中編

 耳の二辺を指で支えて角から食べ進めて行ったピザトーストは、残り半分ほどとなっていた。三角に近い形だ。正方形の対角線という最も断面が長くなる位置で途切れているため、露出した部分の様子がよく観察できた。

 柔らかな食感の白いの生地には歯の痕が刻まれていた。歯がじかに触れた部分こそ押し切られたことによって潰れていたが、形状記憶というわけでもないだろうが再び空気を含んでふんわりと膨らみ元の形に戻っていた。そしてその断面の上端と下端には、焼き色の筋が走っている。


 スライスされた食パンは四辺の固い耳によって守られているからこそ、自重でひしゃげることなくその形状を保っていられる。四辺うちのニ辺を失ったとなれば真ん中がたわんでそのまま折れてしまってもおかしくはない。ソースとチーズの重みも加わっているとなればなおさらだ

 にも関わらず形を維持していられるのは、両面が焼かれているからに他ならない。炙られて焼き色のついた両面によって全体の強度があがっていた。クリスピーな外側は、いわばパンを守る外殻だった。


 平行にのびた二条の線はどちらも均一な色合いで、焼きむらはないようだ。ピザトーストを目の上に掲げて底面を確かめてみるが、まんべんなくきつね色になっていた。黒くなっている箇所はない。


「あれ? もしかして焦げてた?」

 向かいに座った萌依子が俺の行動を訝しみ訊ねてくる。

「いや、大丈夫だけど」

「じゃあ、あれかな。金網についてた焦げが移ったとか。チーズが垂れて焦げついたりしたのかも」

 焦げの苦さを感じてパンの裏を確認した、そう萌依子は勘違いしたらしいが俺の舌は苦味など捉えていない。もちろん底が焦げているようなこともなかった。


 その事実こそが問題だ。

 両面を焼いた食パン、その表面にソースとチーズをかけて下ごしらえをし再度オーブントースターに投入してチーズに焦げ目がつくまで焼く。一連の調理により裏面は都合二回焼かれることになる。金網は二本のヒーターの中間の高さに渡してあって、パンの厚みの差こそあれ両面の熱源からの距離はほぼ等しい。ソースの下の面がきつね色ならば、一度目の時点で裏も同様の焼き具合になっているはずだ。ピザトーストとして仕上げるために再加熱を行えば確実に焦げてしまう。


 片面だけ焼いた上でケチャップをつけたのは間違いなさそうだが、肝心のその手段がわからなかった。

 こんなしょっぱい疑問で無駄に朝っぱらから頭を働かせたくはなかった。いったいどうやったのかと萌依子に質問すれば快く答えてくれるだろう。しかし、いつぞやのお手製体操着入れの件が脳裏によぎり問いただすのを躊躇してしまう。


 妹としてはマウントを取っているつもりなど毛頭ないのかもしれないが、なにかにつけて文句を言われるのは気分の良いものではない。見下されているような感覚に陥り、たいしたことのない工夫をさも大発明かのよう自慢するあのときの表情が、俺の目には、承認欲求の単純な発露ではなく嘲りを含んだもとして映った。どうせにーちゃんには思いつけないし、できもしないでしょ、と小馬鹿にされたように思えた。


 またぞろあのときのようにふんす! と鼻息を荒くし誇らしげに説明されるのは癪だ。面倒ではあったが自分で食パンを片面け焼く方法を検討してみる。


 真っ先に頭に浮かんだのはフライパンだ。熱したフライパンにたっぷりバターを投入しソテーするように、あるいは揚げ焼きをするように加熱すれば綺麗に焼ける。しかし、バターの味はしていなかった。テフロン加工のフライパンに直接食パン置いて火にかけたと推測できる。焦がすことなくまんべんなくきつね色にするのは火加減が難しいかもしれないが、やってやれないことはないはずだ。

 当然ながらフライパンは使用後に洗い物となる。俺なら、さほど汚れていないからとキッチンペーパーで拭いて片付けるが、萌依子はそんなことはしないだろう。こまめに掃除をしている綺麗好きの妹ならばシンクで洗わなければ気が済まないはずだ。


 シンクの様子を思い出してみたが、フライパンは干されていなかった。水切りかごは乾ききっていて利用された形跡がなかったので、水切りである程度乾かしてから布巾で拭いて片付けたという可能性もない。空焚きで水分を飛ばすというのもテフロン加工の傷みの原因となるので、そんな行動を妹が取るはずもない。むしろ、その種の手抜きは俺がやることで、妹はそれを見つけて注意する側だ。


