第5話「真実の頸城」

 武装娼艦ぶそうしょうかんアガルタの内部は、言うなれば宮殿だ。どこもかしこも装飾品がきらびやかに輝いて、調度品の一つ一つにも気品と風格が感じられる。

 そして、当然のように女ばかりだ。

 今は営業していないので、男の姿はラウンジにもバーにも見られない。

 アルスは下着姿の女性とすれ違う度、妙にドギマギと落ち着かなかった。

 だが、フィオナは第三皇女だいさんこうじょリフィータを抱き上げたまま、どんどん奥へと進む。


「あっ、あの、フィオナさん!」

「何だよ、気持ちわりーな。フィオナでいい。オレもアルスって呼ぶからよ!」

「は、はいっ! それで、あの、殿下は」

「知らねえよ。けど、放っておけねぇだろうが」


 そうこうしているうちに、娼婦達の生活スペースへとフィオナは進んでゆく。

 その奥に、彼の部屋と思しき扉があった。

 迷わず開け放って、その中へ進むフィオナ。

 続こうとしたアルスは、閉められたドアにしたたかに顔を打ち付けた。


「っ! フィオナさん、殿下をどうするおつもりです! 不敬、無礼ですよ!」

「どうもしねーとは言わねえがよ……お前は外で待ってな。じゃの道はへびって奴でよ……どれどれ」

「フィオナッ! ちょっと、やめてくださいよ! 殿下に何かあったら」


 かぎを掛けられてしまったらしく、ドアはびくともしない。

 そして、アルスの背後には物珍しげに娼婦達が集まってくる。

 女臭い色香に包まれながら、アルスは守るべき人の身を案じていた。先程、あれだけの戦いを見せたリフィータの異変……そういえば以前、聞いたことがある。スチームメイデンは人の意志を吸い上げ、ボイラーで浄気スチームを生み出しタービンを回す戦闘兵器だ。

 そう、浄気……読んで字のごとく、

 人間のエゴ、欲、憎悪、煩悩……あらゆる意志が浄戒じょうかいほのおでタービンを回す。

 白き浄気の熱と圧とを巡らせ、スチームメイデンは無敵となるのだ。


「坊や、どうしたんだい? さっきのお姫様かい」

「フィオナの部屋に? そりゃ心配ないさ。あの子に限って間違いは起こさないさね」

「スチームメイデンで戦ったんだろう? 騎士様はみんな言ってるねえ……戦いの後は気がたかぶる、劣情がたぎるってね」

「それで女を殴る奴もいるんだから、救えない連中さ」


 冗談ではない。

 あのリフィータが、そんな下劣な精神状態におちいる筈がないのだ。

 彼女はアルスの命を再定義し、その意味と意義とをくれた。形見にせよとアルスに命を与え直して、一人で絶望的な殿しんがりを決意したのだ。

 一方で、娼婦達の言うこともわかる。

 意志を吸い上げられた人間は、虚無感きょむかんに襲われたり、異様な興奮を覚えたり、はたまた突発的な変調をきたしたりと枚挙まいきょにいとまがない。

 周囲の女達がそうするので、ついついアルスもドアに耳を当ててしまった。

 部屋の中の声が、くぐもりながらもかすかに聞こえる。


「ちょいとごめんよ、お姫さん。オレが思うに……御同輩ごどうはいってことだよな? これ」

「なっ……こ、これは……」

「いいさ、皇族なんぞはアレコレ事情もあるだろうさ。気にすんなよ、オレだって、女を知らぬまま男娼だんしょう生活でよ。気付けば尻の穴で一日三食喰ってお釣りがくる稼ぎだぜ」

「そ、それは……でも、尊敬します。そなたは己の身と意志で、かてを得て生きている。わたくしは――」

「いいさ、そういうのは別に。それよか、んん? 色気がねぇな、ドロワーズかよ。脱がすぜ? どうせ胸も詰め物だろ。いいからオレが一発抜いてやりゃ、楽に」


 次第に言葉と言葉は、荒げた息遣いの中で途切れてゆく。

 いよいよアルスはまずいと思って、ドアを蹴破けやぶろうとノブを掴んだ。

 だが……その直後、絶叫が響いた。

 フィオナの声だ。

 声だけは男らしい彼の、それは悲鳴。

 次の瞬間には、アルスは自分でも信じられないくらいの力が出た。両手でドアノブをねじ切るように、蝶番ちょうつがいの弾ける音と共にドアをブチ破る。

 リフィータを守るとちかった。

 そんな彼女の純潔を汚そうとした挙げ句、悲鳴をあげるとは何事か。

 いきどおるままに押し入ると、そこには……ベッドの上のリフィータとフィオナがいた。


「あ、いや……ってか、おい。オレの部屋のドア!」

「ドアがなんです、フォオナ! 貴方あなたは僕のあるじ侮辱ぶじょくし、さらに陵辱りょうじょくしようとしている!」

「違うって、これは……オレは違うけど、男はあんだよ、そういうの! スチームメイデンに長時間吸われて、平然としてるお前の方がおかしいんだって」

「リフィータ殿下は清らかな乙女です! 戦闘後に荒ぶる気持ちはあれど……あ、あれ? あれど……えっと」


 アルスは見てしまった。

 白くて柔らかそうな、まさにもものような尻が丸出しになったリフィータを。

 下着をほぼ全て膝まで降ろされた彼女の、その股間も目に入った。

 その場にいた女達も、誰もが驚きに黙る。

 それほどまでに立派な、見るも雄々おおしくたくましい……

 リフィータの股間に、ヘソまで反り返る屹立きつりつ隆々りゅうりゅう勃起ぼっきしていた。


「あ、えっと……殿下、は……皇女殿下でなくて、皇子殿下おうじでんか?」

「……ドアを閉めてください、アルス。わたくしの秘密を、全てお話します」


 恥ずかしげにうつむくリフィータは、耳まで真っ赤だ。

 よく見れば、豊満ほうまんな胸の実りまでまろび出ていて、ほぼ全裸だ。脱がしたフィオナ本人も驚いているのは、一つはその美しさ。まるで神話の女神か、聖典にうたわれた天使。その両方を合わせても、リフィータという高貴な乙女の美しさには足りないだろう。

