第2話「夕日は血の色、汚れた緋色」

 血潮ちしおたぎる程の、興奮。

 絶体絶命の中で、アルス・マグナスは筆舌ひつぜつがたい高揚感に支配されていた。全速力で走る己の脚すら、もどかしい。すぐ間近に落とされた愛騎あいきすら遠く感じた。

 だが、周囲の混乱の声が遠ざかる。

 耳の奥にはまだ、白痴はくちの仮面を脱ぎ捨てた第三皇女だいさんこうじょの声が反響していた。


「僕に、僕の命を与えると! 形見だと、あの人は言った! 帝國ていこくのために、それを使えと!」


 ヴィザンツ帝國第三皇女、リフィータ・ティル・リ・メルダ・ヴィザンツの言葉が、兵達の望郷ぼうきょうの念を形にした。彼女の気高き行動が、その願いに姿を与えたのだ。

 敵が迫る中、誰もが空に浮くふねへと乗り込む。

 そんな彼等のためにも、時間を稼ぐ必要があった。

 アルスは投下されたスチームメイデン、シルフィスへと駆け寄る。かがんで着地したままの、その真っ白な装甲を駆け上がった。近衛騎士団このえきしだんは各大隊ごとにシンボルカラーが決まっているのだが、定員わずかに六名の第六大隊には、白が割り当てられている。

 だから、アルスのシルフィスは装飾もエングレービングも真っ白だ。

 まるで下書きで放置された絵画かいがか、余興にもならぬ落書きのようだ。


「さあ、行こう……お前だって、もう一花咲かせたいだろ! 相棒っ!」


 コクピットを開放し、その中へと己を投げ込む。

 直径2mに満たぬ、球形の密閉空間。中央の座席は、騎士達にとっての戦場そのものだ。そして、この場をひつぎとするは、ほまれいさおしの極みである。だが、アルスに死ぬつもりは毛頭ない。彼には挽回ばんかいすべき家の名誉、返上すべき父の汚名があった。

 すぐに座って全身を固定する。

 よろいを着込むように全身をおおうハーネスは、スチームメイデンと呼ばれる殺戮人形マリオネットあやついとだ。この瞬間からもう、アルスははがねの騎士を踊らせる人形遣いドールマスターとなる。


「ボイラー点火、ヨシッ! さあ、意志イシをくべてやる……熱く燃えてタービンを回せ、シルフィス!」


 周囲の壁面へきめんが全て、外の景色を映して広がる。

 それが立ち上がったシルフィスのひとみで見る世界だ。

 アルスは目をらして、唯一の索敵能力である肉眼を使う。スチームメイデンは、搭乗者の意志を燃やして浄気スチームで動く兵器だ。瞬間最大戦力しゅんかんさいだいせんりょくの名の通り、その稼働時間は短い。

 走り去ったリフィータのクロトゥピアは、はるか遠くに浄気の白煙を巻き上げていた。

 それを確認して、アルスはすぐに騎体を疾走はしらせる。

 任官してまだ二ヶ月だが、訓練を欠かしたことはない。


皇女殿下こうじょでんか! 今すぐ御身おんみをお守りします! 帝國の未来、民の明日のために!」


 激震に揺れるコクピットは、周囲の音が雪崩込なだれこんでくる。

 スチームメイデンとは、単純な兵器だ。

 乗る者の拡張された人体であり、その五感で戦う。目で見て、耳で聴き、オイルや火薬、血と汗の臭いの中で戦う。敵味方の位置を把握する魔法などない。魔法や法術ほうじゅつたぐいがないからこそ、スチームメイデンは短時間ながら無敵を誇るのだ。

 加速するシルフィスはすぐに、巨剣ザンバーを手にした一騎のスチームメイデンに追いつく。

 皇女専用騎の参號騎さんごうき、クロトゥピアが肩越しに振り返った。


「先程の少年ですか? そなた……わたくしの言葉をもう忘れてしまったのですか!」


 肉声だ。

 白無垢しろむく朱色しゅいろの装飾をほどこされたクロトゥピアは、その端正な美貌びぼうに表情を浮かべない。だが、その中でリフィータが口調をとがらせた。

 初めて聴く、彼女の怒りの声だ。

 王宮では、いつも愚者ぐしゃの笑みを……ものの笑みを浮かべていた。

 だが、今は違う。

 違うからこそ、アルスはさんじたのだ。


「リフィータ殿下、直掩ちょくえんにつきます! シルフィスの装甲の影に!」


 撤退中の味方から、まだ500mほどしか走っていない。

 もうすぐそこまで、円卓同盟ジ・アライアンスの兵達が押し寄せている。

 そして、クロトゥピアの足元には、斬り伏せられた敵のスチームメイデンが数騎横たわっていた。どれも、圧倒的な力で一刀のもとにられている。

 なんたる剛剣ごうけんか……何より、これだけの浄気量じょうきりょうを操る膂力りょりょく胆力たんりょくに驚く。


「なりません! お戻りなさい。そなたが命をける戦場は、ここではありません」

「殿下はおっしゃったはずです! 僕の命を形見と思えと。帝國のためにこそ戦えと! 殿下を白痴と笑った者達さえ、殿下は救おうとしている。その殿下を救うは、帝國騎士、近衛騎士たるつとめ!」


 迷わずアルスはシルフィスを前に出す。

 シルフィスも大きさは10m程だが、近衛騎士用に重装化され鎧で着膨れしている。加えて、ハルバードと巨大なシールドで完全武装していた。防御を主眼においた、皇族こうぞくを守るためのチューニングである。

