第9話 脱兎のごとく、疾風(はやて)のように

1.救いの手


 宝生世津奈は、ゴム弾で気絶させた黒人男性には目もくれず、自動車の後部座席でぐったりしているボーイッシュな少女の首に手を当てた。大丈夫、脈はある。

 相棒のコータローとつないだままのスマホを取り出し「彼女は、生きてる。すぐ、クルマを回して」と指示する。

 

 それから黒人男性に目を戻した。ゴム弾といっても、頭部を直撃すると重傷、悪くすると死んでしまう。それを2発も当てた。緊急避難に相当する状況で、男性は衣服の下に防弾ベストを着用している可能性が高かったから仕方ないとしても、決して後味はよくない。

 

 それでも、男性が意識をとりもどさないとも限らないので、右肩から斜めがけしているバッグから電気工事用の結束バンドを取り出し、男性の両手を縛り上げた。脈があるかは、あえて、確かめなかった。


 少女のシートベルトを外して両脇の下に腕を入れて車から引き出した。少女は気を失っているというより深い昏睡状態に見える。

 治療は、どこでしよう?会社の医療センターでは、遠すぎる。かといって、こんな田舎の山の中で・・・

 世津奈は、考えるのを止めた。物事は、ひとつ、ひとつ、片づけていくしかない。今は、ここから無事に脱出することだけを考えよう。


 世津奈は、軽自動車の陰から、道路の後方を見た。この先に、スナイパーを乗せたミニバンが停まっているはずだ。

 スナイパーにはコータローが放った「カラス」5羽がはりついて狙撃を妨げているはずだが、他の連中がミニバンで駆けつけるのが心配だった。

 幸い、ミニバンは依然としてかなり離れたところで停止したままだ。この絶好のチャンスに襲ってこないのは不思議だが、その方が、こちらに都合がいいことは、言うまでもない。


 クルマのタイヤが砂利を跳ね上げる音が近づき、振り返ると、コータローが運転するSUVが世津奈の鼻先50センチでぴたりと停まった。さすが、コータロー、下が砂利道でも、見事にクルマをコントロールしている。

 

 コータローが身体をかがめて運転席から飛び出し、世津奈の隣にひざまずいた。これでも、身長158センチの世津奈は身長188センチのコータローの顔を見上げることになる。

「この子を乗せて、急いで逃げよう」

「脱兎のごとく」とコータローが言い、世津奈は「疾風(はやて)のように」と応じる。全速で逃げ出す時の、二人の合言葉みたいなものだ。

 

 少女は世津奈が抱きかかえ、コータローは運転席に飛び乗ってSUVを切り返し始めた。世津奈は、身体は小さいが腕力は強い。自分と同じくらいの背丈の少女一人を抱いて車に担ぎ込むくらい、朝飯前だった。

 SUVをUターンさせたコータローが力強くアクセルを踏み込んだ。

 

2.追っ手


 ANCシステム・オペレーターのショーン中尉は、モニター画面を見て、言葉を失っていた。フークア中尉、リン中尉ともに、全てのシステムがダウンしている。ニューロ・クラッシュを起動できないのはもちろん、二人の生命が危機にさらされているかもしれない。

 

 車の外からブラックマン大佐が落ち着いた声で訊いてきた。「ショーン中尉、システムの状況は?」

「オールダウン。稼働不可能です」と答える自分の声が引きつっている。

「想定以上の破壊力ね」大佐が実験結果を確認する科学者の声で言った。

 

 「全員、乗車。前進して、ブラウン大尉、フークア中尉、リン中尉の3人と、セナ、アトキンソンの死体を回収する」大佐がよく通る声で命じて、自らはショーンの斜め後ろに乗り込んだ。その隣の席にグレイ軍曹がつく。血液で迷彩塗装をほどこしたような顔をしている。


 前進して回収するだって!このオンナは頭がおかしいのか。俺たちまでニューロ・クラッシュされるじゃないか?


 「ショーン中尉、顔色が悪いわよ」大佐に声をかけられた。

「大佐、お言葉を返すようですが、前進は危険です」

「我々も、ニューロ・クラッシュされる可能性がある。そう言いたいのかしら?」大佐がニッコリ笑った。

 笑い事じゃないだろう!わかっているなら、無謀なことはやめてくれ。カリフォルニアにいる妻と娘の顔が浮かぶ。


 「今なら、前進しても、大丈夫よ」ブラックマン大佐がケロリと言ってのけた。

「なぜですか?」

 「今いるこの場所では、誰も攻撃されなかったから」と大佐が答え、ショーンの肩を軽くたたいた。

「リカ・タチバナは、彼女への殺意に反応してニューロ・クラッシュを発動している。私は、ここでクルマを停めた時から、リカを殺したくてウズウズしていた。ブラウン大尉、フークワ中尉、リン中尉の3人も、リカを抹殺する覚悟でいたはず。でも、誰も攻撃されなかった。つまり、リカは500メートル以上離れた人間の殺気は感知できない」

 

 リカが大佐たちの殺意を探知した上で、できるだけ引きつけようとした可能性はないのだろうか?その疑問を、ショーン中尉は口にしなかった。すでに、1度、上官の命令に異を唱えていた。これ以上、逆らわないほうがよい。

 それに、大佐は、自らもショーンたちと共にリスクを冒そうとしている。上官が矢面に立っている以上、部下としても、リスクを甘受せざるを得ない。

 

 「グレイ軍曹、素晴らしい仕事です」という大佐の声がして、ショーンは、ルームミラーで後部をうかがった。大佐がグレイ軍曹からカラスを一回り小さくした鳥の模型のようなものを受け取っていた。その鳥には、両方の羽がなかった。

「よく、この一羽だけでも、このくらいの損傷で捕獲してくれました。あなたにとりついた5羽とも銃撃で粉砕してもおかしくない状況だった。一羽でもほぼ無傷で残してくれたので、これを徹底して調べて、リカを救い出した連中にたどり着くことができます。ありがとう、軍曹」

 ショーンは、ルームミラーの中で艶然と笑う大佐の顔に見とれている自分に気づき、あわててANCシステムのモニター画面をカーナビ画面に切り換え、視線を向けた。


 「オーケー、ボーイズ、汚れ仕事を始めるわよ」大佐のひとこえで、運転席のファレル伍長がアクセルを踏み込んだ。



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