第8話 梨花の反撃
1.ブラウン大尉
ブラウンは、 ミニバンに乗り込みながらフークア、リン両中尉の顔を見た。二人はブラウンには全く注意を払わず、凍り付いたように正面を見つめている。
「体内電源はオンです。システムは安定。いつでもニューロ・クラッシュを始められます」
ハンドルを握るフェルプス軍曹が報告してくれた。運転席と助手席の間には、フークア中尉とリン中尉のANC(Artificial Neuro-Crush =人造ニューロ・クラッシュ)システムを監視するモニターが設置されている。
ブラウンはシートベルトを締めながらフェルプス軍曹に「ターゲットから50メートルまで接近して、リン中尉を降ろす。その後、全速でターゲットに寄せろ。クルマをぶつけてもいい」と命じた。
「イエス、サー」
フェルプス軍曹の前に軽自動車までの距離を示すヘッドアップディスプレイが現れ、ミニバンが軽く身震いして走り始めた。ついに、ブラウンが避けたかった状況に突入する。
ブラックマン大佐の「作戦」とは、リカ・タチバナの5メートル四方をたたくショットガン的な攻撃とリカをピンポイントでたたく狙撃ライフル的な攻撃を連続的に繰り出すものだった。
レノックス博士が開発した第一世代ANCとブラックマン大佐が開発した第二世代ANCの決定的な違いは、第一世代が1度に1人のターゲットしか攻撃できないのに対して、第二世代は同時に複数のターゲットを攻撃できることだ。
この違いは、第一世代と第二世代が、それぞれ異なった作戦用に開発されたことからきている。第一世代は、アメリカ国内に侵入したテロリストおよび国内のテロ支援者を1人ずつ抹殺する目的で開発された。第二世代は、ANC自身が敵地に潜入してテロリストのグループを一斉に暗殺する目的で開発されている。
第一世代ANCは、肉眼で確認した1名のターゲットだけにニューロ・クラッシュできる。1度の攻撃で脳が激しく消耗するため、連続攻撃はできない。
第二世代は、5メートル四方のターゲット・エリアを肉眼で特定したら、その内部にいる全ての人間に同時にニューロ・クラッシュできる。ニューロ・クラッシュを10秒続けると、脳が消耗し尽くし、攻撃が止まる。つまり、第二世代も、連続攻撃はできない。
第二世代は、第一世代と同じ1度に1名のターゲットをピンポイント攻撃する能力も備えているから、今後は、第二世代のANCだけが配置されることが決定していた。
フェルプス軍曹が「300、250、200・・・」とディスプレイの距離カウントを読み上げるのを聞きながら、ブラウンは、自分が目をつぶっていた真実に気づいてしまった。ブラックマン大佐に作戦実施を踏みとどまらせたかった本当の理由は、虎の子のフークア中尉とリン中尉を温存したかったからではなく、かけがえのない自分の命が惜しかったからだ。
リカ・タチバナがブラッドレー中佐の部隊を一撃で倒したニューロ・クラッシュは、第二世代型のショットガン攻撃だったと考えられる。ブラックマン大佐は、作戦のブリーフィングで、リカの脳は第二世代のような電子的補強を受けていないから、彼女のニューロ・クラッシュの有効射程は周囲30メートルが限界と言っていたが、そのことに確かな裏づけがあるわけではない。
いや、待てよ。大佐は、グレイ軍曹の遠距離狙撃でリカを仕留めない理由として、グレイ軍曹がリカにニューロ・クラッシュされる恐れがあると言った。ブリーフィングで言ったことと、矛盾しているではないか。Shit! 俺は、なぜ、あの時、その矛盾を指摘しなかったのだ!
有効射程は100メートル以上、いや、200メートル以上あるかもしれない。次の瞬間にも、自分の脳がニューロ・クラッシュされるかもしれないのだ。
ブラッドレー中佐の部隊からは死者こそ出ていなかったが、ANC2名を含む5名が、まだ、意識不明のままだ。
距離が100を切ると、軽自動車が急に大きく見え始めた。軍曹が少しずつ速度を緩めるのがわかる。
「80、70、60、徐行します」と軍曹が言い、スピードが人の速足程度まで落ちる。ブラウンは、口の中にたまったつばの塊を飲み込む。
「50、止まります」と軍曹が言い、クルマが静かに動きを止めた。ニューロ・クラッシュに向けて集中力を最大限に高めているだろうリン中尉の気を散らさないため、ブラウンは前を向いたまま、「リン中尉、GO」と命じた。フェルプス軍曹が電動のスライドドアを開け、リン中尉がクルマから出て行く気配がする。
「リン中尉、位置につきました」軍曹が外を見て報告してくれる。この距離からリン中尉は軽自動車の車内に向けてニューロ・クラッシュの散弾を浴びせる。リカ当人を肉眼で確認する必要はない。リカをピンポイントで叩くのは、クルマに残ったフークア中尉の仕事だ。
「よし、思い切って、前方のクルマに寄せろ」ブラウンは、ここにきて、やっと覚悟ができた。命を危険にさらしているのは、自分だけではない。リン中尉、フークア中尉、フェルプス軍曹、みなが、この「たかが逃亡NC(ニューロ・クラッシャー)狩り」に命を賭けている。そして、自分は、その指揮官なのだ。しっかりしろ、トム・ブラウン。
2.梨花
大事な家族を目の前で殺されて、泣かなきゃいけないのに、涙が全然出てこない。声も出ない。私そのものが殺されて、なにも感じなくなった。そう思うくらい、涙も声も、なにも、出ない。
