第8話「戦場に咲く花、風に舞い散るは敵」

 低空を飛ぶ武装娼船ぶそうしょうせんアガルタからは、褐色の荒野が荒波のように粟立あわだって見えた。

 高速で通り過ぎるその中へと、ケーブルを手にスチームメイデンが飛び降りる。

 アルス・マグナスは自分の意思を浄気スチームに変えながら、愛機シルフィスの手の感触に神経を集中していた。勿論もちろん、先程のフィオナ・フィロソルの助言を自然と思いだしてしまう。


「なんて下品な例えだ……殿下もお聞きになっているのに。……そういえば、殿下は」


 絶体絶命の戦場を逆流してせる、殿しんがりの姫君。

 誰もが白痴はくちのうつけと思っていた、リフィータ・ティル・リ・メルダ・ヴィザンツ。彼女は自らの才気を隠し、蠱毒こどくごとき王宮で生きながらえてきた。

 全てはこの時、自分の力でヴィザンツ帝國ていこくを救うために。

 そんな彼女の高貴さ、高潔さにアルスは全てを捧げる覚悟だ。

 だが、ついよからぬ想像をしてしまい、破廉恥はれんちな自分が恥ずかしくなる。


「駄目だ、駄目だぞアルス・マグナス! 殿下はそのようないやしいことなど、自らをみだりになぐさめるな、ガッ!? ――ッハア!」


 突然の激震。

 反応こそ遅れたものの、アルスは咄嗟とっさに着地の衝撃を逃した。シルフィスはケーブルを手放し、脚部の両膝りょうひざで衝撃を吸収する。

 見れば、すでに味方の二騎は戦場を歩き始めていた。

 リフィータのクロゥトピアと、フィオナのスキュレイド。そしてアルスのシルフィス……たった三騎である。

 そして、巨大な剣を背負ったまま、ゆったりとリフィータは己の分身を歩かせる。

 優雅に、たおやかに、堂々と。

 周囲がこちらに気付いて殺到する中、リフィータはまるで急ぐ素振りを見せない。

 その姿に、敵側は驚き躊躇ちゅうちょした。

 恐いのだとアルスは直感した……少数で切り込んできて、手柄を焦る様子も見せないこちらに恐怖したのだ。


「てっ、帝國の皇族だ! 討ち取って名をあげろ!」


 悲鳴にも似た声が、敵の隊長騎から響き渡った。

 それで、すくんで怖気おじけづいていた周囲に殺意が戻ってくる。

 周囲は敵ばかりで、まだまだ全軍の一部に過ぎない。突然の敵襲で、円卓同盟ジ・アライアンスの各騎士団はまだ対応できない者達の方が多いようだ。

 だが、注意深くアルスは周囲へと目を配る。


「初めて見るスチームメイデンだ……ドルルーヴァの後期型に似てる気がするけど」


 この時代、スチームメイデンは戦争の勝敗を決する絶対兵器である。

 どこの国でも、主力騎の開発には心血を注いでいた。

 アルスもそこそこ詳しいはずだが、周囲の緑色の騎体は初めて見る。だが、剣を抜いて向かってくるなら、それは全て敵ということだった。

 歩みを止めむクロトゥピアの中で、リフィータがりんとした声を叫んだ。


「おどきなさい! 逃げれば追いません。その上で尚も立ちはだかるならば――」


