04/11
「というワケだったのよ」
「お姉ちゃん、いよいよ本格的にタイムトラベラーだね」
「あはは、そんなカッコいいモンじゃないし」
ベットで目が覚めると、そこは2012年の603号室。
今日もお見舞いに来てくれた妹に、あたしは夢か現実か昨晩の出来事をつらつらと語っていた。
「手術の成功確率は8割なんだって」
言いながら、病室に飾ってある鉛筆画を横目でチラリ。
「つまり、失敗確率は十分あるってことだよね」
妹もまた、病室に飾ってある鉛筆画を横目でチラリ。
視線の先にあるのは、未完成のまま放置されたあたしをモデルにした鉛筆画。
この絵が、なぜ未完成のまま終わったのか?
その理由を考えると、怖いことばかりが浮かんでくる。
「お姉ちゃん。彼の手術、たぶん悪い結果だったんだと思う。だから、止めた方がいいよ」
「それも考えている」
「それも?」
昨晩に見た彼の絵は、あたしの胴体部分をほとんど書き終えたぐらい。
首から上は、まだ完成していなかった。
今夜、また絵の続きを書くとしたら……首から下が、ほぼ完成するぐらいだと思う。
彼の手術予定日は2日後だから、ペース的にはたぶんギリギリ。
手術の日までには、完成しないかもしれない。
そして彼は、瞳だけを書き残した未完成の絵を前に、あたしと約束するかもしれない。
――続きは、また明日だね
――うん、失敗確率が2割もある手術が終わった後にね、と。
「まずは情報を集めたいの。最初に調べるのは、この絵の由来ね」
それは、目覚めてからこれまでの時間で決めたことだった。
あたしの行動で、ひとりの人間の過去を変える。
それがどんなことで、どんな事態を巻き起こして、どんな結果を見せるのか。
正しいことなのか、果たして許されることなのか。
あたしには分からないし、何が起きるか分からないから怖くもある。
だけど、
「たった3年前の話よ。看護師さんやお医者さんに聞き込みしまくれば情報はすぐ集まるはず。この絵を足がかりに調べれば、きっと彼のところにたどり着く。そしたら彼の手術結果も」
「ダメだよ――」
シャンパングラスを叩いたみたいに、クリアで冷めた否定。
あたしに反論を許さない、そもそも反論の材料すら与えない純粋な否定だった。
ニコニコ笑顔の妹は、淡々と言葉を続ける。
「お姉ちゃんは入院中でしょ? それも絶対安静だって言われたよね? だから病室から出たらダメだよ」
「でも……」
「お姉ちゃんがわざわざそんなことしなくても、彼に手術を思いとどまるように言うだけでいいと思うよ。それでとりあえずの危機は去るんだから」
妹が、あたしの言葉を遮ってくる。
あたしに反論を許さないよう、妹は言葉を続ける。
「お姉ちゃんは元気に見えて病人なんだからね。それを忘れちゃダメだよ。あと――」
妹の口元が、クスリと笑みの形に歪むのが見えた。
「この絵が未完成に終わった理由は、もしかしたらお姉ちゃんにあるかもしれないしね」
「あんた……いきなり何を言い出すのよ?」
「今日はもう帰るね」
「ちょっと!」
「ドアの鍵は閉めていくね。釘を差しておくけど、余計なことはしちゃダメだよ」
あたしが部屋を出ると言った瞬間、妹の態度が豹変した。
明らかにおかしく、あざといぐらい鮮やかに、まるでスイッチを切り替えたみたいに。
「あんた何か知ってる……いいえ、何かを隠してるでしょ!」
「えー、わたしは何も知らないよ? うふふ、知らない、知らな~い、ぜんぜん知らな~」
「ふざけないで!」
ドアの鍵を閉められたら、何もできなくなるっ!
あたしはダルイ体にムチを打って、ベッド脇の妹を押しのけ病室の外に出ようとするけど。
――出れなかった。
病室のドアから外を見下ろして、あたしは呟くのだ。
「なによ……コレ」
そう、あたしは病室の外に出れなかった。
自分でも何が起きたか分からないけど、とにかく病室から出れなかった。
脱走防止装置とか、隔離病棟とか、そんなチャチなモンじゃない。
まさにポルナレフ、理解不能で、意味も不明な状態。
病室から出られないというより、病室から出られる場所がどこにもない。
「なんなのよ……コレ」
あたしは、見下ろしても底が見えない断崖絶壁に佇んでいた。
病室のドアの向こう側は、何もない空間だった。
廊下ではなく、断崖絶壁だ。
どこまでも真っ暗で、何も存在しない闇だけが、ドアの向こうに広がっている
「なによこれ……ここは病院じゃなかったの? あと……今まで部屋に閉じこもっていたから気づかなかったけど」
病室のドアの横に、ふと視線を向ける。
トイレと兼用のシャワールームが、ドアの脇に完備されていた。
風呂トイレ完備の個室なので、入院中は所用で病室の外に出る必要性はなかった。
でも、
「あたし……入院してからトイレを使った記憶がない……食事を取った記憶も」
「あぶないところだったね」
背後から、妹の哄笑が響いてくる。
聴き慣れたはずの妹の声が、いまは酷く不気味で……吐き気がするほど気持ち悪い。
「ダメだよ、ドアの向こうは作ってないんだから」
「あんた、一体何者なのよ……」
異常だ。
おかしい。
普通じゃない。
訳がわからない。
何かが決定的に狂っている。
状況整理が追いつかない。
わけが……わからない。
ニコニコと不気味に笑い続ける妹が、困惑するあたしに言うのだ。
「わたし? わたしはね、お姉ちゃんに『自分が実在する』と思い込ませる小道具かな?」
「自分が実在する? 周りくどいことを言わないで、ハッキリと答えなさいよ!」
「お姉ちゃんにまだ話したいことはあるけど、続きは――」
妹は、すっと右手を肩の高さに上げる。
まっすぐ伸ばした指先の向こうで、壁掛け時計の針がありえない速さで回転していた。
クルクルと分針が回転して、それより遅く時針が回転して、
「夢のあとでね」
「な――っっ」
高速回転する二本の針が、ぴたり午前0時で重なり。
――意識がふっと落ちる感覚。
待って。
あたしはまだ、あんたに聞きたいことが――
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