第2話 迫る魔の手


 玄関から「ただいま」とケンの声がして、ヘレンが「あ、お帰り」とほっとしたような声を出す。

 ケンイチがヘレンの後ろからセルのメガネをかけた顔をのぞかせた。肌の浅黒さといい、目鼻立ちの彫りの深さといい、ケンイチは、日系四世というより、ネイティブ・アメリカンみたいだ。ケンイチは、すぐに感情的になるヘレンと真逆で、いつも落ち着いて、現実的だ。あたしは自分がキリキリしてる方だから、メソメソしてるヘレンといると、気が狂いそうになる。ケンイチといるほうが、ずっと安心。でも、ちょっとつまんない。

「会社の帰りに、駅前で梨花ちゃんを見かけたけど、何か、用があったの?」ケンイチが何気ない調子で訊いてきた。

 「えっ」と思ったが、何食わぬ顔をして(したはずだけど)「はあ?人違いでしょ。駅前なんか行ってないし」と答える。

「駅前のレンタルショップに楓ちゃんと行ったよね。お店の人に確かめた」

 この野郎!こそこそ人の後を嗅ぎまわりやがって、クソだ、最悪だ。

「何よ、あんた、いつから、私のストーカーになったの?」

「やっぱり、駅前に行ったんだ」

メガネの奥の茶色い瞳がじっとあたしを見つめる。えっ?

「もしかして、カマかけた?」

 ケンは落ち着き払ってる分だけ、こういう時は、本当に憎たらしい。あたしは、ヘレンをおしのけてケンイチの胸倉をつかんだ。でも、野郎は、落ち着き払って、「僕が駅前で見たのは梨花ちゃんじゃない。四人の中学生が救急車で運ばれるところを、見た」と言いやがった。

 「チッ」あたしは舌打ちして、ケンの胸倉から手が離した。

「中の1人は、心肺停止だったらしい。後の3人もひどい呼吸困難だったそうだ」

 ヘレンが天井をあおいで「Oh、No!」と英語で嘆いた。

「何よ、あんたたち、あたしが駅前で何かしたって疑ってるの?『あれ』が戻ったからって、怪物扱いしないでよ」

 ヘレンがあたしの両肩に手をかけ、顔を近づけてきた。手を払いのけたいのを我慢する。

「あなたが自分から何かしたなんて、思ってない。あなたは、自分を守るためにしか力を使えないのだから。誰かがあなたを危ない目に遭わせたから、力が飛び出したのでしょう?何があったのか、教えてちょうだい」

「僕も知りたいな。君に危害を加えようとした中学生が、ペンタゴン(アメリカ国防総省)の手先だった可能性もゼロとは言えない」

 それは、ない。それだけは、ありえない。ペンタゴンの連中は、どいつも、こいつも、クソだったけど、えらくお勉強ができそうだった。実際、頭は良かった。ともかく、今日出くわした連中みたいな下半身でモノ考えてそうアホはいなかかった。

「まさか。ただのワルガキよ。あいつら、レンタルショップで楓をつかまえて、外の狭い路地に連れ込んで乱暴しようとしたの。私は、楓を助けただけ」

 「えっ?」ヘレンが驚く。「その人たちは、あなたを襲ったのではないの!じゃあ、あなた、どうやって、力を使ったの?」水色の瞳が大きく見開かれる。

「わざと中の一人を怒らせて、私の胸倉をつかませたの」

 ヘレンが息を呑む音が聞こえた。

「梨花、あなた、自分から力を使ったの!」

「そうよ。でも、あれは、正当防衛だわ」

「1人は死んだかもしれないのよ」ヘレンがあたしの両肩を強くつかんで声を震わせる。

 「それがどうしたのよ!」あたしは、ヘレンの腕を思い切り振り払う。

「楓が暴行されたら、あの子は、今度こそ自殺しちゃったかもしんない。他人をそんな目に遭わそうとする奴は、殺されたって、文句は言えない」

 あたしは、本当にそう思っている。この国では、婦女暴行で死刑にはならない。「更生」ってやつですか?それができる可能性が高い犯罪だと思われているから。確かに、「更生」して、まっとうな生活をしている人も大勢いるのだろう。

 でも、今、これから強姦しようとしている奴が、その後、警察に捕まって、少年院だか刑務所だかに行って、それで、まっとうな人間になって出てくるなんていうのは、そうなるかもしれないし、そうならないかもしれない、「if」の話だ

 だけど、強姦されてる女性は、今、被害にあっていて、そのショックで、その日のうちに、自殺しちゃうかもしれない。そこまでいかなくても、生きている限り消えない傷を負う。今日、あたしの目の前で起こっていたのは、まさしく、そういう出来事だった。

「あたしがやったことは、梨花の命を守るための正当防衛。それで、あいつらの誰かが死んじまっても、仕方ない。だいたい、女性を『手ごめ』にしようなんて奴は、自分が返り打ちにあってくたばる覚悟をしとかなきゃ」

