第4話 悪魔の兵器
1.逃げる梨花
ケンは、DIA(だと思う、他にあんな手荒なマネする連中は考えられないから)のSUVを走らせて隣の市の月極駐車場に乗り付け、そこに停まってる中で、一番、目立たない軽自動車を盗んだ。そう、盗んだんだ。
もちろん、ヘレンは、黙ってなかった。
「こんなことして、この車の持ち主が、明日仕事に行けなくてクビになったら、その家族まで路頭に迷うのよ。私たちが助かるために、普通に働いて生きている人たちに、そんな迷惑はかけられない」
「ヘレンの言うことは分かるし、僕だって、普通の状況なら、こんなことはしない。だけど、これは、緊急避難だ。このクルマの持ち主も許してくれる」ヘレンに背を向けたまま、ケンは黙々と、クルマのエンジンをスタートさせた。
こんな身勝手なことを持ち主が 許してくれるわけないと思うけど、あたしたちは、どうせ、お天道様の下を大手を振って歩ける人間じゃない。あたしなんか、人まで殺しちゃったらしい。今さら、クルマ泥棒のひとつやふたつ、何だっていうんだ。
「これの持ち主が、普通にまともに働いてる人だって、どぉ~して、わかんのよ。振り込め詐欺の一味で、じいちゃん、ばあちゃんをだまして荒稼ぎしてるかもしれないじゃん」とあたしがツッコミを入れると、ヘレンが目を赤く泣きはらして「Shut Up!」と怒鳴った。
あゝ、まただ。危機的状況になると、すぐ、いっぱい、いっぱいになる。誰か、この精神科医に精神科の主治医をつけてやってくれ。
クルマが走り出してからも、ヘレンはぶつぶつ言い続けて、最後は神様にお祈りしてた。ケンもあたしも、黙ってた。なんか言っても、余計こじれるだけだからね。
ヘレンがぐじゅぐじゅ呟いてるのを聞いてると、あの憎らしいヤマネコ博士の顔が浮かんでくるから不思議だ。
そう言えば、レノックス間抜け先生は、いつも不機嫌で「クソだ、最悪だよ」と毒づいてたけど、メソメソグジグジしてるのは、見たことがない。胸張って、いつでも、世の中まとめて相手にしてやるわよって、顔してた。でも、本当は、ペンタゴンの言いなりにあたしのオツムをいじりまわしたお雇い科学者なんだから、笑っちゃうけどね。
あいつは、映画が好きだった。あたしが、「手ごめ」とか「お天道様」とか、あたしの年頃の日本人にどうも通じない言葉を知ってるのは、あいつと一緒に観た映画のせいだと思う。
あたしも映画が好きだと知ったレノックス間抜け博士は、ペンタゴンの秘密研究所の中に、ちっちゃな映写室を作ってくれた。10人も入るといっぱいになっちゃうような、ちっぽけな奴だ。
あたし独りの時は、アメリカ映画のちょっと古い奴を観てたけど、あのバカが一緒だと、大映とかいう、とっくにつぶれちゃった日本の映画会社の古い映画ばっか観せられた。『座頭市』、『眠り狂四郎』、『兵隊やくざ』、『悪名』・・・
あいつは『座頭市』が大好きで、あたしは、まぁ、『兵隊やくざ』と『悪名』ならオーケーだったかな。そのせいで、あたしは、やたらに古い日本語を覚えちまった。まったく、クソだ、最悪だよ。
こんなことは次から次に頭に浮かんでくるのに、DIAの連中を相手に、あたしが何をしたか、あたしに何が起こったかについては、なにも考える気がしない。というか、そこだけ頭ん中にぽっかり穴があいてて、考える材料がない。
それって、ヤバい印だと思う。何が起こったか分かったら、あたしもヘレンみたいになっちゃう。そんなイヤな感じが、あたしの身体の中でモヤモヤしてる。
あたしは、目を閉じた。こういう時は、眠るのが一番だ。小っちゃい割には揺れないクルマの背もたれに身体を持たせてうつらうつらし出すと、南方戦線に送られる列車で、機関車を占拠した大宮二等兵と有田上等兵が機関車を列車から切り離して雪に埋もれた原野をどこまでも、どこまでも走ってく光景が眼に浮かんだ。このクルマも、ああして、遠く、遠く、ペンタゴンの手の届かない所まで走り続けて欲しい。