 フライパンはなしだ。コンロで食パンを焼くだけであればなにもフライパンにこだわる必要などなく、五徳の上にそのまま載せて点火すればいい。これであれば洗い物がなかった点と矛盾は生じない。

 だが洗い物が出ないという条件こそパスできるものの、今度は焼き色が問題となってくる。五徳の金属製の脚がパンと接している部分、そこに痕がついてしまい均一のきつね色に仕上がらない。それを避けるために金網を間に挟めば、また洗い物の問題に逆戻りしてしまう。


 コンロでは無理そうだ。他に加熱できる調理器具となるとレンジだろうか。オーブンモードで焼くためには余熱をしなければならず、食パン一枚のためには時間がかかりすぎるし、なにより天板という洗い物が出てしまう。ホットプレートや魚焼きグリルにしても同様で、どんな調理器具を出して来ても洗い物が問題となる。コーヒーを混ぜるために二つのカップにそれぞれティースプーンを入れたことに怒ったくらいだから、余計なものを出して来て洗い物を増やすなんて愚行を萌依子がするわけがない。


 調理器具から離れ、変則的なところで石油ストーブもまた加熱調理が可能な道具だ。さつまいもをアルミホイルに包んだものやミカン、あるいは餅なんかを載せて焼くのは冬の定番ではあるが、母方の親元の古い家ならばともかく、エアコンのあるこの家に石油ストーブなんて代物はない。もちろん囲炉裏もない。せいぜいあって灯油ファンヒーターだがそれではパンを焼けない。


 キッチン以外での加熱調理もできそうにないとなれば、やはりオーブントースターによって焼かれたと見るべきか。新たに道具を出すからそれが洗い物になるわけで、そこに抵触しないよう考慮するならすでに使用された気配のあるもののなかでやりくりするしかない。


 オーブントースターは上下両方からの加熱によって庫内を熱して食材を加熱する器具だだ。だからこそ、両面が焼ける。

 ならば、片方の熱を遮れば片面だけに焼き色をつけるのも不可能ではない。

 付属のトレーは熱伝導率の高いアルミ製ではあるが、それでもトレーを使えば表と裏で焼き色に差ができる。よく焼けた方の面、つまり表にケチャップ&チーズをかけてトレーを外してもう一度タイマーのつまみをひねれば両面がぱりっとしたピザトーストの完成だ。

 たしかに、前焼きにおいてトレーを用いればチーズが溶けるまで焼いても裏が焦げすぎることはない。しかし、これが上手くいくのは、底が平らだった場合だけだ。グリルパンのように波打ったトレーでは、五徳同様に接している箇所とそうでない箇所で熱の伝わり方に差ができる。


 縞模様が描かれてしまのを避けるために、下焼きの途中で溝ひとつぶんずらして焼けば縞を目立ちにくくはできるかもしれない。焼く過程において、まず表面の水分が飛び、それからじわじわと色がついて行く。まだ色がついていない状態でずらせば、溝に溜まった空気の層によって熱が遮られ焼き色がついていたかった箇所が、熱せられたアルミに当たる。そうして水分を飛ばす。その時点で裏面はきつね色になっているだろうから、上下ひっくり返してソースを塗れば、ソースの下が均一の色だという条件を満たせる。チーズをかけて、トレーをはずしたオーブントースターでもう一度焼けばまだうっすらとしか色がついていなかった面がきつね色になるが。


 しかし、そもそもトレーもまた洗い物になるのだ。利用後に熱を持ったトレーはいったんどけておいて他の洗い物、たとえばケチャップをのばしたスプーンなんかと一緒に洗うのであれば、洗い終えたトレーがなくとも齟齬はない。だが、もしそうであるのならばオーブントースターの上にトレーがどけてあるのはおかしい。トースター本体が熱を帯びるのに、そんな場所にあっては冷ませるはずもない。


 トレー案はなしだ。

 それ以外のもので熱を遮ることはできないか、テーブルの木地を見つめながら思考を巡らせる。


 アルミホイルはどうだろうか。オーブンによるケーキ制作などで、表面に焼き色がついて来たが竹串をさしてみたら内部まで火が通っていなかった場合、アルミホイルをふんわりとかけて焦げを抑えたりする。これはオーブントースターでの料理でも利用できるはずだ。