あたしは、胸を張って言い切った。本当に、私は正しいことをしたと信じてる。

 「梨花、あなた、何てこと言うの!」ヘレンが狂ったように、あたしにしがみついてきた。あたしがヘレンを突き飛ばそうとすると、ケンが間に入ってヘレンを引き離して抱きかかえた。

「状況はわかった。梨花ちゃんの言うことはスジが通っている。僕も、正当防衛だと思う」

 ヘレンがまさかという顔でケンを見たが、ケンは黙ってヘレンを抱く腕に力を込め、ヘレンの顔を自分の胸に引き寄せた。

「僕には、誰かに見られなかったかということの方が、気になる。どう、誰にも見られなかったか?」

「見られたはずないっしょ。あのワルガキどもが、人の目があるところに楓を連れ込むはずがない」言いながら声が小さくなっていくのがわかる。路地とつながる大通りには、大勢の人通りがあった。あの中の誰も路地をのぞかなかったと、言い切る自信はない。

 ケンの茶色い瞳にじっと目をのぞきこまれて、つい、顔をそむけてしまった。

「誰にも見られなかったという確信はないんだね?」

「そんなこと言われたって、4人をやっつけている最中に、通りの方を振り返れるわけがないって、あんたたちもが、一番よく知っているでしょ」

ケンとへレンが不安そうに顔を見合わせた。あたしも、腹の奥の方から嫌な感じがこみあげてきた。

 

 横田基地の夜は早い。22:00、慧子は、シャワーを浴びてベッドに向おうとしていた。その時、内線電話が鳴り、DIA(Defense Intelligence Agency 国防情報局)の ブラッドレー中佐から作戦会議室に来るよう命じられた。夜のこんな時間に?嫌な 予感が走る。

 作戦会議室に向かう廊下で、パトリック・マスムラと一緒になった。

「博士も、呼び出されましたか?」マスムラがいつも通りの落ち着いた控えめな調子で訊いてきた。慧子がだまってうなずくと、マスムラが声を低めて「展開があったと考えた方がいいですかね」と言った。

 すっきり通った鼻筋にリムレスのメガネを載せ、五十代半ばだというのにすでに真っ白くなった髪を無造作に横分けしたマスムラはDCIA(Defense Criminal Investigative Service 国防犯罪捜査局)の捜査官というより、イギリスの地方都市で 日本文学を教えている大学教授のように見える。実際、彼は、日本語が堪能だ。日本で生まれ育ったが、17歳でアメリカに移り住んだ慧子よりも、よほど、格の正しい日本語を使う。

 「クソだ」と思った。進展など、あって欲しくない。橘梨花、ローズマリー・アトキンソン、タカシ・セナの3人は、2年前に「創生会」の秘密研究所で2000度の高温で焼き尽くされ、灰になった。そうでないと、困る。私の「心の娘」と私が人生を変えてしまった人たちが命がけで戦う所だけは、見たくない。


 「レノックス博士、マスムラ捜査官、ようこそ」ブラッドレー中佐が、満面に笑みをたたえて、慧子たちを会議室に招き入れた。海兵隊出身の中佐は、丸腰でも彼自身が強力な殺人兵器になりそうな、精悍、敏捷、かつ筋骨たくましい40代の男性だ。この男は、血の匂いを嗅ぎつけた時以外は、笑わないと言われている。慧子の全身を冷たい汗が流れ始めた。

 副官のサマーズ大尉が、会議机の上にノートパソコンとプロジェクターをセットし終えたところだった。レベッカ・サマーズ大尉は、とび色の髪をひっつめにして、化粧っ気も余分な脂肪もなく「戦うために生まれてきたオンナ」感をムンムンさせている。

 もっとも、化粧も髪型も気にせず周りから「ヤマネコ」呼ばわりされている慧子が、大尉の「女子力」を云々する立場にはない。20年ぶりに日本に帰ってきて「女子力」という言葉を知ったが、日本人の女性観を物語っていて、実に興味深い。慧子の率直な感想としては、実に、くだらないが。

 「座りたまえ」と中佐に言われて、ブリーフィング・ペーパーが置かれた席についた。サマーズ大尉が、プロジェクターから壁に直接映像を投影し始める。ベージュ色の壁面でもクリアな映像が得られるのだから、日本製のプロジェクターは大したものだ。

 「これは、インターネット監視チームが、今日の午後7時に発見した一般人のツイッターへの投稿画像だ。まず、投稿されたナマ映像から」という中佐の言葉に続けて現れた映像は、明るい通りから暗い路地の奥を撮っているらしく、照度不足で見にくかった。

 路地の奥でひとつの小柄な人影と3ないし4つのより大きな人影が向き合っているように見え、やがて、大きな人影の方が、次々と倒れていく。そこで、映像は終わっていた。すでに256個の「スキ」がつき、153回リツイートされていた。

 まさか、これは?いや、橘梨花のニューロ・クラッシュ能力は、私が完全に封印したはずだ。

 梨花が自らの脳を異常興奮させ、それに他者の脳を共鳴させて自律神経系を破壊する超能力を、国防総省(ペンタゴン)では「ニューロ・クラッシュ(神経破壊)」 能力と呼び、それを備えている梨花を「ニューロ・クラッシャー」と呼んでいた。 慧子は、「暗くて良くわかりませんね」と、出来るだけ、フラットに淡々と述べた。