あっ、でも、大宮と有田は映画に人気が出ちゃって、シリーズ化するためにまた軍隊に戻っちまった。あたしは人気者になんかならなくていいから、このまま、地の果てに消えてしまいたい。
2.追いすがる悪魔
慧子は、強い陽射しに目をしばたたきながら、あたりを見回した。樹木が切り去られ、まっさらな地面が剥き出しになった小山の中腹、斜面のすそに倉庫のような建物がある。ここは、米軍の府中通信施設内の、すでに使われなくなった一角だ。
「カレン、あなた、こんな山の中で、そのモデルみたいな格好して、自分でイカレてると思わない?」慧子は、日傘で顔を隠して隣に立っている、かつての同僚の顔を見上げた。
流れ落ちる絹のような金髪、左右が見事に対称な楕円形の顔の真ん中を高く通った鼻筋が通っている。エメラルドグリーンの瞳が印象的なクッキリした目に、やや厚めの肉感的な唇。九等身に近い肢体を見事にあつらえたビジネススーツに包み、山の中だというのにピンヒールの靴を履いている。
カレンが口元にかすかな笑みを浮かべて慧子を見下ろしてきた。「自然から美を授かった女性には、その美で周りを楽しませる義務がある」「この」と言って、左手の人差し指で自分のこめかみをつつきながら続ける。「優れた頭脳でアメリカを守る兵器を創造するのが私の第一の義務。でも、第二の義務は、私の美しさで世界を彩ること。ケイコ、あなただって、お化粧して、髪型に気を遣い、着るものと履くものを選べば、私ほどではなくても、それなりに世界を華やかにすることができるのよ。研究を口実にそれをしないのは、女性として怠慢だわ」
また、出た。これが、脳神経科学とコンピューターサイエンスで博士号を持ち、医師免許も持ったBMI(ブレイン・マシン・インターフェイス)兵器開発のプロ、カレン・ブラックマン博士の信念だ。
慧子の信念は違う。私は、異性の目を楽しませるために生まれて来たのではない。私は、私が知りたいことを知り、究めたいことを究めるために生まれてきた。ペンタゴンで兵器開発に従事したのは、私がやりたい研究に対して膨大な予算と多様な実験の場が用意されていたからだ。
アメリカのため?くそくらえだ。誰が、私の祖父母に原爆を落とした国のために尽くすものか。私は、アメリカを利用してやるつもりだった。もっとも、実際は、体よく使われて、ANC(人工ニューロクラッシャー)という禁断の兵器を作ってしまったが・・・組織は強し、個人は弱し・・・か?全く、クソだ、最悪だよ。
「わざわざアメリカから美容指導をしに来たわけではないでしょう。さっさと、用件に入りなさいよ」
「相変わらず、雑談を楽しむことを知らない人ね。いいわ、これから、イイものを見せたげる」
「あの倉庫には、DIAが日本で捕獲した、敵対国のスパイと工作員たち20人を押し込んである。もうすぐ、倉庫内のスピーカーが、連中に、今日の朝食に致死性の毒薬LPXが混ぜてあったことを教えてやる」カレンの端正な顔に酷薄な笑みが浮かんだ。
こいつは、正真正銘のサディストだ。一緒に人体実験をしていれば、わかる。私は、どうしても究めたいことがあるから、つい、人間に手を出してしまう。でも、カレン・ブラックマンは、人間を痛めつけること自体が大好きなのだ。
カレンが日傘を振ると、斜面の上端を縁取る雑木林の中から迷彩服姿の兵士が現れ、黄色い液体のつまったペットボトルを5本、地面に並べた。
「あれは、LPXの解毒剤。5人分しかないけどね。倉庫の連中には、目の前の斜面を駆けのぼった先には5人分の解毒剤が置かれていることも教えてやる。致死性の毒を盛られた男ども20人に、5人分の解毒剤。何が起こるか想像しただけでワクワクしてくるでしょう?」カレンが慧子に微笑みかけた。
