ん

 ――さてはコイツ、あたしに告ろうとしてるな。


「なによ、ハッキリ言ってくれないと返事もできないわよ」


 何をしたいか分かっているのに、あえていじわるな口調で催促する。

 我のことながら性格が悪いと思うけど、楽しいからやめられない。


 彼はようやく覚悟したのか、応援団みたいな口調で、


「深沢シルクさん! ボクはあなたのことが――ッ!」

「おっと、ストップ」


 たぶん

 ――好きです。と

 言いかけた、彼の口を平手で押さえる。


「ちっちっち。その先は、あたしみたいな妖怪モドキに勿体ないわ。そのうち使う機会があるでしょーから、大事にとっておきなさい」


 偉そうなことを言いつつ。

 告白失敗で、アニメみたいに赤く染まった彼の顔をニヤニヤ覗いて。

 ……うひひ。

 最高に面白いことがアタマに浮かんで、あたしは下品な笑いをひとつ。


「ま、あたしに告白しようとした勇気だけは褒めてやるわ。その度胸があれば学校に復帰してもやっていけるわよ」

「アハハ……ありがとう」


 告白が空振りに終わってショボーンとしている、彼の耳元に。

 あたしは、吐息がかかるほど唇を近づけて、


「残り時間はちょっとだけ。今ならあたしにキスしても、ぶん殴られる前に時間切れで逃げれるかもよ?」


 最後のイタズラを、こっそり耳元で囁いてみる。


「えっ……ええぇぇぇ!」


 喜んでいるのか、動揺しているのか。

 震えてヘンな声を出す彼の前で、我ながらわざーとらしくまぶたを閉じてみる。


 視界が闇に包まれて、数センチ離れた彼の吐息が感じられる。

 あたしが消えちゃうまで、あと5秒。


 目を閉じたあたし、

 無言の時間がすこし、

 唇に――ちょん、

 控えめで心地よい感触。

 初めて味わった柔らかな感触、

 彼の体温を感じたファーストキス、

 ファースト、

 だけど、ラストなキスの味は、

 甘くて少しスパイシー。

 ニトロの味がした。


 …………………

 ………………

 ……………

 …………

 ………

 ……

 …

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