第7話「さらなる死地へと、飛び込んで」

 武装娼船ぶそうしょうせんアガルタが、飛ぶ。

 どうしても巨大になる、重油を使った内燃機関ないねんきかんは艦船にしか搭載できない。だが、この船は空飛ぶ娼館しょうかんという側面状、軍艦特有の油臭さがなかった。

 アルス・マグナスは今、己のスチームメイデンであるシルフィスのコクピットにいた。

 いつでも降下、戦闘できる体勢だ。

 そして、目の前には真珠パール水晶クリスタルで作られたかのような、宝石細工ほうせきざいく戦乙女ワルキューレ……リフィータ・ティル・リ・メルダ・ヴィザンツの皇女専用騎こうじょせんようき、クロトゥピアだ。

 白痴はくちの姫を笑うように、白い騎体に白いエングレービング。

 ぼやけた印象の白無垢しろむくは、アルスにはあるじの潔い高潔さを体現しているようにも見える。


「アルス・マグナス。フレスヴェルグ城まではもう少しかかるでしょう。いらぬ緊張をしては、タービンを回す意思が疲れてしまいます」

「は、はい。しかし、殿下」

「落ち着くのです、アルス・マグナス……わたくしも内心は、恐いのですから」


 今、リフィータは開け放ったコクピットから出て、クロトゥピアの肩に座っている。物言わぬ鋼鉄の機神を、彼女は自分の分身のように大切にしていた。

 皇族の戦衣せんいをドレスのようにまとった、高貴なる姫君……恐るべき膂力りょりょく胆力たんりょくを誇る、その秘密は雌雄しゆう併せ持った性別だ。彼女には性別がなく、そのどちらも入り混じって生まれたのである。それゆえか、発する浄気スチームは常人を凌駕する。

 そんな彼女が、アルスにだけは恐いと打ち明けてくれた。


「殿下、命に代えてもお守りします!」

「それはなりません。貴方あなたの命は貴方のもの……貴方のためにのみ、使うのです。わたくしは第三皇女、絶対に帝國ていこくの将兵を救ってみせます。その手伝いをしてくれる貴方から、命までもは受け取れませんよ」


 リフィータはそう言って微笑ほほえんだ。

 装甲越しにコクピットから見るその姿は、とても可憐で美しかった。

 だが、そんな二人の格納庫に毒香どくか徒花あだばなにも似た美女がやってきた。

 完璧過ぎる女装は、今でもうぶなアルスをドギマギさせてしまう。

 ブリッジからの知らせを、フィオナ・フィロソルが持ってきてくれた。


「おーい、姫さん。アルスもだ。あと少しでフレスヴェルグ城につくぜ? 今、高度を下げてるが……えれえ歓迎、大歓迎さ」

「感謝を、フィオナ・フィロソル。敵の布陣を見ます……場合によっては、アガルタは退避を」


 アルスもあわててコクピットをい出る。

 二人を追って甲板へと出れば、白い雲海の中をアガルタは滑るように飛んでいた。

 そして、不意に視界が開ける。

 高度を落とした船の上で、アルスは眼下の光景に圧倒された。


「こ、これは……こんな大軍が!? 円卓同盟ジ・アライアンスはまだ、こんな戦力を!」


 そこには、地獄が広がっていた。

 擱座かくざして廃棄されたスチームメイデンは、全て帝國の騎体だ。

 そして、歩兵や騎兵と共に敵のスチームメイデンが進軍を続けている。

 その先に、損傷おびただしい古城こじょうが無数の煙に包まれていた。

 アルス達が目指す、フレスヴェルグ城である。


「アルス・マグナス! あれを御覧なさい」

「ッ! 攻城砲こうじょうほうだ……それも、あんな数を!」

「ハッ、こりゃ駄目だ……もって三日、フレスヴェルグ城は落ちるぜ。落城だ」


 フィオナの言う通りだ。

 すでに無数の陣地が形成され、そこから大口径の大砲が城へと向けられている。奥には停泊した大艦隊の姿が見えた。

 そして、大地が慌ただしくなってゆく。

 すぐに円卓同盟の敵兵達は、フレスヴェルグ城へと向かうアガルタを見つけたようだ。あまり高度を落とせば、敵のスチームメイデンが厄介だ。絶対的な瞬間最大戦力であるスチームメイデンは、その跳躍だけでも空を掴まえてしまう。