 守られる形になって、何か言いかけた言葉をリフィータは飲み込んだ。


「殿下、すでに敵騎をこんなに」

斥候せっこうのスチームメイデンです。すぐに本隊が迫ってきましょう。……では、アルス・マグナス。頼ります。ですが、機を見てお退きなさい。犬死は無用です」

「犬死だなどと!」

「わたくしのクロトゥピアは初陣ういじんです。処女戦ヴァージンのスチームメイデン、何が起こるか……ほら、御覧ごらんなさい。今もこの子は、わたくしに操られる自分に戸惑とまどっています」

「初陣は僕も同じです。でも、戸惑ってるというのは――!?」


 その時だった。

 不意にアルスの乗るシルフィスが装甲を歌わせた。

 カン、と乾いた音が響く。

 騎体の首を巡らせれば、足元にまだ歩兵達がいる。円卓同盟の軍服を着た兵士達は、大半が逃げ惑っているが……その中に、暗い情念を瞳に燃やした少年がライフルを向けていた。

 その絶叫が、アルスの耳にも届く。


「侵略者め! 憎き帝國め! 父さんを、兄さんを返せ! 俺の家族を、返せっ!」


 少年兵は、一心不乱いっしんふらんにライフルを撃つ。

 一発撃っては、火薬と弾を込めて、震える手で銃口へと槊杖さくじょうを突き立てる。その作業ももどかしげに、無駄と知ってか知らずか射撃をやめない。

 その銃声は、当然リフィータのクロトゥピアにも向けられた。

 勿論もちろん、スチームメイデンの装甲を前に、歩兵は無力だ。

 この世で唯一スチームメイデンを倒せるのは、

 戦場の摂理せつりであり条理じょうり、そして真理しんり……しかし、なげき狂うような発砲が続く。


「リフィータ殿下、あの」

「構いません。手出しは不要です……スチームメイデンを見れば、あらゆる兵を退かせるがつね。わたくし達の敵はあくまで、円卓同盟のスチームメイデンです」

「はっ! スチームメイデンを駆る騎士たる者、同じスチームメイデンのみを敵と思え、ですね」

「そういうことです」


 アルスも幼い頃に、騎士だった父によく聞かされたものだ。

 帝國にその人ありと言われた父は、家柄は没落貴族ぼつらくきぞくだったが、武勇ぶゆうで名をせた英雄だった。その武功を、アルスは寝物語ねものがたりに聴かされて育った。

 そんな父が、帝國と教会にそむいたとされて、異端審問いたんしんもんにかけられた。

 そこからは、まるで全てがうそのような悲劇が待っていたのだった。

 だが、そんな幼少期を乗り越えアルスはここに立っている。

 自分の意志で立って、その意志を燃料にくべてスチームメイデンのタービンを回しているのだ。彼の心の強さ、たましいの輝きをボイラーは吸い込み、高熱で力を発揮している。


「……来ましたね。アルス・マグナス! わたくしを守ると言ったからには、死ぬことは許しません。わたくしごと自分を守って、生き延びてみせなさい」

「イエス、マイロード! この命にえても、必ず!」

「ふふ、その命はわたくしがあたなおしたもの……何にも代えてはなりません。いいですね?」


 リフィータが小さく笑った。

 この極限の緊張感の中、笑ったのだ。

 それは、演じ続けてきた愚鈍ぐどんで無知なお姫様の笑顔ではなかった。そして意外にも、突然本性を表した気高き第三皇女でもない。アルスの二つ年上、18歳のただの少女のような笑みだった。

 だが、再び彼女は戦乙女ヴァルキュリア凛々りりしさを取り戻す。

 同時に、敗走する円卓同盟の兵を蹴散らすように、向こうから多くのスチームメイデンが殺到してきた。その数、ざっと見ても十騎以上。


「おお! これはこれは……皇族専用騎と見た!」

「データにないタイプだが、第一皇女のアトロギア、第二皇女のラキシドゥの同型騎であるな!」

「なんと! 追撃を命じられて運が良かった……さあ! いざいざ、尋常じんじょうに!」


 アルスは、ひりつく空気を装甲越しに感じて身構える。

 背にリフィータのクロトゥピアを守って、白亜はくあ鉄騎士シュバリエが腰を落とした。

 数の不利は承知だが、身をていして守り、真正面から敵を受け止める。

 そうちかって覚悟を決めた、その瞬間の出来事だった。

 不意に、ハスキーな少女の声が響き渡る。


「待ちな、騎士様よぉ……悪いが、そいつはオレの獲物えものだ。どいてな……でないと、怪我けがする程度じゃすまねえぜ?」


 敵が一斉に振り向く先へと、身を乗り出してアルスも目を凝らす。

 そこには、沈み始めた太陽の、その真っ赤な夕日を背負って……見慣れぬスチームメイデンが近付いてくる。ゆっくりと、静々と、あくまで優雅ゆうがに歩いてくる。

 アルスは、


「な、何だ……? あんなスチームメイデン、帝國の記録にはないぞ!?」

「落ち着きなさい、アルス・マグナス。相手が何であれ、わたくし達の戦いは変わりません。そして、いまだ味方は撤退中……ってどろすすってでも、血の一滴を一秒に代えて時を稼ぎます」


 リフィータの声音は落ち着いて、それ自体が音楽のように耳に心地よい。

 だが、鮮血せんけつのように真っ赤な夕焼けの中で、新手のスチームメイデンが立ち止まる。

 人の姿をして造られた、鋼の巨神ギガンテス……スチームメイデン。長い戦いの歴史で洗練されてきた、その常識を裏切る異形いぎょう、そして威容いよう。闘争の空気が戦慄せんりつに凍り付き、敵の騎士達が息を飲む気配がアルスにもはっきりと伝わった。

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