03/11


「…………」

「キャァァァァ――ッッッ!」


 それからまたパンチ。花瓶を掴もうとして失敗。


 夜中のドタバタ騒ぎを聞きつけた見回りの看護婦さんがやってきて「他の患者さんが起きちゃうから、ひとり喋りは程々にね!」と、やっぱりあたしはスルーで、彼だけが怒られたのは数分前。


 ひと波乱あってぐったりしている彼に、あたしは言うのだ。


「大丈夫、殺意はあったけど悪意はなかったから」

「アウトだよ!? それっ!?」

「ちっちっち、甘いわね。セクハラの危機を感じた女の子は手近なもので男を殴っても無罪な生き物なのよ、たぶん」

「女の子って、そんな怖い生き物なんだ……」


 まさかとは思うけど、これが女嫌いのトラウマに発展したりしないでしょうね?

 いらん心配をしつつ、悪いのはいきなりベットで一緒に寝ているシチュエーションのせいなのよ――と、責任転換してみたり。


「しかし、変な夢かと思ったら、また来たということはガチみたいね」

「うん、昨日はパッと消えちゃったから、僕も幻覚だと思ってた」


 言いながら、彼はスケッチブックを開く。

 昨日の絵の続きを描く気満々な男の子に、あたしはポツリ。


「なーんか楽しそうね」

「お姉ちゃんは?」

「うーん、正直わりと楽しんでるかも?」


 昨晩は筆頭候補だった死亡→幽霊ENDは回避されたようだし、心の余裕はある。

 2013年の日中は病院で暇を持て余しているのもあるけど、夢の中でのタイムスリップ現象について興味が湧いてきたというのが素直なコメントだったり。


「あんたにも話しておくけど、どうやらあたしは――」


 それからしばらく。

 絵のモデルしながら、彼に分かったことや伝えたいことを喋りまくった。


 あたしは、2012年の603号室から幽霊状態でタイムスリップしているらしいこと。

 深夜0時に、プチッと意識が落ちた。

 だからたぶん、明日もこの時間帯に来る。

 あたしは死んでいない。

 あたしはレアな病で入院中の、いわゆる普通な女子高生。

 この部屋に備え付けのテレビは3年後うんともすんとも言わない粗大ごみになっていることなどなど、愚痴や世間話を含めて色々したけれど、未来の病室にあたしソックリな鉛筆画が飾ってあることは、まだ喋っていない。


「ふーん、つまりお姉ちゃんは体は向こうの世界に置いてけぼりで、魂みたいなモノだけがタイムスリップして来ているのかな?」

「かもね-。そうなると今のあたしと幽霊、ぶっちゃけ変わらないかも?」


 ボヤキながら、例の花瓶どんきをツンツンしてみる。

 やっぱり半透明な指は、スルスルとすり抜けてしまうけど。


「だけど、不思議なことに――」

「えっ」


 あたしは身を乗り出して。

 ツンっと、男の子のほっぺたをつつく。


「なぜか、あんたの体にだけは触れられるのよね。おりゃ、ツンツン……なに、顔赤くしてるのよ?」

「えへへ……」


 軽いノリで交流を図っているけど、そろそろ重い真相に迫る時間かもしれない。


 未来世界にある絵は未完成だった。

 ほぼ完成しているのに、なぜか目だけが描かれていない未完成の作品だった。

 未来世界にある絵の作者が男の子で、モデルはタイムスリップしたあたしとする。

 それが、はたして何を意味するか……あまり考えたくない。


 でも――


「あんたって、なんで入院しているの? 結構長いあいだ入院しているみたいだけど?」


 知らないフリして、傍観者ではいられない。


「僕は心臓が――」


 話を続けながらも鉛筆の動きは休めず、彼は自分のこれまでの半生を語りだした。


 丈夫かと問われれば、ひ弱なほうだったらしい。

 それでも小学校の低学年の頃は、友だちと放課後に外で走り回って遊んだり、夏はプールに出かけて、冬は雪合戦を楽しめる、どこにでもいる普通の子供だった。


 それが変わったのが小学4年生で、突然の胸痛で倒れて検査を受けたら心臓に重大な欠陥が見つかり即入院。

 それから入退院を繰り返す生活が始まったけど、ずっと入院してたわけでない。


 彼が入院すると、クラスメイトがお見舞いに来てくれたそうだ。

 学校のプリントを届けてくれたり、クラスで何が起きたかを教えてくれたり、漫画やゲームを持ってきてくれたりと、よく遊びに来てくれてたそうだ。


 だけど入院の割合がどんどん増えていって、一度入院したら数ヶ月は病室で暮らすようになって、クラスメイトが訪れる頻度が週に1度から月に1度になって、たまに学校へ顔を出しても、友達ではなくお客さんのように扱われるようになって……幼く見えるけどもう中学生になった彼の元へ、この1年間でお見舞いに訪れてきたのは、誰もいないらしい。


 彼はたった数回しか通っていない中学校のクラスメイトについて、さびしそうに笑いながら語った。


「嫌われてはいないと思う。だけど、僕の存在はクラスのみんなの負担になるんだ。僕はクラスの誰からも必要とされない心配してもらうだけの存在だからね。だからみんなは、僕の存在を忘れることにしたんだと思う。出来るだけ自分の良心が傷つけないように、係わり合いを断って見捨てることで、僕の存在を風化させる……それがみんなの選択なんだ」


 彼が長いこと入院をしているのは、心臓が生まれつき奇形なのが原因とのこと。

 このままだと、彼の心臓は過負荷に耐え切れず数年しか持たない。

 初対面の時に起きたのがその発作で、飲んだクスリは胸元のネックレス型の丸薬ケースで肌身離さず持っているニトロなんとかという血管を広げる薬で、味は甘いらしい。


「ふーん、甘いんだ。ちょっと舐めていい?」

「だめ」


 あたしのお願いを華麗に拒否した彼だけど、幸いなことに希望はある。

 二日後に、心臓の形状を整形する手術を行うのだ。


「へー、もうすぐ手術なんだ」

「うん。難しい手術だから、成功確率は80%なんだ」


 聞きたいけど聞きづらいことは、彼が自発的に答えてくれた。

 おまけに回答も悪くなかったので、あたしはほっと胸をなでおろした。


「良かったわ……これで「手術が成功したら奇跡!」とか「数パーセントの確率!」とかだったら気まずかったけど、80%もあれば平気ね。うん、安心し」

「でも、手術を受けたら20%の確率で僕は死ぬんだよ?」

「うっ!?」


 デリカシーのない発言に、あたしはちょっぴり後悔。

 本人にとっての成功確率80%は、2割の確率で失敗して死ぬことを意味する。

 たかが2割。そのプレッシャーはかなりのハズ。


「でも、成功する確率のほうがはるかに高いんだし、きっと成功するわよ」

「別に成功しなくてもいいんだ。僕は――」


 そこで、意識がふっと落ちる感覚、

 慌てて向けた視線の先。

 壁掛け時計の示す時間は、午前1時ちょうどで――

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