ああ、なんで、こうなるまで、ケンとヘレンが私の家族だってことに気づかなかったんだろう。あたしは、なんてバカなんだ。まず、湧いてきたのは、あたしの、あたしに対する怒りだった。
あたしは、あたしと違って、落ち着いて頭を使えるケンを頼りにしてた。尊敬してた。ヘレンにはヒドい態度ばかり取ってたけど、あたしは、本当は、ヘレンが嫌いだったんじゃない。
ヘレンの中にあたしが見えたから、イライラしただけだ。本当は、ヘレンは、ケンより、ずっと、ずっと、あたしに近いところにいた。
いや、ちがう。ケンとヘレンを比べてどうこうって話じゃない。ケンはケンのままで、ヘレンはヘレンのままで、あたしの、かけがえのない家族だった。
あたしは、フロントグラスを見る。そこには、ケンとヘレンの身体の一部が飛び散っていた。ペンキをぶちまけたみたいな血液。投げつけられ壊れた豆腐みたいな脳みそ。あたしは、脳みそのかけらにヘレンのとび色の髪の毛がくっついてるのを見つけた。
くそっ、許さない!あたしは、あたしの大切な家族の身体を、こんな風にぶち壊した奴を、絶対に許さない。そいつの命で、この罪をつぐなわせてやる。
あたしのお腹で、あたしの身体を内側からふっ飛ばしそうなくらいの爆発が起こった。あたしの身体からはみ出しそうな太い炎の柱が頭のてっぺんまで一気に達した。
あたしは、頭だけじゃなく、全身で震え出した。身体がバラバラに千切れちゃうんじゃないかってくらい、すごい勢いで震えた。でも、一方で、あたしの身体は、すごく落ち着いてもいた。
とっても変なんだけど、うなりをあげて震えながら、あたしは、指揮者がタクトを振り始める直前のオーケストラのように静まり返ってた。
あたしは目をあけることができなかったけど、4人が乗ったクルマが近づいてくるのがわかった。4人のうち2人が、あたしと同じ力を持ってることもわかる。
今すぐにでも、あたし中の、この嵐を、連中に叩きつけてやれる。でも、そうはしない。もっと、もっと、引きつける。あたしが嵐に耐えられるだけ耐えて、引きつけ、一気に叩きつける。ぶちのめす。絶対に、生かしておかない。
一人がクルマから降りた。そいつがあたしに向かって炎の塊を投げようとする。こいつから先に叩くか?いや、待つ。残りの3人をもっと引きつけるんだ。
急に、頭を丸太で殴られたみたいなショックを受けた。身体がぐらっと揺れ、生まれてから今まで味わったことのない激しい痛みが、あたしの頭を襲った。「ギャア」って、自分が叫んでる声が聞こえる。
このままだと、あたしが殺される!あたしは、ものすごくフラフラしてて、メチャクチャ頭が痛くて、狙いなんかつけられなかったけど、あたしの中の嵐を外に向けて放った。手ごたえがあったと思ったけど、すぐに頭の中が真っ白になった。
3.ブラウン大尉
「それ」は、突然、襲ってきた。巨大なペンチで頭をはさまれたような衝撃に、ブラウンは悲鳴を上げていた。突然霧が湧き出したみたい視界がぼやける。
右からフェルプス軍曹の身体が倒れかかってきた。軍曹の手がハンドルから完全に離れ、コントロールを失ったミニバンが右側の森に突っ込もうとしているのが、ぼやけた視界の中でもわかった。
ブラウンはハンドルに手を伸ばし、すんでのところでミニバンを道路に戻した。頭をひねり潰されるような痛みに耐えながら、ハンドルを支えて、SUVを前方の軽自動車めがけて走らせる。
軽自動車が目の前にぐんぐん迫ってくる。ガシャンという音と共に襲ってきた衝撃で、ブラウンはハンドルにすがりつく格好になった。車体が大きく右に振れて、後尾が何かにぶつかる鈍い音とショックが伝わってくる。車体が道からはみ出して、後尾が森につっこんだのだろう。
頭の痛みが突然、消えた。視界がはっきりしてくる。サイドウィンドウのすぐ横に軽自動車の屋根が見える。ブラウンのミニバンが、軽自動車を左に突き飛ばしながら、後尾を右に振って森の中に突っ込んだのだ。その結果、二台が横に並んで道路をふさぐように停まっている。
後部座席をみると、フークア中尉が鼻と耳から血を流してシートにもたれていた。フェルプス軍曹は、今は、シートベルトに引き戻されて運転席のサイドウィンドウ身体をもたせている。
これが、ニューロ・クラッシュか?ブラッドレー中佐の部隊を一撃で行動不能にしたのが、これか?
いや、俺は、まだ動ける。動いて、化け物を撃ち殺すことができる。ブラウンはシートベルトを外し、ねじれたドアをこじあけて、外に出た。
ショルダーホルスターからSIG SAUER P226を引き抜き、安全装置を解除し、撃鉄を起こした。銃を両手で構えて軽自動車に近づき、クルマの鼻先から反対側に回り込む。戦場で死体は見慣れているのに、なぜか、頭を撃ち抜かれた女性の死体に胸が悪くなる。
後部座席に、小さくやせた人影が見えた。近づき、銃を向けたまま、車内をのぞく。これが、14歳の少女?どう見ても、少年にしか見えない、やせた、ちっぽけな身体が後部座席にもたれていた。こんな小娘にやられたのかと思うと、怒りがこみ上げてきた。
化け物め、待ってろ。すぐに、お前の頭を吹き飛ばしてやる。ブラウンは右手で銃を構え、左手で後部座席のドアを引きあけた。
その瞬間、側頭部を硬い石で殴られたような衝撃を受け、身体が揺らいだ。衝撃の来た方に向き直る。今度は、顔の正面から衝撃を受け、意識が飛んだ。
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