 凛冽りんれつたる覇気は、まるで氷河からしたた清水しみずのようだ。

 そして、その冷たさが見えない刃となって周囲を切り刻む。

 圧倒的なプレッシャーに、敵の一騎が絶叫を張り上げた。恐怖に負けて、騎士の儀礼も無視し襲い来る。

 だが、リフィータはクロトゥピアの背から剛剣を振り抜いた。

 ダキンッ! と鈍い金属音が響いて、少し遅れて風が周囲を薙ぎ払う。


「立ちはだかるならば、このリフィータ・ティル・リ・メルダ・ヴィザンツが斬ります!」


 一刀両断、縦にかち割られた敵が左右に倒れる。

 暴力的な程に巨大な剣を、クロトゥピアは片手で軽々と振るっていた。

 まるで、嵐の女王が振るう風のタクトである。

 勇者のたましい鼓舞こぶする優しい風が、帝國の敵へ牙をいた。


「ひっ、ひひ、ひるむな! お前、行け! そこのお前でも構わんっ! 行け行け、行けぇ!」

「しっ、しかし隊長!」

「今、リフィータって……あの、帝國のれ者が? 頭が空っぽって話じゃ」

「だが、こいつは恐らく皇族用のカスタムメイドだ!」


 歩調を変えずに、クロトゥピアが歩く。

 その背を守って、アルスもシルフィスを進めた。

 敵は既に戦意をくじかれたようだ。もとより、数kmキロ先のフレスヴェルグ城は陥落寸前で、ここには勝ち戦の歓喜が満ちていた。勝敗が決した大軍というのは、驚くほどに士気が低いとアルスは聞いている。

 それをこうして自分の目で見る日が来るとは、夢にも思わなかった。

 敵の壁が左右に割れる。

 誰もが終わったいくさでの戦死を嫌ったのだ。

 白き死天使は、堂々とその中を歩く。

 背には、溢れ出る浄気がスチームフラッグが浮かび上がっていた。


「よぉ、アルス。お姫さんはやる気満々だぜ? 背中を守るんなら、しっかりついてってやりな」

「勿論です、フィオナ。目指すは停泊中の艦隊……敵も船を失えば帰れなくなる」

「そういうこった! ここはオレが任された。行きな……っちまえよ、アルス!」


 クロトゥピアがわずかに身を屈める。

 高機動型特有の高いヒールが、ズシャリと大地をつかむ。

 脚力を爆発させた瞬間、その流麗な姿は敵の包囲を跳躍ジャンプで飛び越えた。

 アルスも追うが、シルフィスは近衛騎士用に重装化されている。徐々にだが、リフィータのクロトゥピアに離されていった。

 背後では、慌てて追いかけようとした騎士をフィオナが地獄に引きずり込んでいた。


「なんて加速力だ……あんな重そうな剣を持って。っと、そういえば!」


 アルスは必死でリフィータを追いかけつつ、愛機に寄り道を許す。

 あちこちに陣地が掘ってあり、その中では攻城砲こうじょうほうが空をにらんでいた。

 全速力で駆け抜けながら、アルスはシルフィスが右手に握るハルバードをひるがえさせる。全力稼動で乗り手の意思を吸い上げるスチームメイデンに、破壊できぬものなどない。神話や伝承にあるドラゴンとて、乗り手の腕次第ではほふるだろう