 ケーキであれば生焼けの生地がくっついたりするが、食パンにかぶせたアルミホイルはほとんど汚れることはない。つまり再利用できる。量販店のビニル袋をなにかに使えるからと残しておき実際に体操着入れを作った萌依子であれば一度きりの使用で捨てたりはしないだろう。まず間違いなく、もったいない精神を発露させどこかに保管しておくはずだ。


 キッチンを見回しても使用済みのアルミホイルはない。もったいないというのなら、食パンを片面だけ焼くためにアルミホイルを新たに出すというのがもったいない。ティースプーンの件からして無駄を嫌うのが萌依子なだ。それに、たとえ残しておかないとしてもアルミホイルはゴミの処理が面倒だ。うちの市では不燃ゴミになっているが、不燃は回収日が月に一度しかない。だから不燃ゴミはできるだけ出ないようにするのが我が家の方針だった。可燃ゴミにばれないように混ぜこむなんてズルをするのは俺や両親だけで、真面目な萌依子が分別をしっかり守っている。


 熱を遮るだけであればアルミホイルに拘泥する必要はなく、なんらかのものを食パンにかぶせればそれによって焼き色がつくのは防がれる。クッキングシートはほぼアルミホイルと条件に変化がない。不燃ごみではないというだけだから却下。

 ならば、皿などどうだろうか。盛りつけるために使い回せば、洗い物が増える問題は解決できるし、なにより再利用というのは妹の性格と合致しているように思えた。


 これに違いないと内心で快哉を叫びたくなったが、俺の脳裏にある台詞がよみがえる

「も-、そんなとこで食べないでよ。パンくずがこぼれるでしょ。テーブルで食べなって」


 皿で蓋をして片面焼きをして、できあがったピザトーストを置くために避けておいたと仮定したら、この言葉は不自然だ。皿が用意してあったのなら、テーブルで食べろとはならない。「お皿出してあるんだからそれ使いなよ」といった台詞でなければおかしい。実際、そんなものはどこにも見当たらない。


 普通にオーブントースター内の金網に置いて焼いても上下でわずかに焼き具合に差ができる。では、その差が大きくなるように働きかけるのはどうだろうか。食パンを嵩上げして上面がヒーターに接っさんばかりにするのを想像してみる。パンと金網、あるいは金網自体を持ち上げるには、間になんらかの物質を挿入しなければならない。割り箸、コップ、ボール、エトセトラエトセトラ。それがなんであれ別種の道具が必要になるということは、結局洗い物かゴミが新たに出るということだ。


 どれだけアイデアを出してみてもその問題に回帰する。

 俺は頭を整理するために条件を脳内で列挙してみた。


 食パンの断面から導き出される条件は、焼き痕がつかず均質な色にならなければいけない。

 水切りかごの状態から、洗い物が出るものであってはいけない。

 萌依子の性格を考慮すると、ゴミを増やすものであってはいけない。


 どれほど悩んでみてもこれら三つの縛りをクリアするひらめきがやって来なかった。


 あと半分のピザトーストもよそに俺が黙考している間、萌依子は向かいの席で悠然とコーヒーをすすっていた。こうしてコーヒーをちびちびと飲みながら俺を観察しているのは、俺が呻吟している姿を眺めて楽しんでいるのではないかとさえ思えてくる。内心では降参するのを期待しており、ご自慢の工夫を披露できるのをいまかいまかと待ちわびているのではないかと穿った見方をしてしまう。


 俺は嫌みのひとつでも言ってやりたくなり口を開く。

「お前な、ダイエットかなにか知らんけど、おなかになにも入れずにコーヒーなんて飲んでたら胃を悪くするぞ」

 どうやって食パンの片面だけ焼いたのか。その問題を解くと決めたのは俺自身であり、そして力及ばなかったのも俺の能力の低さゆえだ。当てこすりもいいところだと自覚はあったが、ここで降参して素直にその方法を質す気分にはどうしてもなれなかった。そんなことをすれば妹が調子に乗るだけだ。


 一瞬だけ驚いたような顔になった萌依子だったかが、すぐに納得した表情を浮かべた。

 そして決定的な一言を発する。


「もう食べたよ」

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