 だが、その股間にはある筈のない怒張どちょうが充血している。

 そのグロテスクな不協和音が、醜悪な背徳感でアルスの心をあぶってきた。

 そして、娼婦達は我に返るや動き出した。


「ちょいと、フィオナ! ドアはアタシ達でやっとくさね」

「お姫様にも事情くらいあるわよ、ここの女はみんなそう」

「お茶くらいだそうかねえ? 少し、アンタ等は話し合いな」

「それと……フィオナ! そっちの騎士の坊やも! 竿サオタマもあるけど、お姫様はお姫様だ。泣かしたら承知しないからね!」


 騒がしさが遠ざかった。

 アルスが引っ剥がしてしまったドアは今、ふたをされたようにただはめ込まれて立っている。その向こうから、あっという間に人の気配は消えた。

 そして、フィオナが長い黒髪を手でかきながら立ち上がる。


「悪ぃ、その……てっきり、男かと思って。その、戦闘後は辛くて苦しい奴もいっからよ」

「いえ……フィオナさん、お気遣いに感謝を。アルスも、落ち着いて聞いてください」

「あ、えっと……リフィータ殿下。まず、そのぉ……ふ、服を、何か一枚……羽織はおってもらえると」


 フィオナのベッドからシーツを引っ剥がすや、リフィータはそれを羽織って全身を隠した。薄っすらと透けているが、純白のヴェールに包まれ絵画かいがの中の美女のよう。

 だが、リフィータは短い沈黙を挟んでから、ゆっくりと喋り出した。


「わたくしは、生まれながらに呪われた……ゆえに、男でもあり女でもあり、そのどちらでもありません。全ては、この身に流れるあやまちの血、罪深き故の罰を受けた肉体なのです」


 アルスは耳を疑った。

 だが、フィオナが言葉を挟まず、無言で訴えてくる。

 彼の目は、リフィータが真実を語っていると教えてくれた。

 恐らく、フィオナは見たのだ。

 そして、全てではないがアルスも見た。

 白い肌に薄っすらと、下腹部のささやかなしげみの、その奥に……女性器と男性器が両方あった。どちらも完璧に備わっていたように見える。アルスは本物の女性器をまじまじと見たことはないが、男性器は毎日見ている。

 リフィータの言う通り、彼女は両性具有アンドロギュヌス半陰陽はんいんようからだを持っているのだ。


「わたくしは皇帝陛下が、父上が……

「えっ!? いや、待ってください。皇帝陛下の妹君は確か」

「母はわたくしを生んでから、心を病んで今も王宮のとうに閉じ込められています。わたくしは当時の騎士団長で、今は引退しているオランデルはくに預けられ、そこでしばらく育てられました。剣も、その時」


 溜息ためいきを付いて、部屋の椅子にフィオナがどっかと腰を下ろした。

 見た目は可憐な美少女なのに、行儀悪く脚を開いて座っている。さも不愉快そうに、そのまま両足を投げ出し天井へと彼はつぶやいた。


「胸糞悪ぃ話だぜ……帝國ていこくの暗部って奴かぁ? けど、まぁ……ガキの時、一度だけ見たことがある。皇帝の妹は、凄ぇ美人だった。言われてみりゃ、お姫様に少し似てるぜ、ハッ!」

「このような躰ですので、わたくしの存在は秘匿ひとくされました。しかし、オランデル伯は実の父のように、わたくしを育ててくれたのです。そして……王宮へ戻るまでの十年間、わたくしを鍛え、学ぶ機会をくれました」


 そして、アルスは耳を疑った。

 白痴はくちを装い、愚者ぐしゃを演じてきたリフィータ。

 そんな彼女を救うべく、本当の戦いを見つけたと思った自分。

 両者の間には、数奇な運命が横たわっていたのだ。


「王宮に戻った幼きわたくしに、一人の女性が教えてくれました。彼女は、毎日わたくしを守りながら言ってくれたのです。爪と牙をお隠しなさい、その才気を誰にも気取らせてはいけません、と。ものとして振る舞い、誰にも警戒心を抱かせてはならないと」

「その人は」

「……父が、皇帝陛下が後宮こうきゅうに召し上げた寵姫ちょうきの一人、クレシア・マグナスです。……マグナス? もしや、アルス……そなたは」


 気付けばアルスは、爪がてのひらに食い込む程に拳を握っていた。

 痛みも感じぬままギリギリと握り締めていたのだ。


「僕の……母、です。クレシア・マグナスは……母さん、です」


 アルスが近衛騎士このえきしとして戦う理由……それは、汚名にまみれた家の再興だ。

 異端審問いたんしんもんにかけられ、背教者はいきょうしゃとして人生を終えた父。そして……その原因となった、母の後宮入り。美しかった母は、皇帝に見初みそめられたのだ。

 父は愛する妻を、自ら仕える主君に差し出した。

 妻を売った男として軽蔑けいべつされ、今までの武勲ぶくんが地に落ちたのだ。

 皇帝のなぐさみものとなる中で、母クレシアはリフィータを救った。

 そこに宿命や因縁を感じて、アルスは黙るしかできなかった。

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