 「その通り。そこで、DIAの画像処理専門家に頼んで、奥に見える人物の照度を上げ、拡大鮮明化させたのが、次の映像だ」慧子は、自分がつばを飲み込む音の大きさに自分で驚いた。


 今度の映像では、やせた小柄な背中が、ブレザーを着た4人の少年と対峙しているのが、ハッキリ見えた。4人のうち最も長身の少年が小柄な人物にぐっと迫ってくる。2秒後に、長身の少年は路面に転がった。後ろ姿の人物の左前の少年が小柄な人物に向けてケリを繰り出したが、脚が宙にあるうちに、仰向けに路上に落ちた。そして、おののいたようにあとずさりする残り2人がほとんど同時に倒れた。


「レノックス博士、これを見て、どう思うかね?」中佐が訊いてきた。


「ヤラセでなければ、映像で背中を向けている人物が非接触性の暴力を行使したと考えられます」


「二ューロ・クラッシュではないのかね」中佐が語気を強めた。


「いえ、この映像だけからニューロ・クラッシュとは判断できません」


 「仮にニューロ・クラッシュだったとしても、この映像の人物が橘梨花であるとは断定できません」マスムラが横から割って入った。


「なぜだね」激しく詰問する中佐に、スムラは冷静に応じる。


「橘梨花のニューロ・クラッシュ能力は、遺伝的素因と環境要因が絡み合って発現したものですが、遺伝的素因については、過去にアメリカ陸軍がテレパシーの軍事応用を研究していた際の被験者に同様の傾向が確認されています。つまり、同種の遺伝的素因を有する人間は、他にも存在するということです」

 慧子はマスムラに目配せをして、話を引き取った。「ですから、梨花と同様な遺伝的素因を持った人間が彼女と類似した生育環境に置かれれば、ニューロ・クラッシュ能力を発現することが、科学的に想定できるのです」


 ブラッドレー中佐が、戦場で敵の布陣を観察するような目で、慧子とマスムラを見渡した。「君たち二人は、ずいぶん違った人間なのに、橘梨花のこととなると、同じことを証言し、同じ見解を述べる。ひょっとし、2人の間に密約でもあるのかな?」言葉にとげがあった。

 ああ、あるよ。橘梨花、ローズマリー・アトキンソン、タカシ・セナの3人を永遠に闇に葬るという暗黙の密約が、私とマスムラの間にはある。それが、私たちを、父と娘のような絆で結んでいる。


 サマーズ大尉が抑揚のない事務的な口調で話に加わってきた。「映像を解析したところ、映像へのコメントどおり、東京近郊のX市で撮影されたことが確認できました。私たちが、日本政府内の協力者を使ってX市の住民登録を調べたところ、14歳の橘梨花、女性で、住民登録がありました。橘梨花は、高島健一とヘレン・マケイン夫妻の養子です」

 ブラッドレー中佐が気負いこんだ口調で「そうなのだ。橘梨花という人物が、この日本に存在するのだ」と言った。そこで、一息おいて、さらにもったいぶって、続ける。「君たち二人の証言では、橘梨花は12歳の時に焼死したことになっているが、それから2年後の今、彼女は、14歳だ」中佐の水色の瞳が慧子の眼をじっとのぞきこんできた。


 「ありえません。万に一つ、梨花があそこで焼死を免れていたとしても、彼女のニューロ・クラッシュ能力は、私が完全に封じました。彼女には非接触性暴力を行使することはできません」慧子は強い口調で反論した。

「それに、もし、橘梨花が生きていたとしたら、名前を変えているはずです。逃亡者は、みな、そうします」マスムラが落ち着いた口調で続ける。


 「なるほど、一理あるな。アメリカでも同姓同名の人間が相当数存在するのは事実だ」中佐がこれまでと打って変わって穏やかな物言いをした。だが、その後に、慧子にショックを与える発言が待っていた。


「そこで、この橘梨花なる人物にニューロ・クラッシュ能力があるかどうか、実地に試してみることにした。これから、ANC(Artificial Neuro-crusher 人造ニューロ・クラッシャー)1号、2号を連れて、橘梨花を訪問する」ブラッドレー中佐が勝ち誇ったような目で、まず、マスムラを、次に、慧子を見た。


 慧子は返す言葉を思いつくことができなかった。なぜなら、もし、梨花が生きていたら、ドクター・アトキンソンとセナ捜査官がどれほど勧めても梨花が偽名を拒む理由の見当がついたし、アトキンソンとセナがそれを押し切って偽名を使わせることはないと予想できたから。


 梨花はあまりにも孤独で、あまりにも傷つき、そのために、猛り狂う嵐の海のような人間になっている。アトキンソンとセナは、決して優柔不断ではないが、荒れ狂う梨花を制御するには、優し過ぎる人間だった。2年前にはプラスに働いた彼らの優しさが、今は、マイナスに働こうとしていた。

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