 まさに、瞬間最大戦力……恐るべき絶対兵器の姿に、陣地からは砲兵が逃げ始める。


「砲は破壊させてもらう! 行きがけの駄賃だちんってのだっ!」


 アルスの声を吸い込み、シルフィスのタービンがフル回転で唸りを上げる。

 彼の愛機は、ハルバードを振り上げ攻城砲へと飛びかかる。そのまま武器を叩きつければ、鈍い手応えと共に砲身が断ち割られた。

 スチームメイデンが全力で叩けば、どんな砲とてただではすまない。

 それでもアルスは、丁寧ていねいに二撃目を放って陣地ごと潰す。

 次の砲へとべば、先を進むリフィータも砲の破壊にぬかりはない。

 そして、徐々にその白い騎体は敵艦隊に近付いていた。


「敵艦のエンジンが始動している……けど、もう遅いっ! 空へは逃さない!」


 ようやく周囲では、敵襲への迎撃体制が整ったようだ。

 くさびとなって打ち込まれたリフィータのクロトゥピアを、敵のスチームメイデンが包囲しようとしている。

 遅れて追従するアルスは、白き宝石の乙女に群がる敵の、その背後をく形になった。

 だが、騎士とは正々堂々たる戦いをたっとぶもの。


「お前達の相手は、この僕っ……アルス・マグナスだ!」


 急停止で大地にわだちを刻む。

 そのままアルスは、目の前の騎士達を振り向かせた。

 多勢に無勢であるとか、先手必勝だったとか、そういう話は関係ない。騎士道とは、優劣や損得を超えた彼岸ひがんの果てにある価値観なのだから。

 そして、敵とはいえ相手も騎士、そこには同じものをほうじて守る挟持きょうじが感じられた。


「おお、見事! たった三騎で……貴様があの皇族の騎士か!」

「いかにもっ! 殿下の邪魔はさせません。正々堂々、勝負を受けていただくっ!」


 この周辺を守っていたであろう騎士達の中から、隊長格のスチームメイデンが歩み出る。やはり、先程のドゥルルーヴァに似ているが、青く塗られて細部が異なる。同じフレームを流用した改良型かもしれない。なにより、頭部の兜飾かぶとかざりは一軍の将を思わせる壮麗なものだ。

 スチームメイデンは圧倒的な力を発揮する兵器で、その理論が完成されて久しい。

 新しければ格段に強いということもなく、古い騎体は整備やチューニングのノウハウが豊富にある。加えて言えば、スチームメイデン自体に微弱な感情や人格があると言う者さえいるのだ。古い騎体には落ち着きがあり、新しい騎体は不測の事態に弱いらしい。


「若き騎士よ! このボルグ・ダンケルクが相手をいたす!」

「いざ、尋常に勝負ですっ!」

おうっ! ……む、いかん! 艦隊が!」


 手にしたランスを構えこそしたものの、ボルグと名乗った騎士は迷いを見せた。

 既にリフィータのクロトゥピアはもう、艦隊が停泊する場所に到達寸前だった。彼女が疾風しっぷうのように進んだあとには、破壊された攻城砲の残骸が横たわっている。

 敵の動揺を看破し、アルスはいよいよたける。

 戦働いくさばたらきをするなら、今しかない。

 ここで応戦に出た騎士達を蹴散らし、リフィータの退路を確保するのだ。

 だが、隙を見せているボルグに襲いかかるのも躊躇ためらわれる。


「貴方の相手は僕ですっ! 殿下が一仕事終えるまで、さあ!」

「ぐっ……なるほどな。皇帝の死で戦線は瓦解がかい、帝國軍は総崩れと聞いておったが。なかなかどうして気骨のある者がいる! 周り、手を出すな! これは俺の獲物だ!」


 引き際を誤れば、アルスは勿論、リフィータも敵陣の中で圧殺されてしまう。

 幸い、ボルグは騎士として申し分のない相手で、礼節にのっとった一騎討ちには感謝の念すら感じる。ここに敵を引きつければ、リフィータとクロトゥピアなら離脱も容易たやすいだろう。

 形見にもらった命、使うなら今……そう覚悟を決めたその時だった。

 突然、ボルグの足元が爆発した。


「なにっ、砲撃!? どこからだ! ……城からだと!?」


 弾着の土柱つちばしらは、一つだけ。

 だが、舞い上がる土砂が周囲を混乱させる。

 そして、その向こうにアルスは疾駆する白い影を見た。


「アルス・マグナス! 引き潮です、離脱なさい! この射撃、次は当たります!」

「リフィータ殿下! しかし!」

「騎士の名誉は知っています! それを曲げて頼みます。そなたはまだ、わたくしに必要なのですから!」


 リフィータは、艦隊の数隻程を輪切りにした後に、フレスヴェルグ城へと走る。

 そして、彼女の言った通りになった。

 発砲音は一つ、そして先程の一撃で照準を補正したのだろう……突然、ボルグの騎体に集まる敵達が炎を吹き出した。狙い違わず、スチームメイデンの頭部だけが弾け飛ぶ。

 後ろ髪を引かれる思いで離脱したアルスは見た。

 向かう先、フレスヴェルグ城の城門の上に……長い長いライフルを構えた異形のスチームメイデンを。

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