05/11


「――ハッ!?……て、さすがに三度目となると慣れるわね……」

「うん……今日は殴られなくて良かった」


 そんなことを、鼻先から数センチの彼に話しかけてみる。

 なぜか例の花瓶どんきが見当たらない。いつの間に隠しやがったなコイツ。

 あたしは、例のパイプ椅子に腰を下ろしながら言った。


「さて、昨晩の続きといきましょうか」

「うん」


 薄暗い病室に、カリカリ鉛筆の走る音が響く。


 とりあえず、彼の絵のモデルを務める。

 頃合いを見て、聞きたいことをひとつずつ尋ねてみる。

 いまは分からないことは考えるな。やるべきことは別にある。

 妹の一件は気がかり。

 色々と問い詰めたいこともあるし、未来で調べたいこともある。

 だけど、まずは、


「確かあんた、手術を『別に成功しなくてもいいんだ』とか言ってたわよね?」

「…………」


 あたしが問いかけるも、ソレに対する返事はない。


「手術が成功するに越したことないでしょ?」

「……怖いんだ」


 少し言いづらそうに。

 彼が淡々と語った心情は、このようなものだ。


 手術が無事に終わって学校へ通える体になったとしても、そこに居場所はない。

 かつての友達がいる場所に戻っても、みんなに心から歓迎してもらえるはずない。


 表向きは歓迎はしてもらえると思う。

 自分の体が良くなったそれ自体を悪く思う人はいないはず。

 だけど自分が戻ると、みんなが忘れた負の記憶を――良心の呵責を呼び起こす。


 それが怖いと、彼は語った。


「ふーみゅ、なるほどね」


 それらをつらつら聞いた、あたしの感想。


 ――ヤバイ、

 ――みみっちいこと気にしすぎだ、コイツ!


 体が良くなってそいつらがどう思おうが、あんたの知ったこっちゃねぇ!

 どこまでお人好しなんだ、コイツっ!

 良心の呵責だか何かに苦しむのを眺めつつ、あんたは笑顔で「これからよろしく」でいいじゃん。

 別に向こうから嫌われてるわけでもなさそうだし、あんたも恨んだりとかなくてむしろ本心ではまた仲間に入れて欲しいと思ってるんだろうし、だから細かいこと気にすんなっ! んなギクシャクした関係、半月もすればなくなるわよ!……と、本音丸出しの正論を口に出して言えるわけなくて、


「うーん、あたしが思うに、それは気にしすぎだと思うなー」


 マイルドに、ソフトに、優しく丁寧に。

 彼の考えを頭から全否定しないよう注意しながら、おかしい所を1つずつ指摘して納得させ、最終的に彼のお人好しすぎる考えを回りくどく全否定するように語りかける。


「ってことだと思うのよ。あんたの考えもわかるけど、それは逃げてるだけ。時には逃げずに真っ向から体当りしてみるべきじゃない?」

「……うん」


 彼の反応を見るかぎりだと、クドクドあたしが続けたお説教も終わりでいいかもしれない。


「だから、まずは体を治すこと。体がよくならないことには何も始まらないからね。怖かろうが何だろうが、絶対に手術はうけるべき」


 チラッ――と。

 脳裏に妹が強調していたことが走ったけど、それはどこか片隅に押しやった。


 なにせ、あたしは確信しているんだから。

 この手術は成功する――と。

 彼の手術を任された執刀医は、わざわざドイツから日本にやって来た「神の右手を移植した男」という怪しい二つ名を持つスゴ腕の心臓外科医で、今回の手術は新しい心臓外科手術の方法を日本の医療関係者に技術指導する側面もあるらしい。

 つまり彼が受ける予定の手術は、世界でトップクラスの執刀医と日本最高クラスの機材と優秀なサポート陣によって行われる、これ以上を望んだら贅沢すぎる理想的な手術なわけ。


 ゆえに、この機会をキャンセルしたら次はない。

 今回と同じ条件で手術できる機会は、永遠に訪れないはず。


 それに、


「反則かもしれないけど、あんたの手術が無事に成功したかどうか、2012年に戻ったら調べてみるわ。日本で始めて行われる特殊な心臓外科手術の結果よ。調べりゃ一発で分かるハズだわ。これで手術に成功しているならそのままで、万一失敗していたら大脱走やストライキしてでも手術から逃げること」


 あたしには、未来から来たアドバンテージがある。

 不穏な動きを見せた妹とか、懸念すべき部分はあるけれど……わからないことは後回し。

 いまは彼を不安にさせることは伝えるべきでないと、あたしは判断した。


「たぶんお姉ちゃんは、未来から来た人じゃない――」

「ほえっ?」


 とつぜん彼の口から紡がれたのは、意外な言葉だった。


「今日、担当の先生に『レイ・ボーダン症候群』について質問したんだ……どこかで聞いたことある病名なのが引っかかって。お姉ちゃんは、この病気で入院してるんだよね?」

「あー、たしかそんなこと、ちらっと話したっけ?」

「その病気で入院することはありえないんだ」

「えっ?」


 レイ・ボーダン症候群で、入院はありえない?


「どうして?」

「担当の先生が教えてくれたんだ。レイ・ボーダン症候群は、正式名だと『人格形成型知覚情報幻覚症』といって、実際には存在しないはずの人間が――」

「ちょっ、いきなり何を」


 人格形成型……?

 聞き慣れない単語の登場で、あたしが頭上に「?」を浮かべたら。


 ――意識がふっと落ちる感覚、


 どういうこと。

 あたしは、未来人じゃ……ない?

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