 リフィータの決断は早かった。


「ここで降ります」

「殿下! それは」

「これ以上、こちらに御迷惑はかけられません。わたくしは堂々と、クロトゥピアで正面の城門から入城しましょう。アルス・マグナス、準備を」

「は、はいっ! お供します!」


 格納庫へときびすを返して、リフィータは毅然きぜんと歩く。

 だが、その背をフィオナは呼び止めた。


「おいおい、降りるって……正気か? 姫さんよぉ」

「既にこの船は捕捉されています。このまま城へ迎えば、砲撃を誘うようなもの」

「で、ちんたらスチームメイデンで歩いて行こうってか?」

「その通りです。行きがけの駄賃だちんに、立ちふさがる全てはこれを排撃はいげき撃滅げきめつしましょう」


 腕組み黙ったフィオナは、次の瞬間に笑い出した。

 身を反らしての、大爆笑である。


「ハハッ! 気に入ったぜ! なにより、オレの家を……このアガルタを巻き込まねえってのが気に入った! ……ここから先は商売の話だぜ、姫さん!」


 グイとフィオナが身を乗り出す。

 静と動、正反対の美貌が向き合う中で、アルスは思わずゴクリとのどを鳴らした。

 とてもじゃないが、口を挟める雰囲気ではない。

 真剣な二人の眼差まなざしは、一本の線に収斂しゅうれんされてゆく。そこを行き交う思惑おもわくと想いとが、アルスにはひりつく肌で感じられるのだった。


「フレスヴェルグ城にアガルタを入れる。城内で商売してえんだよ。勿論もちろん、怪我人や病人の手当も引き受けるし、おさんどんだってやってやらあ」

「この船の物資と人員、それは助かります。兵達にも安らげる時間が必要でしょう」

「ただ、このまま飛び込んだんじゃあらちが明かねえ。そこでだ……アガルタが城に安全に着陸するまで、オレ達三人のスチームメイデンで陽動する」


 フィオナは振り返って、遠くを指差した。

 その先には、サイレンが鳴る中で円卓同盟の戦艦があわただしくエンジン音を響かせている。

 武装娼船とはいえ、アガルタは民間の船だ。

 この時まだ、アルスはアガルタが客船に毛が生えた程度の武装しかないと思っていた。

 この時点では、まだ。

 フィオナは自信たっぷりに、停泊地を見ながら恐ろしい作戦を明かす。


「連中の船を襲う。城門へはそのあとだ……

「これだけの数の攻城砲に加えて、艦隊からの爆撃……確かに三日と城は持ちません。では、その艦隊だけでも力をいでおきましょう。道々、攻城砲も潰せるだけ潰します」

「そういうこった! もたもたしてると包囲されっからな? 全速力で電撃作戦、これでいく」


 アルスは内心、恐ろしかった。

 自分は二人のような、一騎当千いっきとうせんの強さなどない。

 一般的な普通の騎士、それ以上でもそれ以下でもないのだ。

 だが、自分が騎士であること、それだけははっきりと誰にもほこれる。


「殿下、やりましょう! お背中、守ります……絶対に守り通します」

「よく言ったぜ、アルス! っしゃ、降りるぞ! それでいいよな、女将おかみよお!」


 いつからいたのだろうか?

 振り返るとそこには、このアガルタを取り仕切るライザが立っていた。彼女はこの悪意と敵意に満ちた空でも、悠々ゆうゆう煙管きせる煙草たばこを吹かしている。

 ライザには戦場も敗北も、まるで怖くないかのようだ。


「殿下、商売の件はくれぐれもよろしく頼みますねえ?」

「承知しました。城内でのあらゆる自由を認めさせましょう」

「なら、話は決まりた……気張りな、フィオナ! こっちでも援護くらいしてやるからねえ……円卓同盟の勝ち誇ってる連中に、ちょいと商売女の強さを見せてやろうじゃないか」


 すぐに話は決まった。

 再びアルスは、格納庫へと戻って愛騎シルフィスに乗る。

 今までも、殿しんがりとして戦うリフィータの背中を守ってきた。それはこれからも変わらない。そして、殿として戦う限り、リフィータは過酷な戦場を選んで飛び込んでゆく。

 そこにはもう、白痴の姫君とさげすまされた姿はなかった。

 国難と敗戦が、彼女に真の姿をさらす運命を与えたのだ。


「それでは、フィオナ・フィロソル。わたくしの討ち損じた敵をお願いします。アルス・マグナスは背後を守ってください。わたくしは……全速力で進み、進路上の全てを叩き潰します」


 軽く言ってくれる、と笑うフィオナもどこか楽しそうだ。

 まともな神経じゃない。

 だが、アルスにはたける気持ちが少しだけわかる。

 才も血もなき自分にも、この戦いの意味が感じられるのだ。

 大軍ゆえに、敵は完全にこちらをあなどっている。目の前のフレスヴェルグ城しか見ておらず、それも時間の問題だとたかをくくっているのだ。

 そこに勝機、そして活路が見えてくる気がした。

 格納庫は、手の空いた娼婦しょうふ達が集まり始めた。


「フィオナお兄ちゃん! 降ろすよ! ちゃんと帰ってきてね!」

「後部ハッチを開けて! 全騎にケーブルを」

「お姫様の白いのは最後! ほら、黄色いラインまで下がって! 巻き込まれたいの!?」

「ふええ、昨日のうちにワックスかけといてよかったぁ……ピッカピカだよぉ」


 空挺降下くうていこうかは、低空まで降りた船から行う。ケーブルによって減速しながら、戦場へと降り立つのだ。

 勿論もちろん、訓練ではやったことがある。

 だが、初陣ういじんを終えたばかりのアルスにとっては、全てが初体験だ。

 緊張に身を固くしてると、フィオナが声をかけてくれる。

 スチームメイデン同士は、拡声器を通した肉声でしかやりとりできないので……周囲に彼のやらしい笑みがダダれだった。


「アルス、ちゃんとケーブルを片手で握って降りんぜ? 握り過ぎず、手放さずだ!」

「は、はい! ありがとうございます、フィオナさん」

「センズリこくのと同じだ、自分のマラ握ってる時を思い出しな! ハハッ!」

「えと、それは……ちょっと、殿下も聴いてるんです! 下品じゃないです、ウワッ――!」


 ガクン! と軽い衝撃があって、アルスのシルフィスが宙へと放り出された。

 射出されてすぐは、天と地とがグルグル回りながら入れ替わる。

 先程のフィオナの言葉を頭から追い出しながら、アルスは懸命にケーブルを手繰たぐりながら降下を開始した。すぐに戦場の熱気と怒号どごうが、たった三人の勇者を出迎えてくれた。

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