「ワクワクですって?悪趣味なだけだわ」
「あら、つい最近まで、一緒に楽しく人体実験をしていたくせに」カレンが鼻先で嘲笑った。
突然、倉庫の扉が開いた。中から、上半身裸の男たちが一斉に駆け出してきた。一様にやせこけて、肌の上に傷痕が目立つ男たちが、狂ったように、斜面の頂上をめがけて走る。いや、走るというより、一歩進んでは転び、前を行く人間の足をつかんで引き倒し、代わりに立ち上がってまた一歩進んでは転びの繰り返しだ。慧子は見ていられなくて、うつむいた。
「しっかり見てらっしゃい。ここからが、本番なんだから」カレンの冷たく厳しい声が頭上から降ってきた。
恐々目を開くと、思いがけない光景が展開していた。斜面の頂上を目指していた男たちが、みな、両手で頭を抱え、地べたを転げまわっている。ギャー、ウォーという悲鳴も聞こえてくる。
「ねぇ、ケイコ、きのうの夜、橘梨花を襲ったDIAのチームにも、これと同じことが起こったんじゃないの?」カレンが弾んだ声で訊いてきた。慧子には、答える言葉がない。このありさまを見て、何かを言う気になど、なれない。
永遠にも思われる残虐な時間が続いたが、それにもついに終わりが来た。斜面の上では、誰一人動く者はなくなり、うめき声すら聞こえてこなくなった。
いつの間に現れたのか、自動小銃を手にした10人の兵士が斜面を下ってきて、転がっている半裸の男たちの生死を、一人ひとり確認し始めた。
背後に人の気配が近づくのを感じて、慧子は、振り返り、思わず身構えた。迷彩服姿の男女が2メートルほど後ろで立ち止まり、こちらに向かって敬礼をした。一人はアフリカ系の男性、もう一人はアジア系の女性だった。二人とも、人間らしい表情がまるで見られず、まるで、SF映画に出てくるアンドロイドみたいだ。
「レノックス博士、紹介するわ。私が開発した第二世代ANC(人造ニューロ・クラッシャー)のフークワ中尉とリン中尉」カレンが改まった口調で言った。二人の中尉は、海兵隊式の敬礼をすると、直立不動の姿勢をとった。
「ブラックマン博士、20名全員死亡です」背後から声がした。振り向くと、白人の下士官が額に汗をにじませた顔で立っていた。「軍曹、ご苦労様。死体は、予定通り、焼却して、雑木林に埋めておいてちょうだい」「アイ、マーム」と、下士官は、女性の上官に対する礼をとって、斜面の方に立ち去った。
「フークワ中尉、リン中尉、素晴らしい仕事です」カレンが弾んだ声をかけると、2人の中尉が「ありがとうございます、大佐」と声をそろえて答えた。大佐ですって?カレンは、いつから軍人になったの?いや、それより先に確かめなければならないことがある。
「このお二人は、もしかして・・・」慧子は、自分が気乗りのしない声を出していることがわかっていた。知りたくないが知っておかなければならないことを確かめる時、私は、いつも、こういう声になる。
「ええ。私が開発した『第二世代ANC(Artificial Neuro-Crucher 人造ニューロ・クラッシャー)』よ。あなたが開発した第一世代がニューロクラッシュしたターゲットの平均致死率は70パーセント前後。しかし、第二世代では、それが95パーセント以上に向上している」カレンが自慢げに言う。それは、「向上」なのか?
「でもね、破壊力以上に、もっと凄いことがある。それは」
慧子はカレンをさえぎって後を引き取った。
「視認できないターゲットを、同時に複数攻撃できること」
「そう、その通り。『ニューロ・クラッシュ』能力を取り戻した橘梨花に発現したのは、この能力と考えられる。だから、この第二世代を使って梨花を追い詰め、抹殺する」
あゝ、クソだ、最悪の展開だよ。
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